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【マロニエの木の下で】十五章(仕事)

 慎也が窓から見える景色をスケッチしていた時、携帯が鳴った。
「西崎君かね?」浜脇さんの声だった。
「仕事は探しよるかね?」
「まあ・・・一応・・・」慎也は言葉を濁した。
「作品を作ろうと思いゆうがやけど、20日後くらいから手伝うてもらえんかね?」
「え?作品ですか?」
「大きな作品を作ろうと思うてね」
「そうですか、分かりました」
「ほいたら20日後に汚れてもかまん服で、弁当を持って来てくれ」と言った。
慎也は慌てて「この間のシイタケ美味しかったです」と付け加えた。

 「20日後に弁当がいるようになったがやけんど」
夕刻仕事から帰ってきた母に慎也は伝えた。
「どこ行くが?」と不思議そうな顔をした。
「おふくろと絵を見に行った時に、声をかけてくれた人覚えちょる?その人が作品を作るけん手伝いに来てくれと電話があったがよ」
「ふーん、すごいねえ。その人は何をしよる人なが?」
「画家よ」
「慎也はどんな手伝いをさせてもらえるがやろうね」
「分からんけどバイト代もくれると」とカラッと言った。
夏美は慎也の心中を察して言った。
「水筒もいるねえ」

「ちょっと自転車では無理な距離ながよ・・・」慎也は気になっていた事を告げた。
「車がいるがやね・・・そしたらお父さんの残してくれたお金を使わしてもらいや」
「かまんろうか?」
「かまうもんか、それをお父さんは一番望んじょったがやけん」
暫くして母が「お母さんの知り合いに自動車屋しよる人がおるけん、聞いちゃる」
そう言うと早速夏美は電話帳を広げていた。
慎也が風呂に入っている間中、電話で話している母の声が聞こえていた。

「慎也、丁度ええのがあると、わりとまだ新しい軽自動車やと。明日お母さんは休みやけん、一緒に見に行ってみるかえ」風呂から上がる慎也を待ちかねていたように一気に母は言った。

夜の電話でココが言った。
「すごいよシン!自分がしたい事が仕事になるなんてなかなか無いよ!おめでとう!」
今までにないテンションで喜んでくれた。
これまでも慎也が何か報告する度に喜んでくれた。しかし今夜の喜び様は慎也が驚くほどだった。

 納車の日、試運転がてら、父が住んでいたアパートまで行ってみた。
例の部屋には誰かが住んでいるような様子だった。
「親父、車ありがとう」
下りて来るはずもない例の鉄階段を眺めていた。
 夕刻には母と買い物に出かけた。少し遠くのスーパーまで走らせた。
助手席に乗る母は緊張していたが慎也の運転は慎重でスピードも出さないので安心した様子だった。
「親父の残してくれた金をもうほとんど使うてしもうた・・・」慎也がそう言うと、母は通り過ぎていく景色を見ながら言った。
「そうやね・・・けんど生きたお金の使い方やけん、気にせんでええ」

 白石谷へ行く日が来た。
山道は思っていたより道幅が狭く運転がより慎重になった。
積み木を並べたような浜脇さんの美術館が見えてきた時は正直ホッとした。
作業着姿の浜脇さんが、玄関前で出迎えてくれた。
「車はここに置きなさい」と道路わきの空き地に誘導してくれた。
挨拶を済ませた頃に奥さんが出てきた。あの時と同じく穏やかな笑顔で心を落ち着かせてくれた。

「長靴が倉庫にあるき履き替えてきてや。たまにムカデが入っちょる時があるき、一回振りくっちょきよ」と笑いながら、道路を挟んだ倉庫の方を指さした。
美術館の裏側に回ると、クワ、トロ舟、猫車、バケツ、左官道具一式が並べてあった。

 石を積み上げた一風変わったオブジェの前に連れて行かれた。梅雨の晴れ間の日差しは9時だというのに少し歩いただけでも汗ばんだ。
「ここから始めろうかね」と、トロ舟を置いた。
浜脇さんは、二つの砂袋をトロ船に入れるとザックザックとクワで砂をほぐしていった。次にセメントを加え混ぜた後
「ほい、西崎君やってみ」
とクワを慎也に渡した。クワを受け取ると見様見真似でやり始めた。
 久しくゲームのコントローラーしか握ってなかった慎也の手にはセメントを混ぜるクワが重たかった。
力加減が分らず、すぐに腕が痛くなった。ポタポタと汗が落ち、目に沁み込んできた。
浜脇さんは慎也の作業を気にかけてない風で何も言わずに黙々と石を運んでいる。
大小さまざまな石を一つ一つ縦にしたり横にしながら組み合わせていた。
ある程度砂とセメントが混ざり合ったところで「うんとかき混ぜてよ」と言いながら浜脇さんがその上に水を少しずつ加えていく。途端に何倍もの抵抗を感じた。重すぎてかき混ぜるというよりは表面だけをかいているのがやっとだった。
「早ようかき混ぜんとセメントが固まってしまうぞ」そう言って浜脇さんもクワを持った。
「西崎君は腕の力だけでかき混ぜゆうきしんどいがぜよ、腰に力を入れて全身でグッと前に押すような感じで突く、引くときは同じ突いた時の惰力でクワを引いてみいや、そんなに力を入れんでもようなるぜ」
と慎也の目の前で一舟仕上げて見せてくれた。
練りあがったセメントをバケツに移し浜脇さんに渡した。
浜脇さんは並べていた石の間にセメントを流し込みながらコテで隙間を綺麗に埋めていった。これは土留め作りをしているのだと教えてくれた。
「浜脇さん、一体何をここに作るがですか?」
「ん?作品じゃ」
「どんな作品を作るがですか?」
「道じゃ」浜脇さんは答えた。
「え?道?立体作品とかじゃなくてただの道ですか?」
「そうじゃ、道じゃ、この場所から谷川に添って、倉庫に抜ける坂道を上がり、美術館を囲むように遊歩道を作ろうと思いよるがぜよ」
慎也は聞き直した。
「人が通るための道を作るがですか?それが作品ですか?」
「そうじゃ、作品じゃ」
慎也は浜脇さんの意図が分らず言われるままに従った。

 周りが薄暗くなるまでこの作業を繰り返した。使った道具をブラシで洗い倉庫に仕舞うと「お疲れさん」と声がかかり一日目の作業が終わった。
車に乗った途端、疲労感に襲われた。手の平のマメが潰れハンドルを握る手が痛かった。

 慎也が帰ると夏美は聞きたい事が山ほどあった。が、汚れた作業着や空になった弁当箱を見て、何も言わなくてもいいと思った。母との夕食は静かな中にも穏やかな空気が流れていた。

 部屋に戻ると窓辺で今日初めてタバコに火を点けた。
長い間使ってきた座布団も敷きっぱなしだった布団も無いこの部屋の雰囲気が今夜初めて心地よく感じた。

携帯を見るとメールが入っていた。

シン、お疲れ様でした。初日だから疲れたでしょうね。10時頃から話せる?

10時になりいつもの様にココから電話があった。
「お仕事お疲れ様」という言葉が今日の慎也に初めて似合った。
一日の出来事を一通り話し
「道が作品だって言われてもねえ」
とため息交じりに言うと、
「シンは道が作品だと思えないの?」
「だって普通の道だよ・・・それがどうして作品になるのか意味が分からない・・・」
「じゃあ、オブジェ作りとか絵を描くだけが?それがシンにとっての作品?」
「うーん・・・」
「道ってすごい作品だと私は思うんだけどね。道って人と人が繋がっていける、とても大切な作品だと思うんだよね。シンが今日から作り始めた新しい道が、一体どこに続いていくのか私は知りたいなあ」

ココとの会話はまるでカウンセリングを受けている様だった。
瞬時に慎也を癒していく。励ましているのでもなく、ココは慎也が今一番欲しい言葉を心の中に置いてくれる人だ。

「ココの居るところまで道が繋がっていけばいいんだけどね」
「そうだといいね・・・」ココは静かに答えた。
「シン?朝は何時に起きてるの?」
「6時だよ」
「じゃあ、毎朝メールで起こしてあげる」

体の順応性はすごい、昨日と同じ時間に目が覚めた。

おはよう。起きてるかな?
今日も一日頑張ろうね!!

 約束の6時にココのメールが入った。
一気に気合いが入った。全身の筋肉が痛くてたまらないが、動ける。
弁当と水筒はテーブルに用意されていた。
母に「おはよう」と「行ってきます」を言うのは小学の時以来だった。

 浜脇さんはすでに昨日の作業の続きをしていた。
「体が痛かろう」と心配してくれた。
「痛いですけど大丈夫です」と言ってトロ舟に砂を入れ混ぜ始めた。
10時に奥さんが「大変でしょう西崎さん。休みながらやってくださいね」とアイスコーヒーを持って来てくれた。
「泡の出る飲み物がええのう西崎君」浜脇さんが言うと。
「夜の分が無くなってもいいんですか」と奥さんは笑い返した。
 木陰でタバコを吸いながらアイスコーヒーを飲んだ。爽やかな風が体を通り抜ける。
労働の合間に飲むアイスコーヒーは今までとは全く違う味わいだった。全身に染み入ってきて美味しかった。

 何度も砂とセメントをかき混ぜているとそれなりに慎也はコツを覚えてきた。
クワを突く時の腰への力の入れ方、引く時に全身に一瞬だけ入れる力加減、その全ての動作が少しではあるがスムーズになった。昨日浜脇さんがテンポよくかき混ぜている様子を思い出しながら慎也はリズムをつかもうとした。
浜脇さんが時々見に来ては、水を加え調節をしてくれていたが、正午を過ぎた頃から徐々にセメントを一人で作れるようになっていった。

 夕方頃になると朝全身を覆っていた筋肉痛が気にならなくなっていた。
道具を洗い倉庫に戻していると「おつかれさん」と浜脇さんがまたシイタケの入った袋を手渡してくれた。

 母は夜勤の日だった。
テーブルには卵焼きと焼き魚が置いてあった。
「今日も一日お疲れ様。明日のお弁当は買って食べてね。」メモと一緒に弁当代が置かれてあった。

 慎也は翌朝5時半に起きた。いつもより30分早い。急いで作業着に着替えると台所に立った。冷蔵庫の中から梅干し、漬物、のり、を弁当箱に詰めた。少し物足りないので卵焼きを作った。水筒には水と氷を入れた。
弁当代はそのままにして置いた。

おはよう!行ってきます! とココからのメールが来る前に打って車に乗った。

慎也は最近ラジオを聞くようになった。休憩時間に浜脇さんと話す話題が慎也にはついていけず、話題にも乗れないでいる自分が情けなかったのでニュースなどにも気を配ろうと思ったからである。

 この日から数週間、土留めの作業が続いた。
作業が終わったある日、車に乗ろうとした慎也を浜脇さんが呼び止めた。
「ほい!西崎君」とポケットから封筒を取り出して慎也に渡してくれた。
「え?これは?」
「平均時給で計算しちゅうきね」こんなにまとまった給料を貰うのは久しぶりだった。
「ありがとうございます」と一礼するとポケットにしまった。
運転しながら、給料の入っているポケットをポンポンと叩くと顔が自然にほころんだ。
少し遠回りになるが、父が住んでいたアパートの前を通って帰った。

「これ、初給料」とテーブルの上に置くと「まあ!」と母が驚いた。
その中からタバコ代、ガソリン代を取ると後は母に渡した。

夏美はその封筒を仏壇に置くと暫く手を合わせていた。





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