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【マロニエの木の下で】二十三章(糸)

 その年の夏の終わりに慎也は亜希子さんにお願いしていたことがあった。
「亜希子さんの都合の良い日に一緒に行って欲しい場所があります」

一枚の枯れ葉がフロントガラスを避けて通りすぎる。
白石谷に通じた道は秋の気配が感じられる。
助手席には亜希子さんが乗っている。
グレーのワンピースに黄色のカーディガンが亜希子の顔をさらに明るく見せていた。
ジーンズとブルーのチェック柄のネルシャツ姿で慎也もそれなりの格好をしていた。
前日、軽自動車を慎也は念入りに洗車した後、助手席のシートクッションを購入した。
「今日は楽しみにしていました」といつものスマイルで助手席に座った。
出発して間もなく慎也が言った。
「道が完成したので見てほしいのです」
「どこにできたんですか」
「〇〇市の白石谷という所です」
慎也はいつもの様にラジオをかけた。
往年のヒット曲『Stand By Me』が流れ始めた。
「映画の主題歌ですね。鉄橋を渡っていると突然汽車が迫ってくるシーンが印象的ね」
サビの部分は一緒に口ずさんでいた。

「どうぞ、西崎さん」と亜希子の手には飴があった。包み紙を剥がして、手の平に乗せてくれた。

「ちょっと怖い所を通りますよ」
思いがけない慎也の言葉に亜希子は少し驚いた様子だった。
真っ暗なトンネルに入っていった。
ライトは照らしているのに先が見えない。狭くて長いトンネルだった。
「このトンネル絶対一人では通れないです私・・・」
トンネル内は岩肌がむき出しになっており、地面も未舗装だ。照明が一つもなく真っすぐなのに出口が見えない。いつもその岩肌は湿っていてヘッドライトが反射した時、それが人の形や顔に見えたりすることもある。
「僕も慣れるまでは、冬場の帰り道は遠回りした日もあります」
「昼間でも無理!」
「仕事場へ行くにはここを通ると15分短縮できるんです。慣れってすごいです。このトンネルも蛇も、ムカデも慣れると怖くなくなります」
「蛇・・・?ムカデ・・・?」突然にトンネルの後に蛇、ムカデ・・・
「はい、少なくとも過剰反応はしなくなります」少々、確信めいた言い方だった。
ちょっとの間考えていた亜希子は「確かにそうね」とクスッと笑った。

「もしかして『山の中の美術館』に向かってます?」慎也は頷いた。
「浜脇先生の所ですか?そこで働かれているんですか?」また慎也は頷いた。
「そうなんだー!!昔ね父が、浜脇先生に絵を習っていたんですよ」慎也も驚いた。

浜脇さんの軽トラックの横に車を止めた。
美術館のカフェでは浜脇さんと奥さんがお茶を飲んでいた。
突然入って行った二人に
「おっ!西崎君じゃいか、どうしたがぜ休みじゃに」
「浜脇先生こんにちは、お久しぶりです」慎也の背後から亜希子が顔を覗かせた。
「ありゃ?どなたでしかのう~」
「櫻井画材店の亜希子ですよ」
「ああ~!亜希ちゃんよ!」ポンと手を打ち「この間はありがとうね」と付け加えた。先日、浜脇さんは次の作品展に向けて櫻井画材店で亜希子と会っていたのだ。
「こちらこそありがとうございました。作品はできましたか」
「おお、まだ描きゆう最中よ」
「そうですか、いつも大作ですもんね」
浜脇さんと奥さんは慎也と亜希子を交互に見て言った。
「ところで二人は一緒に来たがかえ?」
「はい」と言った後、「一緒に来ました」と亜希子が答えた。
「西崎君にも女の友達がおったがじゃのう」と嬉しそうに笑った。
亜希子の父親の事など30分ほど、他愛無い話をした後、
「浜脇さん、庭の作品を見せてもらってもいいですか?」と慎也が聞いた。
「おお、二人でゆっくり見てきいや」
「あったかいコーヒーを入れて待ってますね」奥さんが送り出してくれた。

裏庭に出るドアを開けた。亜希子は目の前に広がる景色をゆっくりと見回した。
高く澄み切った空、色付き始めた山々が四方を包み込んでいる。
不思議なオブジェ、谷川の水の音、鳥の囀り、ひんやりとした空気、この空間の中に白く伸びる道が全てを包み込んでいる。
亜希子は目の前に広がる自然をそのまま生かした屋外展示場が気に入った。
「これが西崎さんの言っていた道ね」と言いながら遊歩道を歩き始めた。
「蛇やムカデに慣れるって意味、分かりました」振り返りながら笑った。
谷川へ下る坂道に差し掛かった時、川向こうの竹林から泣き声が聞こえた。
亜希子は驚いた様子であたりを見回した。
「誰かが泣いているような声が・・・」
「ああ、あれは竹が泣いているんです。風が吹く日は竹が擦れ合い泣き声に聞こえる時があるんです」
「自然て面白いですね、色々と・・・」
「僕も自然の面白さを最近知りました」
二人で顔を見合わせ頷き合った。
「自分で作っていく道っていいですね・・・」と亜希子は自分にも言い聞かせるように呟いた。

奥さんの入れたてのコーヒーを頂き、『山の中の美術館』を後にした。

帰路、私のおすすめの場所がありますという亜希子に従って海岸線を東に走った。

浜脇さん、櫻井画材店、西崎慎也、いつからか3点の糸は繋がっていたのだと思える一日だった。




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