愛の確認は__求めるものではなく、自分で見つけにいくもの
愛されているか分からないとき__
人はつい、
“分かりやすい形”
を求めてしまう。
「好き(愛してる)って言ってほしい」
「もっと分かりやすく愛情を見せてほしい」
「特別扱いされたい」
「高価なプレゼントを送ってほしい」
そうやって_
誰が見ても分かる形で、確認したくなる。
もちろん、それが悪いわけじゃないけれども。
それだけを
“愛の証”
にしてしまうと、
本当に大切なものを見落としてしまう。
忙しいのに時間をつくってくれる。
本当は動かせないはずの予定を、調整してくれる。
何も言わなくても、体調や気持ちを気にかけてくれる。
…よく考えてみれば、
それって
「好きじゃないとできないこと」
だったりする。
むしろ、
そういう何気ない行動の方が__
その人の本音と言える。
愛情は、いつも分かりやすい形で差し出されるとは限らない。
だからこそ__
受け取る側が気づこうとしなければ
そのまま通り過ぎてしまうこともある。
「あれって普通はできないよね」
「ここまでしてくれるのは、どうしてだろう」
そうやって振り返ったとき___
初めて見えてくるものがある。
◇◆◇
愛は___
与えられるのを待つものではなく、
すでにあるものに気づいていくもの。
◇◆◇
だから__
自分から求める愛の確認で、受け取れたとしても…
それは必ずしも、本物とは言えない…。
