虹を渡った犬たちのこと
浜松の郊外で暮らしていると、少子高齢化という言葉が、統計ではなく生活の実感として迫ってくる。自宅の前を救急車が通るたび、つい「また誰かの葬式があるのか」と口にしてしまう。冗談でも皮肉でもなく、そういう年齢の人たちに囲まれて暮らしているのだという現実が、そこにはある。
今年の5月、同居していた義母が90歳で亡くなった。3年ほど介護を続けた末のことだった。長く続いた介護の日々は、終わってみるとあっけないほど静かに閉じた。家の中の空気そのものが変わることを、改めて思い知った。
いま家には、妻と私、それに八太郎がいる。19歳9か月になる雑種の犬である。昨年末ごろから寝たきりになり、食事も水も排泄も、すべて介助しなければならなくなった。白内障で目も見えていないようだ。それでも食欲はあり、庭へ連れていって水を飲ませると落ち着く。だが昼夜を問わず、大きな叫び声をあげることがある。何かを訴えているのだろう。苦しいのか、不安なのか、あるいはただ、見えない暗闇の中で自分の居場所を確かめたいのかもしれない。
八太郎は生後2か月で迎えた、純然たる雑種中の雑種だった。せめて名前だけでも由緒あるものにと思い、八幡太郎源義家にあやかって「八太郎」と名づけた。若いころは近所の犬に吠えかかり、喧嘩を売るバカ犬だったが、11歳を過ぎたころからようやく丸くなった。
その八太郎が、なぜか吠えかからなかった犬が二匹だけいた。
一匹は近所のチョコ君という黒い豆柴だった。保護施設から来た控えめな犬で、二度ほど、家から逃げ出した。どちらも私が八太郎の散歩中に、車通りの激しい道路の手前で見つけた。ご主人にはずいぶん感謝され、美味しいみかんをたくさんいただいた。
チョコ君は首が横に曲がってしまう病気になった。八太郎も13歳のころ同じ症状になったことがあり、柴犬によくある病気だと獣医に言われた。八太郎は見事に回復したので、私はご主人に「うちの八太郎も治ったから、きっとチョコ君も大丈夫だ」と伝えた。気休め半分だったが、本当にチョコ君は1週間ほどで元気になった。あれはうれしかった。
しかしそのチョコ君も、2年ほど前に推定11歳で亡くなった。ご主人は「もう犬は絶対に飼わない。二度とこんなつらい思いは御免だ」と、ひどく落ち込んだ顔で言った。その言葉は大げさではなかった。犬を飼うということは、いつか必ず別れを引き受けることでもある。
今朝、妻が交通当番から帰ってきて、すぐ裏の家の奥さんから聞いた話をした。「たまちゃんが死んだ」と。3日ほど前のことだった。たまちゃんは11歳のメスのゴールデンレトリバーで、散歩のときによくすれ違った。人懐っこく頭のいい犬だった。八太郎とはずいぶん違っていたが、同じように年を取り、飼い主に愛されていたことに変わりはない。
妻は「たまちゃんが虹を渡った」と言った。大好きだったお兄ちゃんが実家に帰ってきて、興奮のあまり命の最後の輝きを燃やしたのかもしれない。そういうこともあるのだろう。
うちの一人娘も独立し、浜松の街中に住んでいる。八太郎は元気だったころ、お姉ちゃんが大好きだった。今は寝たきりで動けないが、娘が「ハチ、ハチ」と呼びかけると、少しだけ尻尾を振る。見えなくても、動けなくても、犬の中には消えない記憶があるのだと思う。
義母を見送った日、近所の人たちが集まってくれた。ありがたいことだったが、来てくれた人のほとんどが私より年上だった。私は67歳になる。歩いて来てくれること自体はありがたかったが、途中で転ばないかと別の心配をしてしまった。送る側も送られる側も、同じように年を取っている。その光景に、この土地の時間の流れを見た気がした。
義母を見送ってからというもの、救急車のサイレンの響き方まで変わった気がする。以前ならただ通り過ぎる音だったものが、今ではその向こうに誰かの病気や別れを思わず想像してしまう。
それでも、その中にただ暗さだけがあるわけではない。犬の散歩ですれ違い、名前を覚え、病気の話をし、逃げた犬を見つけ、みかんをもらい、死んだと聞いて胸を痛める。そうした小さなつながりが、確かにここにはある。
八太郎も、もう長くはないのかもしれないと思うことがある。寝たきりになり、目も見えず、夜中に叫ぶ声が続くとき、こちらの心も揺れる。だがそれでも食欲があり、水を飲み、娘の声に尻尾を振る。その姿を見ると、命というのは最後まで命なのだと思う。ただ弱っていくのではなく、その都度、懸命に今日を生きているのだと。
たまちゃんが死に、チョコ君もすでにいない。義母もいなくなった。近所の人たちも、少しずつ年を取っていく。救急車の音が、以前より重く聞こえるようになった。そういう土地で、いま私は妻と八太郎と暮らしている。
八太郎が水を飲む音、妻が近所の話を運んでくる声、娘が帰ってきて「ハチ」と呼べば微かに動く尻尾——そうした、ほんの小さな生の気配が、まだ確かにここにある。
人はいつか名前や年齢を忘れてしまう。それでも、たまちゃんが人懐っこかったこと、チョコ君が二度も逃げたこと、八太郎が娘の声にだけ尻尾を振ること――そんな小さな記憶だけは、不思議と残り続ける。命とは、そういう細部の中に宿っているのかもしれない。
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