【マロニエの木の下で】四章(虹)
眩しい・・・。
月明りが太陽の光に変わっていた。
窓にカーテンはなく、ポスターを貼り直すのも面倒くさいので光の当たらない指定席に戻った。
タバコに火を点けるとゲームの続きを始めることにした。
昨夜のアイは朝4時まで遊んでいたようだ。今は食事の支度でもしているのかアバターの頭上にある名前の横に離席のマークが付いていた。
プレイヤーを失ったアバターは抜け殻となり、バーチャルの街の隅の方で決められたポーズのまま戻ってくるプレイヤーを待っている。たとえば今、アイのアバターは見知らぬアバター達と椅子に座って眠っている。
ヨル>おはょ
ナノ>おおおお!珍しい!
ヨルが来た!アサだけどwww
ヨル>笑えねぇーな
セーナ>ヨルさんおはよう!
ヨル>セーナおは!
ナノ>新しい装備買ったんだって?
アイが言ってたぞ!
セーナ>その装備私も買いましたよ!
ナノ>マジか!お前ら金持ちだな!w
ヨル>www
セーナ>w
ヨル>てか眩しすぎて
画面が見にくいんだけどw
ナノ>なにが眩しい?
ヨル>太陽の光w
ナノ>お前はドラキュラかw
ヨル>wwwもっかい寝ようかな
ナノ>夜行性の動物はさっさと寝ろw
セーナ>確かに!この時間にヨルさんが居るの
珍しいですよね!
ヨル>普段はこの時間は寝てるしなw
セーナ>昨夜はアイさんと遊ばずに寝てたの?
ヨル>一緒に遊んでたんだけど
途中で用事ができて放置してたわw
セーナ>ダメだよ約束守らなきゃ
ヨル>なんか約束してたっけかな?w
ナノ>ダンジョン行く約束してたのにって
怒ってたぞ!
ヨル>あぁ!そうだったわw
セーナ>もう少しで
アイさん戻ってくると思うよ
ヨル>じゃあアイが戻ったら
4人でダンジョン行こうぜ!
慎也はコントローラーを掴んだ。
すると携帯に書き込みを知らせる通知が届いた。
COCO:おはようございます
満月は見ることができましたか?
今から仕事なので
もしよかったら
今夜感想を聞かせてくれませんか?
では行ってきます
仕事ってか・・・
慎也は「ご苦労さん」と鼻で笑った。
ゲームを始めると時間の感覚は麻痺してくる。
当然時間がたつのは驚くほど速い。
この世界の時計は4倍速で走る。
COCO:こんばんは
一日お疲れ様です
今電車で帰っています
今日もとても充実した一日でした
ではまた後ほど
もう「こんばんは」に変わっている。
「え?今何時だ?」
携帯の時計は18:36になっていた。
近くにあったスナック菓子を口に放り込みながら書き込みに目を通すと、ズボンの太ももで手についたスナックのカスを払いまたコントローラーを握った。
セーナ>旦那が帰って来たから
これで落ちますね
アイ>あ、じゃあ私も一旦放置するね!
ナノ>おっ、もうこんな時間か!
俺も一旦飯放置するわ!
セーナ>ヨルさん、またINした時は遊んでね。
ナノさん、アイさんもお疲れさまでした。
<セーナがログアウトしました>
ヨル>みんなもう止めんの?
ナノ>またにぃー
アイ>また後でねヨル
セーナはアイと同じ専業主婦で旦那が仕事に出かけたらすぐにこの世界にINしている。ただセーナは離席も多く、リアルを優先して動いている感じで、一週間INしない日もある。
ナノはこのゲームが開始された時からプレイしていてかなりのベテランである。別のゲームも色々やっているらしく、この世界へは新しくダンジョンなどが追加された時にINすることが多い。
二人についてはこの情報しかない、またそれ以上は必要ない。
しばらく一人で遊んでいたが何故か気持ちが乗らない。
携帯を開いてみた。
しかしCOCOという人からの書き込みはない。
アイが戻って来たので続きを始めた。
9時・・・10時・・・11時・・・。
携帯に何も書き込みはなかった。
ゲームに集中できない。
なんだか楽しめない夜だ。
もっとも、心底楽しいと思った夜など一度もなかったが・・・。
ノリの悪い慎也に愛想つかせてついにアイが違う人達と遊び始めた。
慎也にとってもこんな事は初めてだった。
COCOという人が言った『後ほど』という言葉が引っかかっているのか?
普通の生活者が言う『後ほど』の時間の感覚と、自分とは違っているのか・・・とも思った。
詩を書こうとしたが一言も浮かばない。絵を描くことにしてスケッチブックを取り出した。
昨夜の自分の姿を描こうと思った。
膝を抱え下を向いて座っている自分、窓の外には青く丸い月。
いつもより何時間もかけて丁寧に仕上げSNSに載せた。
母が起きた気配がした。
もうそんな時間か・・・。味噌汁と焼き魚の匂いがしてきた。
食べもしない慎也のために夏美は毎朝食事を準備し、隣町の老人ホームに7時過ぎには仕事に出かけている。
慎也は風呂に入ろうと着替えを掴んで向かった。
廊下を挟んだ台所のテーブルの上にはまだ温かい卵焼きがあった。
それを摘まみながら夏美のメモ書きを読んだ。
「今夜は帰りが少し遅くなりそうです」
風呂上り、久しぶりに鏡を覗いた。
伸びた前髪が目に入って邪魔だった。後ろ髪も肩近くまで伸びていた。
ついこの間切ったばかりだったような気がするのに、もうこんなに伸びていたのかと驚いた。
髪の毛を一掴みしてバッサバッサとハサミで切っていくと、あっという間に洗面台は黒い山になった。
歪なカットではあるが頭が軽くなったのでこれで十分だと思った。
指定席に戻るとタバコに火を点けた。携帯のランプが点滅している。7時32分に書き込みがあった。
COCO:昨夜は急用ができてしまい
お話ができずごめんなさい
今夜少しだけお話できませんか?
慎也は吸いかけのタバコを消し返事を書いた。
深海魚:分った
そのうちにセーナとナノが来たのでいつものように仮想世界へ飛び込んだ。
27インチの箱は時間と金を喰らうお化けだ。
あっという間に、もうこんなにも外は暗くなっていた。
書き込みが来た。
COCO:こんばんは
何時頃からお話ができますか?
丁度セーナもナノも夕食の時間だと言ってログアウトや放置をしたので、携帯を持って横になり、
深海魚:そちらは?
と返した。
COCO:22時位からでもいいですか?
深海魚:うん
カップ麺を作り、ゆっくりと食べながら22時を待った。
アイの誘いがあったが今夜は眠いとチャットで断った。
少しウトウトしていると書き込みの通知音が鳴った。
COCO:こんばんは
あなたの絵を見ました
月を見上げてくれたんですね
深海魚さんは大きな月の前で
何を思っていたのでしょう?
その質問を無視して書き込みをした。
深海魚:あんたこの間からなぜ俺に話しかけてくんの?
COCO:なぜでしょうか?
私はあなたと似ているような気がするんです
深海魚:いったい俺とどこが似てるんだよwww
COCO:匂い・・・かな?
深海魚:なんだよそれwww
あんたのとこまで
この悪臭が届いているわけ?www
COCO:うん、きっと同じ匂いですよ
深海魚:じゃあ、あんたもゴミなのかよ
COCO:そうかも
COCOという人の真意が分らず、慎也はかなり困惑していた。
COCO:あの絵は昨夜描いたの?
深海魚:うん
COCO:私も深海魚さんの絵と同じような感じで
いつも月を見ています。不思議だね。
深海魚:でもあの絵は月を見てるんじゃない
月に背を向けてるだろ?
月がこっちを見ているんだよ
COCO:そうだね
月が見てくれているんだよね
でもあれがいいんだよね
慎也は月の話題になってから、会話が少しだけ楽になった。
COCO:あなたと似ているといったのは
私もずっと一人だからです
返事を返せずにいると
COCO:私の心は屈折しています
ずっとそう思ってきました
さらに返事を返せない慎也に
COCO:今夜は少しだけどお話できてよかったです
もう少しお話していたいけどおやすみなさい
慎也はこの夜、仮想空間に入ることはなかった。
点けたままのモニターの明かりだけが寝転がった慎也をぼんやりと照らしている。
あなたと似ている・・・・・・ずっと一人・・・・・・私は屈折している・・・・・・
もう何時間もこの三つの言葉が慎也の頭の中でリフレインしていた。
ニテイル・・・一体何が俺に似ているというのだ?匂いとはなんだ?
ズットヒトリ・・・俺には一緒に遊んでくれる仲間がいるじゃないか・・・仮想世界にだけだが・・・。
クッセツシテイル・・・俺もかなり屈折はしているとは思う・・・。
あの人も相当な事を経験しているのか?
ムクッと起き上がり携帯を開いた。
一体COCOという人はどんな人物だろうか?と知りたくなってCOCOのアカウントを覗いてみた。
自己紹介には一切絵文字や飾り文字も使われておらず至ってシンプルなものだった。
<自己紹介>
はじめましてココといいます
訪問していただきありがとうございます
私は人見知りが激しく自分からお話をすることは苦手です
日記には詩やお気に入りの写真などを載せています
お時間があれば見ていただけると嬉しいです
人見知りが激しいくせに、なぜ俺に話しかけてきたのか?という疑問を残しつつも、日記のページに飛ぶと次のような詩や日記が何篇も書かれてあった。
11月24日 22:03
満月の夜
この地球上で
同じ月を何人の人が眺めているのかな・・・
家族で見ているの?
お友達とかな?
それとも愛する人と?
私のように一人で眺めている人も
きっといるよね・・・
11月10日 21:57
このロボットには
手がありません
足がありません
目もありません
耳もありません
口もありません・・・
掴むことも
歩くことも
見ることも
聞くことも
喋ることもなく・・・
でもね・・・
心だけはあるんです・・・
その日記と一緒に花や風景の写真も載せてあった
10月28日 23:32
このマネキンはね
今日はこの服を着せられるの
明日はあの服と決められてて
本当に着たい服は
クローゼットの奥の奥・・・
そして大切な物も奥の奥の奥・・・
もう捨ててしまいたい服が沢山あるのに
鍵がかかってて開けられないの・・・
その鍵がどうしても見つからないの・・・
きっとあの魔女の仕業ね
慎也は自分に話しかけてきたCOCOという人が少し分った気がした。
詩や日記がストレートに入ってきたのだ。
慎也は何度も詩を読み返した後で
深海魚:虹は光が屈折して生まれるんだよ
屈折も知らない人間は一生虹は拝めない
そう書き込みをして慎也は布団に入った。
