パリの地下に眠る「街を作った巨大な穴」
建築家ではないので、学問的に細かい事は語れませんが、前回の「土地の地盤に潜む石が、街並みの色を決めた」話に続き、私が次に深掘り出したのはパリの街づくりについて
ただし、地上ではなくまたパリの地中の話
知りたい人いるのか🤭?
↓前回の話はこちら
シテ島のノートルダム大聖堂から始まったパリの街、初めから放射状に計画的に進められた訳ではないのは皆さんもご存知のことかと
かのオスマン男爵によりパリの街の大改造計画が1853年から行われたのですが、
まずは前回のパリ近郊で採れた石灰岩採石場の話の方面から掘っていきます(採石場といい、深ぼるといい、色々掘るな🤭)
パリ周辺には良質な石灰岩層が広がっていました
ローマ時代から建築石材として利用され、ノートルダム大聖堂やルーブル宮殿など、パリを象徴する建築にも使われてきたこの石、
そんなに建造物に使っちゃったらその分地下は空洞なのでは?大丈夫パリ近郊の地下?
そんなことが気になる私
調べるとやはり、街が発展するほど地下には巨大な空洞が増えていったそうです…
もちろん20区全部の地下に石灰岩があるわけではなく、良質な石灰岩層がある場所を目指して採掘が進められ、編み目のような採石場の坑道がそこには広がっていたそうです
なので当然地盤沈下や陥没事故が起きる事態に
道路がゆっすり沈む、建物が傾く、壁にひびが入る、ドアや窓が閉まらなくなるなどといった被害が起きたそう
実際に起こった事例として、
1774年12月17日、現在のモンパルナスエリアのRue Denfert-Rochereau(当時のRue d’Enfer)で、古い採石場が原因の大規模な陥没が発生し、住宅が約30m下へ飲み込まれたこと、この事故を契機に採石場監督局(IGC)が創設された経緯が、
パリ市公式サイトで紹介されています
そう、
「パリは、地下を知らずして発展はできない」
という課題にその時直面したのです
こうして地質を調べ、地下構造を把握するという近代的な考え方が根付き、パリは世界でも早い段階で、「都市と地盤の関係」を考える街になっていきました
そこでまた気になる「地下どのくらいの辺りの石」を採掘していたのか?
なんでそんなことが気になる🤭?
だってパリのメトロは階段でサッと降りた先にホームがあるなど、日本に比べると割と浅い位置にないですか?
もしかして採石場の跡地を使って作られたりしたのかも?
……と思いきや、違いました
採石場の坑道は、幅1〜3m程度、高さ2m前後と狭く、その深さは場所によって地表から10m、20m、30m以上と深さがバラバラ
加えて「石がある場所だけ掘る」という目的で造られているから
「行き止まり」「急カーブ」「分岐だらけ」「高低差」
が非常に多かったそう
編み目模様のように張り巡らされた地下坑道は、そこを補強しながら地下鉄を通すには至難の業だったことと、1900年前後だった地下鉄の建設時期は、道路を掘り返して造る「開削工法」が中心だったため、5〜15mと比較的浅い位置に建設されたのだそうです
ちなみに……
パリ観光で知る人ぞ知る
「カタコンブ見学ツアー」
ご存知ない方のために説明しますと…
18世紀後半、墓地の過密問題を解決するため、市内の墓地から運ばれた約600万人分の遺骨が地下深いところに移され、その一部が一般公開されています(骸骨💀💀💀いっぱい並んでます😱)
地下20mほどの深いエリアへ階段で降りて行き
約1.5kmの道のりを歩いて見学できるのですが、
ここまで話して察しのいい方はお分かりですよね、
そうです、その『納骨堂』は「採石場の跡地を利用」して作られたんですね😊
役目を終えた地下空間に、新たな役割が与えられたのです
ということで整理をすると、
パリの街は
地上には石造りの街並み
その下には地下鉄
そしてその下には補強された岩盤
そして最深部には、街を築く石を切り出した採石場が眠っている
というレイヤーになっているのです
パリの美しいクリーム色の街並み
それは単なるデザインではなく、
その土地で採れた石、
地下の地質、
失敗から学んだ都市技術、
の上にある
地上から見れば美しいパリ
でも、その美しさを支えているのは、誰も見上げることのない地下だったのですね
ヨーロッパで街の色を見ることは、
その街の地下に眠る歴史を見ることなのかもしれません
ガイドブックには載らないこんな話
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました
みなさんのヨーロッパの旅に、
私の記事から新しい視点がひとつ加わり、
旅がより豊かなものになりますように
栞
