我・GA・ガイア理論
本日もご訪問ありがとうございます。
山ってあるじゃないですか。
わたしもつい先日登りました。
八十八ヶ所巡礼というバンドさんがいらっしゃるじゃないですか。
わたしもつい先日LIVEに詣でました。
昨日八十八ヶ所巡礼さんの音源の演奏動画を見ていたのですが、そのお部屋がなんとも八十八ヶ所巡礼さんを好みそうな人のお部屋でして。
文庫本等々の書物が多くある、という意味合いなのですが、八十八ヶ所巡礼さんの音樂を好む方々って文化的なものに対しての感心や好奇心が強い方々だと個人的に思っています。
かく言うわたしも例に漏れません。
わたしが好きな文化物は主に書籍ですが、思えば書籍から得た知識って大小様々わたしの価値觀になっているわけじゃないですか。
もちろん自分の好奇心で集めたものに傷ついたり狂いそうになったこともあります(もう狂ってるかも)。
肉体を持った思念体ですもの( ¨̮ )
そういった大小ですが、仔細様々がわたしの価値觀になってわたしを形作っています。
食べたものでも、わたしは作られています。
もちろんその中には、うまい、まずい、苦い、辛い、つらい、やんごとない、やるせな〜いなど様々ございます。
過去が自分を作っています。
その上で思ったことですが、山も様々があって形作られています。
あら?
わたしと一緒じゃない?
山もわたしも清濁を経た上で形作られています。
つまり、わたしは山。
自然٩( ᐛ )و
٩( ᐛ )و 自然 ٩( ᐛ )و
とんと忘れていましたが、わたしも自然なのであればこれは大事にしなければいけません。
なんたってアニミズムを行動規範にしておりますから( ¨̮ )
先日の記事にて『人生はエンタメだ』というなんとも使い回された比喩をしてしまいました。
しかし、というよりも、《エンタメにする氣概》こそが大事というか『エンタメにする氣概こそがエンタメ』なのではない?と思いました。
それこそ「おもしろいこともなき世をおもしろく」ってやつです( ¨̮ )
金がなく、クレジット決済で毎月前借りして暮らしているのならば現金決済の有り難みを感じるため、と考え、おいしいと感じられないのならおいしいとの感情を有り難がれるための布石と判断する。
都合の良い解釈だなあと思いますが、自らが健康に暮らすためには適度な都合の良い解釈は必要です。
もちろん他所様を痛めつけてしまうのならば考えないといけませんし、もしかしたら辛苦な状況も今後の布石として面白がろうとするのは並大抵の胆力ではまかりきれないのかもしれませんけれど。
閑話休題。
自分も山であり自然、という考え方を持った際に思ったことはガイア理論です。
【ガイア理論】とは「地球も一つの生命体だよね」という考え方ですが(生命体の細胞が我々動植物という旨)、つまりそれはフラクタルということです。
フラクタルとは簡単に言えばブロッコリーやロマネスコ。
伝わりにくいかもしれない表現をすれば、百を構成している一の中にも百が構成されておりその百の中の一にも百が…という感じの考え方です。
わたしは真理とかにはもう興味がなく考えることに興味があるので【ガイア理論】が "正しいか否か" なんてのは至極どうでも良いです。
『 "正しいか否か" を求める心』というのはとどのつまり〈樂をしたいだけ〉の意識だと解釈しているからですね。
樂をしたがると、いずれ足元を掬われると思っております。
まあそこらへんも平衡感覺次第なのでしょうけれどね。
そういった【ガイア理論】を狭量で矮小な脳みそに入れて考えてみれば『自分は自然』『俺はガンダムだ』と思うと共に『自然は自分』『ガンダムだも俺』と思うこともできます。
そう思えば、見ず知らずの方も自分の化身、生き別れた細胞の一つと考えられ、愛し尊重することはできませんか?
できませんか。。
まぁ物事には順序というものがありますもんね…。
とはいえ。
この度わたしは《自分は自然であり自然も自分》ということに考え至りました。
つぅことは神も仏も全てわたしということで、『一は全、全は一』ということです。
わたしもあなた様もわたし様であなた神仏イェー٩( ᐛ )و
これから暑なっさかりなまつになりますので、どうぞお身体にお氣をつけください( ¨̮ )
片割れより愛を込めて( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )
