【マロニエの木の下で】三章(月光)
ヨル>ただいま!今日は疲れたわ
パソコンのモニターの明かりだけの部屋、カチャカチャというキーボードをはじく音が響く。
慎也はモニターを食い入るように見つめながらコンビニ袋から適当に菓子パンを掴むと、歯と左手を使って袋を引き裂き食べ始めた。
アイ>おかえり!どこ行ってたの?
ヨル>オヤジ狩りだな!wwwまさしくwww
アイ>なにそれ?こわーい!w
ヨル>すぐにくたばってくれたわw
アイ>w
ヨル>で、どこまでダンジョン進めてたんだっけ?
『ヨル』はオンラインゲームで慎也がゲームの中で作りだしたアバターの名前である。
『アイ』は慎也がゲームを始めた頃にオンラインの世界で知り合ったフレ(友達)の一人である。専業主婦で、家事が終わった後など空いた時間に息抜きのために始めたらしいが、今は家事をしている暇などないといった感じでオンラインゲームにのめり込んでいる。
ただ、アイという人物が一体どこの誰なのか?そんなことは全く関係ない。
慎也が今話しているアイという相手は、オンラインゲーム上に作られた女の子のアバターであって、画面の向こう側でアイを操っている人間には全く興味はない。
たとえアイという人間が何歳であろうが、主婦であろうが、この世界ではスーパーモデルさながらの美少女であって、それ以上の情報はすべて必要なかった。
慎也もまた似ても似つかない美少年のアバターを何度も課金をして作り上げ、この27インチの箱の中の世界で生きていた。
「ただいま」は「ゲームを始める」
「落ちる」は「ゲームをやめる」
一般的な挨拶もあるが、これは慎也たちの使う主なこの世界での公用語。
あとは適当にチャットで楽しんでいる。
この世界は永遠に眠らない。
それがオンラインゲーム。
メンテナンスなどの日以外はいつでも誰かと会話ができ、楽しく遊べる居心地のいい手軽な場所。
ルールとマナーさえ守れば義務も社会的拘束も一切ない。
あるのは快楽と自由のみ。
プレイが上手ければ束の間の優越感にも浸れる。
この世界だけが今、慎也が存在する場所だった。
オンラインゲームの世界に留まる為には、時間と金を犠牲にすれば十分だった。
慎也もこの世界の住人となってもう二年が経っていた。
アイ>ヨル?新しく出た課金装備!もう買ってる~!
私にも買って~!w
ヨル>アイもオヤジ狩りして来いよw
アイ>www
ヨル>アイ?ネトゲ廃人て何年目くらいから
言われるんだろうな?w
アイ>知らな~いwナノさんくらいやっていたら
廃人なのかな~?
ヨル>ナノっちか?確かにあの人、
俺がやり始める前からずっといるもんなぁ~w
アイ>超上手だしね!
色々教えてもらえるし本当に頼りになるよねナノさん!
ヨル>悪いね~俺はヘタクソで!w
アイ>ほら、モンスター来たよ!やっちゃって!w
ヨル>らじゃ!
アイ>がんばってー!ダーリン♡
ヨル>うっせぇ!
この世界はいつまでも続く。
そして、いつまでも眠らない・・・。
オンラインゲームをやり始めた頃は時間を決め普通に楽しむことができていた・・・はずだった。
気が付けばこの27インチの箱の世界が慎也の生きる場所になっていた。
明日こそは普通の朝を迎えたいと何度思ったことか。
しかし朝になればまた27インチの箱が慎也を呼ぶのだ。
光に群がる虫達のように、慎也もその一匹となって箱の中に吸い込まれていくのだ。
何度も試みようとする27インチからの脱出も徐々にしなくなる。
出口は開いているのに出たくなくなるのだ。
こうして現実との扉を慎也は自分で閉めていった。
慎也はたまに現実に引き戻されそうになる時があった。そして何とも言えない気持ちに襲われるのである。過去の記憶、今この時、これから先、自分はどうなってしまうのか・・・。
不安や焦り、恐怖や怒り、様々な感情が一気に胸を突き破ろうとする。
そんな時はゲームを放置し、小さな箱に逃げ込むように携帯を掴みSNSに心情を絵や詩にして載せることがあった。
手の平サイズの小さな画面の中で慎也は『深海魚』というもう一つの名前を持っていた。
深海魚:黒い塊だ
腐臭がたまらない!
小さな物音で
黒く見えていたモノたちが
羽音を立て雲竜となって拡散する
現れた物体
これは肉の塊か
俺のどの部位かはもうわからなが
そうとうな腐敗ぶりだ
今これを取っ払ってくれ!
誰でもいいから
少しの間鼻をつまんで
窓の外のゴミ箱に放り投げてくれないか
11/17 21:27
今夜の詩は、アイツを殴った自分が、腐っていくような気持ちになり、そんな自分を捨ててしまいたい気分だったからそう書いた。
しばらくして慎也の詩に5つほどの書き込みが届いた。
別に感想が欲しい訳ではないのに・・・。
A:グロいね(笑)
B:臭そうだからパス
C:自分で捨てろよ(笑)
D:ゴミの日昨日じゃなかったっけ?
「こっちはゴミの日は明日なんだよ、ボケ」
そう呟きながらも慎也はこのような類の書き込みがなぜか心地よかった。
誰一人として自分に興味を持たず、干渉もされないような適当な言葉が良かった。
しかし5つ目のコメントに目が留まる。
COCO:深海魚さん初めまして
突然の書き込み失礼します
COCOといいます
ゴミ箱に入る前に、私とお話をしませんか?
「はぁ?」
いつもの慎也ならこのような書き込みがあっても相手にはしなかった。
しかし迂闊にも書き込みをしてしまった。
深海魚:あなたはゴミと話せんの?
5分も経たないうちに返事がきた。
COCO:はい、話せますよ
慎也はからかわれているようで腹が立ってきた。馬鹿にされている気がして携帯を放った。
それ以後、返事をすこともなくこの日から一週間ゲームをやり続けた。
食料も買い込んであったしタバコもあった。母親の呼びかけにも一切応じなかった。
風呂にはもう一週間以上入っていない。
フケがボロボロ落ち、体も痒い。
口もそうとう臭い。
深海魚:俺は箱の中で生きている
外の俺は誰だ?
中の俺はいつも楽しげだ
外の俺は食って出しているだけ
これでも俺は生きているのか
11/24 20:07
するとその詩に書き込みが来た。
キミは生きているよ
一週間前のCOCOという人からだった。
無視しようかと思ったがとりあえずその書き込みに
深海魚:何?お前ストーカーか?
そう書き込んで風呂に立った。
久しぶりの湯船の中で何も見たくない慎也は目を閉じた。
ただ浴槽から溢れ出る湯の音を聞いていた。
「今日も何もしてない俺にお疲れさん・・・」と自分に言った。
普段から、風呂には電気を点けずに入っている。
満月なのか今夜は窓の外がやけに明るい。
風呂から上がり部屋から適当に持って来ていたジャージを着て冷蔵庫からコーラを取ると、一番安心できる場所へ帰る。
薄暗い部屋でモニターが青白い光を放っている。
這い出たままの形がこんもりとそのまま残っている布団。
こげ茶色の指定席の座布団。
タバコに火を点け携帯に目をやると通知を知らせるランプが点滅していた。
COCO:満月の今宵
あまりにも似つかわしくない詩を書く
お魚さんに出逢いました
あなたには何色に見えているのかな?
もし海の底から月が見えるのなら
空を見上げてください
おやすみなさい
慎也は指定席で2本目のタバコを消し終わるまで何度もこの書き込みを目で追っていた。
そして突然思ってもみない行動に出た。
今まで一切光を遮断していた物、貼り重ねていたポスターやカレンダーを剥がし、その後ろに隠れていた窓に手をかけた。
風呂上りには心地よい風が一気に入り込み乾きかけの慎也の髪を揺らした。
空を見上げ月をさがした。
これほど間近に大きな月を見たのは何年ぶりだろう・・・。
慎也は言葉を失い月明りを背にそこへ座り込んだ。
この市営住宅に母親と移って来たのは、小学を卒業後すぐの事だった。
慎也たちが借りているこの部屋は西側の端で、その棟の横には一本の栴檀の木とベンチ、遊具はブランコだけの小さな公園がある。
小学の頃から毎日のように父親の暴力から逃げるため夜中はほとんど眠れずにいた。そのため寝不足などが続き授業にもついていけず徐々に学校へ行けなくなった。
誰も自分の事を知らない新しい場所で心機一転のつもりで中学に入学したが、すぐに不登校となり学校にはほとんど行っていない。卒業証書は形だけもらったようなものだった。
卒業後は鳶職や土木の仕事などやってはみたが、その日に辞めた仕事もあれば数週間続いた仕事もあった。
手先が器用だったので仕事自体はこなせるが、人と関わる事が苦手で心労が溜まり体を壊してからは家にこもるようになっていた。
気付けばこの部屋が一番居心地のいい場所となっていた。
いつも布団から何も変わらない天井をずっと眺めていた。
雨の日は窓越しによく外を見ていた。ガラスに付いた雨粒が、隣の雨粒を飲み込んでツルツルと滑り落ちていく様がまるで透明の蛇が這っているようで、飽きずにいつまでも見ていた。
慎也が嫌だったのは晴れの日だった。
明るい日差しがどこまでも自分を追いかけてくるようで怖かった。
そんな日は布団をすっぽりと被り、まんじりともせず夜が来るのを待った。
あの頃と何が変わったというのだろう・・・
毎日パソコンの前に座り、腹が減れば適当に食い、寝たい時に寝るだけ。
いや、待てよ。一つ変化があった。アイツがまた俺たちの前に現れた事だ。
金が無くなればアイツから奪い取り、その金で必要な物を買い込んでまたこの部屋に戻る。
・・・前よりも俺は悪くなっているじゃないか・・・。
そういえば慎也は月明りがの夜が好きだった。
真夜中に暴れだすアイツから逃げるため裸足で飛び出した。
途中左足の裏に激痛が走った、ビンの破片だった。
でもその痛みよりも胸の奥の方がずっと痛む・・・。
堤防の真ん中に座り込んでビンの破片を引き抜いた時、思ったほど血は出なかったが歩くと刺さっていた時よりも痛かった。
暗闇の恐怖もあった、しかしその夜は満月だった。
どれくらいの時間だっただろう・・・慎也はじっとその満月を見た。
そしてその月明りを頼りに祖父母の家にたどり着くことができた。
暗かった家に明かりがついた瞬間、慎也はしゃくりあげるように泣いた。
それからも幾度となく真夜中に逃げる日々があった。
しかし不思議と見上げる空には満月があった。
青白い光に照らされて現れたもう一人の小さな自分の影が、独りぼっちではない気持ちにさせてくれた。
月のスポットライトを浴びて二人は一緒に真夜中の堤防を歩いた。
久しぶりに今夜は、そんな懐かしい自分をそっと抱き寄せるように膝を抱えて。
「お前・・・変わってないな・・・」と呟いた。
慎也は自分の影をずっと追いながら、いつの間にか眠りに就いていた。
