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宇宙ビジネスでモノを買う恐怖。たった1行の「取説の誤記」がもたらす混乱とエンジニアの国際交渉術

前回は、打ち上げ直後に人工衛星の生死を分ける「初期運用(LEOP)」という管制室の修羅場についてお話ししました。
1分1秒を争う極限のプレッシャーの中、いかにリスクを管理し、仕組みで生き残るかという現場のリアルを感じていただけたかと思います。

初期運用を経て、無事に皆さんに便利さを届けていく人工衛星ですが、
そもそもこの数百億円規模の精密機械は、すべて国内の自社工場だけで作られているわけではありません。

人工衛星開発とは、世界中の最先端技術を持つベンダー(製造会社)から、
選び抜かれた機器を買い集める「国際調達ビジネス」
という側面も持っています。

「宇宙ビジネスの国際交渉」と聞くと、なんだか映画のようにスマートで華やかな世界を想像するかもしれません。
しかし、現場を知るエンジニアから言わせれば、その実態はロマンのかけらもありません。

待っているのは、「1行のミスも許されない、目を皿にしても足りないほどの資料レビューと調整」の連続です。

今回は、教科書には絶対に載っていない「宇宙調達の裏側」と、
私が実際に冷や汗をかいた事件、そして
巨大プロジェクトを動かすためのコミュニケーション術をお話しします。



宇宙調達の特殊性:なぜ「納期1年・価格数千万円」が当たり前なのか?

地上の一般的な製品であれば、ネットで注文すれば数日、
オーダーメイドでも数週間から数ヶ月で部品が届くのが普通です。
しかし、宇宙業界のタイムスケールはまったく異なります。

部品や機器を一つ発注すると、納期に数ヶ月や1年以上、という数字が出てくるのはザラです。

なぜこれほどまでに時間がかかるのでしょうか?

そこには、宇宙用機器ならではの非常に厳しいステップが存在します。

新しく機器を一から設計して作ってもらう場合、
まず設計の各マイルストーン(節目)ごとに厳格な審査会を何度も行います。
そして設計が固まったら、すぐに本番機を作る……
わけではありません。

まずは本番用とまったく同じ部品、まったく同じ製造方法で「認定モデル(プロトタイプ)」というものを組み立てます。
この認定モデルに対して、限界を知るための超過酷な「認定試験」を
何か月もかけてこれでもかと行い、
設計が宇宙の過酷な環境に本当に耐えられるかを
1つひとつ証明するのです。

この認定試験をクリアして、設計に問題ないことを確認して
ようやく実際に衛星に搭載する本番機(フライトモデル)の製造が始まります。

そして、製品一つ作っても、そのまま衛星に載せるわけではありません。
製品1つひとつに対する個別の「フライト試験」が待っています。

「認定試験」と「フライト試験」、
名前と試験厳しさは違いますが、内容は同じです。
なので場合によっては納期が通常の2倍に跳ね上がることも珍しくありません。

さらに、部品単体で納期が何か月・何年とかかったり、
何千万円もするものもあります。

そのため、複数の衛星プロジェクト合同で必要な部品をまとめ買いしておいたり、部品を融通しあったりといった工夫もしています。


そんな中で特に気をつけていること:地獄の手戻りを防ぐ「執念の資料レビュー」

これほどまでに高額で、納期が絶望的に長い宇宙調達において、エンジニアが最も恐れているもの。

それは「手戻り」です。

もしも海外から届いた機器に不具合があったり、
こちらの要求仕様に合っていなかったりした場合、
「じゃあ送り返して修理ね」というわけにはいきません。

修理内容の技術的評価と承認
送り返す機器の輸出管理
修理後の健全性確認
他の機能性能に影響がないか」の確認…。

一度手戻りが発生すれば、発生するコストとスケジュールへのインパクトは考えたくもないほどです。

だからこそ、エンジニアの命綱となるのが、
ベンダーから提出される膨大な資料の「徹底的なレビュー」です。

設計書、仕様書、検査レポート、試験結果のデータ。

これらを文字通り、穴が開くほど精査します。

相手がどれほど実績のある会社でも、資料を作っているのは人間です。
時には重大な見落としや、フランクすぎる「勘違い」が紛れ込むことがあります。

そして私は、その資料の「1行」の重みを、身をもって知ることになりました。


実例:データが嘘か、ルールが嘘か――「1行の誤記」が招く地獄

私がアメリカの小規模なベンダーから、ある機器を調達したときのことです。

調達も終盤戦、何か月もかかるような試験全体が完了し、一安心していた時です。

届いた生の試験データを詳細にレビューしていて、ふとある値に目が留まりました。

「……これ、取説の閾値(基準)を割り込んでいるじゃないか」
気づいた瞬間、私の心臓がドクンと跳ねました。

ベンダーから提供されていた「取扱説明書」には、
正常動作を判定するための閾値が記されていました。
しかし、試験中にその範囲をわずかに外れていたのです。

「機器が壊れているのか? それとも設計上の欠陥か?」

慌ててアメリカのベンダーへ問い合わせました。返ってきたのは、拍子抜けするほど軽い回答でした。

「ああ、それね。取説(マニュアル)の数字が誤記だった。今直して新しいPDF送るね!」

そう言うと、実際に修正版のPDFはメールですぐに手元に届きました。

彼らにとっては1行の修正かもしれません。
しかし、私たちにとっては「絶望」の始まりでした。

なぜなら、すでに私たちはその取説の数値を「真実」として信じ、設計を進めていたからです。

衛星に搭載した後の試験手順書を作成し、運用中に使う「運用手順書」さえも作成を進めていました。
慌てて文書の訂正について連絡を取り、修正する手続きを進めます。

文書の修正といっても、すでに制定されている文書の修正には
膨大な労力がかかります。
修正をして、レビュー会を開いて問題がないこと、
ほかに影響がないことを確認し、正式な承認プロセスを通す……。

この軽い修正だけでも、最低でも1ヶ月は吹き飛ぶ作業なのです。

ただ、もしこの誤記に気づかないまま打ち上げていたら、「文書修正が大変」どころではない事態でした。

宇宙で衛星が「正常な動作」をしているだけなのに、地上では「異常事態」と判定され、管制室には警報が鳴り響く。
運用中の緊迫感は、すでにお伝えしたとおりです。
そんな中、「異常事態」が発生したら運用室は文字通り地獄の様相となったでしょう。

「ドキュメントの1行は、宇宙では物理的な部品と同じくらい重い」

あの瞬間の冷たい汗と突きつけられた恐怖、
そしてその後の膨大な修正手続きの苦労は、
今でも私のエンジニアとしての姿勢の基礎として深く刻まれています。


結び:巨大プロジェクトを動かすのは、技術力ではなく「人間力」

こうした「文化も会社の規模も違う」海外ベンダーと、
何年もかかる巨大なプロジェクトをミスなく動かしていくために
行き着いた答えがあります。

それは、高度な技術力そのものよりも、
「泥臭く、詳細に目的を共有するコミュニケーション術」です。

海外ベンダーに限らず、WEB会議の口頭だけで「じゃあよろしく!」と終わらせるのは絶対にNGです。
受け止め方自体にズレがあったり、その後にベンダー社内で
検討を進めるうちに意図しない方向に進んでしまいます。

私は、口頭で話した内容は必ず文字(メールやタスクリスト)として残し
双方がいつでも確認できるように「証拠」を積み上げました

さらに、彼らに何かを確認したり、データを提供してもらったりする際は、
ただ「これについて教えて」と丸投げするのではなく、
こちらが知りたい内容が確実に引き出せるようなテンプレートやイメージ図、図面をつけたファイル
自ら作って共有するようにしています。

相手には「この空欄を穴埋めするように回答を作って」と渡すのです。

これは単なる親切ではありません。
宇宙プロジェクトにおいて、時間は最も希少な資源です。
ベンダー側の的外れな検討や遠回りの思考に付き合っている余裕はありません。
一刻の猶予もない中で、最終手段として不確実なやり取りを排除し、スピードを極限まで引き上げるため「主導権の奪取」を行うのです。

相手の出方を待つのではなく、
こちらから「欲しい結論の形」を先回りして提示する。

ベンダー側の遠回りを許さず、必要な情報だけをハイスピードで吸い上げる
「逆算のコミュニケーション」が、巨大プロジェクトを停滞から救うのです。

人工衛星という最先端のハイテクメカを宇宙へ届ける仕事。

それは一見、数式やプログラムだけで動いているように見えるかもしれません。
しかし、その土台を支えているのは、世界中のプロフェッショナルたちを巻き込み、
プロジェクトを破綻させる手戻りを防ぐための
「執念のレビュー」「相手のミスを防ぐ人間力」なのです。

次回は、「それでも何か不具合が起きた時、どう対処するのか」
衛星に対するソフトウェアのアップデートに関するお話をお届けします。


今回のお話では、いかに書類の不備を防ぐか、という観点でのお話でした。
しかし、交渉で「完璧な書類」を揃えても、宇宙はまだ微笑んでくれません。

完璧な書類をそろえた先にあるのは、機器同士が「見えない電波」で殺し合いを始める、電磁適合性(EMC)という名のパズルです。
特にアンテナのすぐ隣で高出力の電波を浴び続ける「構体外機器」の設計は、配置が数センチ変わるだけで全ての要求スペックがひっくり返る、まさに地獄の調整作業です。
有料版では、衛星を内側から崩壊させないための
電磁的適合性の設計思想を深掘りします。


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