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【マロニエの木の下で】九章(ココの告白)

 「今日は何してた?」から始まるココとの会話の内容はいたって普通だった。
しかし慎也にとっては代わり映えのない話でも毎回とても新鮮で、爽やかな気分になれた。
ココとは週に一、二回電話で話していた。毎回二、三時間は話すので通話料が気になっていた。そのことを話すと気にしなくていいと言われた。

 慎也は以前、ココがSNSに書いていた詩のことについて聞いた。
いつも穏やかに話すココからは想像もできないような哀し気な一面があることを、前からずっと慎也は気になっていた。
その日、どれだけの時間ココと話したのか慎也は覚えていない。
全て話し終えたココが最後に「私は夢を見ないの・・・」そう言って初めてココから電話を切った日だった。
今日、ココと話したことは、慎也の心を徹底的に打ちのめすのに十分な内容だった。
慎也は一つ一つの言葉を聞くたびに、ベコッ!ベコッ!と音を立てながら体がひしゃげ、最後にグシャ!と潰れてしまう深海に沈んでいく空き缶と同じ状態になった。

「私が十歳の時にね、母が再婚をしたの。相手は大手企業の社長だった。母はその会社の社員だったからそこで知り合ったのでしょうね。父には連れ子がいてね、義兄は私より六つ上だったわ」

淡々と話すココの言葉には抑揚がなかった。

 再婚後、母親は仕事を辞め、家にいるようになった事がココは嬉しかったようだ。
父も兄も優しく幸せな生活が送れる、そう思っていたらしい。
「中学二年の時にね・・・大学生の義兄が勉強をしている私の部屋に入ってきたの・・・突然肩に置かれた両手に私は驚いてしまった・・・。どうしたの?と尋ねながら顔を見上げると、今でも忘れられない表情を私に向けてきたの・・・」
慎也はそれから後の言葉を映像に置き換えて聞く事しかできなかった。
「僕は普段の素行がいいから、この事を誰かに言っても信じないと思うよ、そう言って義兄は薄笑いを浮かべながら部屋を出て行った。・・・・・・・・・そのあとね、すぐに部屋の鍵を二重にしたのよ。でもそれだけでは終わらなかったの・・・」
そこまで話したココは次の言葉を探していた。
慎也はもうこれ以上聞きたくないという気持ちと、何とも言えない怒りと、ココの気持ちを考えると返す言葉が見当たらず、ただ黙って聞いていた。
「次は父がね脅迫してきたの・・・(義兄)の事なんだけど・・・と言って台所にいる私に話しかけてきた・・・お前、(義兄)を誘惑したんだってね、顔に似合わずなかなかやるじゃないか・・・と言った後、みるみる義兄と同じ表情になっていったの・・・・・・・・・居間のソファーの二人の光景を買い物から帰ってきた母は扉の向こうでじっと立って・・・・・・・・・ただ黙って見ていただけ・・・・・・・・・」
そこまで一気に喋ったココは突然絶句し泣き始めた。
涙を拭って呼吸を整えた後、次の言葉が出た。
「その日の夜、母に今までの事を話すと、母は何て言ったと思う?」
慎也は頭で話の内容がうまく整理できなかった。
「あのね、やられたあなたが悪いのよ。って言われちゃった。」と言って鼻で笑った。
慎也は笑いで誤魔化しながら話すココの心情が痛いほど分った。
傍にいたら慎也はきっとココを抱きしめていただろう・・・。
せめて温かい言葉で包み込んであげたいと思った。
しかし慎也には包み込む言葉などなかった。
「そうか・・・そうか・・・そうか・・・・・・・・・」
いつまでもうなずきながら同じ言葉を繰り返していた。
 母親の言葉を聞いた日に、ココは家を飛び出したらしい。身の回りの物と母の通帳を持って。
その後の生活は友人の家を転々としたり、年齢を偽り夜のバイトをしたり「やれることはなんでもやった、怖いもの無しだったから」とココは言った。
現実では起こりえないような生々しい話をココから聞いてしまった。
箱の世界しか知らない慎也からすれば、ココは真逆の人生を歩んできた人だと思った。
この世の中で俺が一番苦しんできた人間だと思い込んでいたのに・・・。
今までの自分の生き方はなんだったのか・・・堕落していく姿を、全て父のせいにしていただけだったのではないか?
ただの世間知らずの大馬鹿者だ・・・。

 それから三日後に話したココの声は以前のように明るかった。
慎也はあえてこの話には触れなかった。
だからこそ慎也は「私は夢を見ない・・・」と言ったココと一緒に夢を見たいと思った。



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