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寺が「お金を貸していた」話② ― その貸付はどこまで広がっていたのか ― 天保末期(1840年代前半) #73

― その貸付は、どこまで広がっていたのか ―

前回、寺院や門跡が「お金を貸していた」こと、
そしてその処理をめぐって幕府が動き出したことを見ました。

では、その貸付はどのくらい広がっていたのでしょうか。

結論から言うと――
想像よりずっと広いです。


■ 史料に並ぶ名前

まずは、該当箇所をそのまま見てみます。

青蓮院宮、圓満院宮、妙法院宮、伝通院貸附金而一同目安掛之積
其余、仁和寺宮、一乗院宮、仏光門跡、専修寺門跡、高野山大徳院、・・・
鎌倉本慶寺、城州堺枝円通寺・・南都楽所貸附金等…

『諸色調類集 32巻』第6巻,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2548842/1/88 (参照 2026-05-17)


正直、読みづらい。
でもここ、かなり重要な部分です。


■ 並んでいるのは何か

ここに出てくるのは、

  • 蓮院宮・円満院宮・妙法院宮

  • 仁和寺宮・仏光門跡・専修寺

  • 高野山大徳院

  • 鎌倉・堺・南都(奈良)の寺院

といった名前です。

つまり、

👉 門跡クラスから地方寺院まで、広く網羅されている


■ これは「個別の話」ではない

ここで重要なのは、
これが特定の寺の問題ではないという点です。

むしろ逆で、

👉 各地の寺社が、それぞれ貸付を行っていた

そして幕府は、それを

👉 まとめて処理しようとしている


■ ネットワークとしての貸付

この記述の並び方を見ると、

  • 京都(門跡)

  • 高野山

  • 鎌倉

  • 奈良

と、地域が分散しています。

つまりこれは、

👉 単発の貸金ではなく、広域的な資金の流れ

だった可能性が高い。

寺院ごとに独立しているようでいて、
結果としては“ネットワーク”を形成していた。


■ なぜここまで広がったのか

理由はシンプルです。

寺院は、

  • 寄附や修理料としてまとまった資金を持ち

  • それを遊ばせずに運用する必要があった

その結果として、

👉 貸付という形で資金が外に出ていく

構造が生まれます。


■ 幕府から見た意味

では、幕府にとってこれは何を意味したのか。

それは、

👉 無視できない規模の“信用市場”が存在していた

ということです。

しかもその担い手は、
通常の商人や両替商ではない。

👉 宗教勢力

です。


■ 次の問題へ

ここまで見ると、疑問が出てきます。

これだけ広がった貸付を、
どうやって処理するのか。
具体的にいうと、寺院から借入を行なっていた人が困った時、逆に寺院の資金が焦げついた時はどう対応するのか。

個別に対応するのか。
それとも一律で整理するのか。

次回は、幕府が示した「基本方針」を見ていきます。

キーワードは――

👉 「例外は作らない」

です。

次回記事はこちらです
*準備中*


参考資料

画像から読み解きをサポートしてくれるツール 
「ふみのは」


例文が豊富です。典型的な言い回しに慣れるには良いと思います


最初の頃は不要ですが、解読に慣れてきたら辞書が必要です。まだ辞書の力をいかせていない気がします・・

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