【創作大賞2024】アンチロマンス 第四話
会計を終えたビール缶をエコバッグに詰めて持ち上げる。葵が「和くん、あたし持とか」と言うので、俺は「じゃあこっち持ってくれ」と天ぷらの袋を差し出した。
出町柳駅徒歩五分、出町桝形商店街は冬でも活気に満ちている。俺もここが気に入っていた。日用品も食料品も飲食店もなんでもあるし、なにより映画館があるのだ。五十席足らずの小さなスクリーンがふたつあるばかりのミニシアターで、一階にはカフェと映画関連の書籍を扱う書店が併設されている。俺と葵のデートといえば、五回に一回はこの映画館だった。
ゴダールの新作公開に合わせて過去作品が上映されたときには毎週のように通った。『サタンタンゴ』のオールナイト上映を見たあとには朝の鴨川を散歩した。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を三作品連続で見て、商店街にやって来ていた本物のデロリアンの写真を撮った。葵と付き合い始めて五年、何度ここへ通ったかわからない。
趣味が合う友だちというのは貴重なものだ。陽香は映画に興味がないから、というよりむしろ極度の怖がりであまり映画を見ようとしないから、一緒に映画館に行くなんてほとんど夢に近かった。その点葵は「映画でも行かない?」の一言で連れ出せる。今日もそんな感じで出町商店街で映画を見たあとだった。
軽くお茶をして映画を見たら解散、の予定だったけれど、帰りに俺が商店街で晩飯用の天ぷらを買おうとすると葵が「ええな、あたしも天ぷら食べたい」と言った。それで結局、俺の下宿で一緒に晩飯を食べることになったのだ。
二月の空気は澄んで冷たい。夕焼けが空をだんだらに染めていた。
俺たちは天ぷらの袋とビール缶の詰まったエコバッグをそれぞれ手に、肩を並べて歩く。さっき見た映画の感想は話さない。最初のころ、意見の食い違いで軽い口論になったことがある。それで空気が険悪になったというほどのこともないが、お互いエネルギーの無駄遣いだからやめようという話になったのだ。見た直後は嫌でも熱くなる。それが一週間もすると冷静になって、たとえ意見が食い違ったとて口論になることもない。だから鑑賞直後は映画の話はしないのが俺たちのルールだった。
「そういえばあたし、ここの豆餅食べたことない」
河原町通りに店を構えた餅屋の前を通りがかったときだった。葵がふとそんなことを言った。
「京都住んでるのに食べたことないの? うまいよ」
そこは京都の人間なら知らないものはいない名店だった。俺もときどきこの味が恋しくなって、朝から並ぶことがある。
「京都言うてもあたしが住んどるの洛外やからなあ。休みの日に朝から電車乗ってお餅買いに行こかなって、なかなかならへんねんよな。一回食べてみたいけど」
たしかにここの名物である豆餅は朝から行列に並ばないと入手できない。午後には売り切れてしまうのだ。俺はかれこれ六年間百万遍のあたりに住んでいるから食べようと思えばいつでも食べられるが、伏見に住んでいる葵にはハードルが高いのかもしれなかった。
「じゃあ今度の休み俺が買っとくから、うちに食べにこいよ」
「ええの?」
「いいよ。一回陽香にも買って持っていってやったことあるし」
陽香がまだ学生だったころの話だ。陽香の下宿から出町商店街までは二十分以上歩く。往復四十分だ。ただし三十分は歩かないので、バスを使うのには微妙な距離だ。「今食べたい。でも歩きたくない」と電話を寄越した陽香のために、豆餅を買って下宿まで届けたことがある。
「そうや、陽香ちゃんどないしとる? こないだ会社の同僚と別れたんやろ」
陽香が十人目の彼氏と別れたのは昨年末のことだ。葵は陽香と会ったことはないが、俺が頻繁に話をするためほとんど知り合いのような気分でいるらしい。
「最初の二週間はひどかったけど、今はそこそこ立ち直ったよ。次はマッチングアプリで相手探すって燃えてた。しかもレズビアン専用のアプリ」
「そらまたなんで。陽香ちゃんノンケやろ」
「あまりにも男と恋愛が続かないから、自分はもしかしてレズビアンなんじゃないかって疑い始めたんだよ」
男を好きになって自分から告白などしている時点でおそらく陽香の恋愛対象は男なのだが、まあバイという可能性もあるし、そのほかのまだ聞いたこともないようなセクシュアリティである可能性も否めない。好きになるのは男だけれど好かれたいのは女、とか。だから俺はなにも言わなかった。好きにしたらいい。
「陽香ちゃんがほんまにゲイやったらいよいよ和くん望みナシやねえ」
葵が眉尻を下げて言う。俺は呆れてしまった。
「なんで葵が残念そうなんだよ」
「そら和くんのことは甥っ子みたいにかわいいと思っとるから。幸せになってくれたらええなって」
甥っ子ときた。俺は一応葵の恋人なのだけれど。しかしまあ恋愛感情を持たない葵にとってそれが最大級の親愛の表現であることもわかったので、俺は「それはどうも」と答えることにしておいた。
「でも俺、結構今でも幸せだと思ってるよ」
信号を待ちながら言う。葵が首をかしげた。
「永遠の片思いでええん?」
「できたら付き合いたいけどさ。でもなんていうか、葵と付き合ってるうちにわかったことがあって」
河原町通を走っていく車を見るともなしに見ながら俺はいつかのことを思いだした。たしか二年前の春だ。俺がスピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』を見ていないと言うと――恋愛映画にもミュージカル映画にもそこまで興味がなかった――葵は湯気の出るほど怒って、俺を出町商店街の映画館まで連れてきたのだ。そのころシネマ・コンプレクスはどこも公開終了していて、上映しているのがこの小さな映画館だけだった。それで上映後、「ごめん葵、見れてよかったわ」とかなんとか言いながら、ぶらぶらと鴨川沿いまで歩いたときのことだったと思う。
空は青かった。いい天気だったけれど雨のあとだったから鴨川には人はそれほど多くない。俺は今出川通を川のほうへ歩きながらちらと葵のほうを見た。葵は映画館でひどい号泣をしたあとで、すました顔をしてはいるがまだ目元がわずかに赤かった。
不思議だな、と思う。葵は恋愛感情を持たない。けれどこうして、恋愛映画を見ては涙を流すことがたびたびあった。それが俺にはよくわからない。恋はしない、けれど恋に共感はする。よくわからなくて、気づけば俺はこんなことを口走っていた。
「あのさ。恋しないってどんな気分なの」
言ってからすぐ、失礼だったかなと気づいた。すぐに「あ、いや、ごめん」と訂正すると、葵は「別にええけど」なんてあっけらかんと言って首を傾げる。
「でもそやなあ、逆に恋するってどんな感じ?」
俺たちはしばらく見つめ合った。それから同時にふっと笑いをこぼす。
「そうだな、むずいなこの質問」
「感覚的なもんやからね」
葵が言いながら川岸への階段を下った。背中越しに声が飛んでくる。
「映画も小説も恋愛を描いた作品ばっかりやからさ。それがどんなもんか想像はできる。見る分には嫌いちゃうよ」
そういえばこいつの好きな映画は恋愛を描いたミュージカル映画だったなと思い出す。若い二人が出会い、恋をして、最後には別れる。なんてことない話だ。と、俺は思ったのだけれど、葵はそれをいたく気に入っていた。
「でも実際に恋してみたいな、って思ったことはないかな」
川に近づきながら葵が続ける。
「あたしにとってはファンタジーやねんよ。『ハリー・ポッター』とか『ロード・オブ・ザ・リング』の世界。クィディッチを見て楽しそうと思う気持ちと実際にシーカー目指そって思う気持ちは違うやん?」
それは、そうかもしれない。もちろん世の中には実際にクィディッチをやってみたい、箒で空を飛んでみたい、魔法を使ってみたいと切望する人もいるのだろう。けれど大人になるにつれそれは真面目な願望ではなくなっていく。たいていの人にとって魔法とは、自分とは無関係の、スクリーンの中でしか見ることのできない幻想だ。
「ていうかおまえにとって恋はクィディッチなのか」
「そう。逃げるわ追うわ衝突するわでときどき骨折する」
「骨は折れねえよ」
「心が折れるやん?」
ひどい恋愛観だ、と言い返したかったけれど、万年恋心複雑骨折の俺がなにを言えるはずもなく。かわりにはあ、と大仰な吐息がこぼれ出た。
「まあ葵、恋愛しなくても楽しそうだもんな」
俺の言葉に葵は立ち止まった。思いがけずといった感じだった。怪訝に思ってその顔を覗き込むと、葵は不思議そうに眉根を寄せていた。
「楽しそう?」
「楽しくないの? 少なくともさみしそうには見えないけど。インスタとかTwitter見てても」
友だちとイルミネーションに行っただの、同期と花火をしただの、ひとりで紅葉狩りに行っただの、家族とお花見に行っただの。インスタを見ていて葵がさみしそうだなと思ったことはない。やりたいことを一緒にする友人もいるようだったし、おひとりさまをためらう様子もなかった。恋をしなくても、葵は楽しそうだった。
けれど俺の言葉を聞いて葵の顔には驚きが浮かんだ。
「そう言われて、あたしも今気づいた。あたし、さみしくないみたい」
目が合う。驚きに硬直していた頬が弛緩して、ゆるゆると葵は笑った。
「友だちも家族もおるし、和くんもおるもん」
俺はなんとなく「和くんも」と言われたことが照れくさくて顔をそむけた。
「スキンシップしたくなったりはしないのか。スキンシップは友だちとはできないだろ」
「和くんは好きちゃう人とスキンシップしたい?」
したくない。たしかにそうだ。触れたい、触れてほしいという願望は、人にはよるがある程度は恋愛感情と結びついている。恋をしない葵にスキンシップをしたいという欲がないのは理解できることだった。
葵は自分の発見がなにか特別で大切なものであるかのように、「あたし、全然さみしくないわ」ともう一度呟いた。それからうんと伸びをして、とん、とんと飛び石を渡り始めた。俺はそうするとなんだか恋愛にかかずらって切なくなったり傷ついたりしている己が不憫に思えてきて、「恋は恋で楽しいぞ」と彼女の背中にぶっきらぼうに言った。ちいさな敵愾心だった。
「それもわかるよ。でもそうやな、あたしにとっては、恋愛ってお菓子みたいなもんなんかも」
飛び石の途中でくるりと葵が振り向く。俺は葵を追って、白い石に足を伸ばした。
「お菓子? ケーキとか?」
「それでもええけど、どっちかと言うと、うーん。ロリポップキャンディかな」
葵の隣まで追いつくと、葵はすぐにまた背を向けて飛び石を渡り始めた。俺もそれに続く。
「甘かったりしょっぱかったりいろんなフレーバーがあって、それを舐めてる間はたしかに味がする。けど舐め終わって棒だけになったらゴミ箱にポイせなあかん」
デルタまでたどり着くと葵は俺を振り返った。鼻のてっぺんは赤かったけれど、ラメのアイシャドウがすこし流れて頬についていたけれど、いい笑顔だ、と思った。
「やから、キャンディを『おいしい』って言うのも真実なんやろうけど。たまたまあたしの口には合わへんかった。それだけの話なんかも」
そう言った声はなんだか清々しかった。俺は敵愾心を燃やしていたのが馬鹿らしくなって、葵の隣に立ちながら「シンプルだな」と言った。葵は「シンプルやねん」と答えた。
ロリポップキャンディは数ある嗜好品のひとつにすぎない。人生に絶対必要なものではないし、最高の価値が置かれるものでもない。気ままに楽しむのも、見向きもしないのもその人次第で、それでその人の価値が決まるようなものじゃない。
葵といると、ときどきこんなふうに今まで出会うことのなかった考え方に直面する。映画の感想を話しているときもそうだ。俺と葵では世界の切りとり方が違う。けれど不思議と、それが心地よかった。
葵と俺の間にはいつも境界線が一本引いてある。所詮俺たちは他人なのだという境界線だ。それを侵して相手の価値観を否定することはしない。理解できないのならば干渉しない。ただ相手にとっては「そう」なのだということを知っておく。それが俺たちの間のルールだった。映画を見た直後は感想を話さないのもそのためだ。だから葵といるのは気楽だった。
「だったら、おまえからすると俺はいつまで同じ飴舐めてんだよって感じ?」
「正直そう」
「傷つくわ」
迷う間もない即答だった。俺はすこし笑って、けれどすこしはやっぱり傷ついて、こう言った。
「一生舐め続ける予定なんだけど」
葵は俺を見て笑った。からかいの混じった笑顔だった。
「一生舐めてまだ味がするんやったら、それはもう恋じゃなくて親愛なんちゃう?」
どうだろうか。その話をするには、まず恋の定義から始めなくてはならないだろうなと思う。けれどその議論を俺と葵でやるのは無謀だろうなという気がした。かたや恋をしないアロマンティック、かたや一人の人間にしか恋をしたことがない経験不足。机上の空論以外になり得ない。
けれど、この気持ちが親愛になるならそのほうがいいとも思った。どうせ叶わない恋なら、さっさと舐め終わってゴミ箱に捨ててしまいたい。それで親愛の情でゆるやかに穏やかにつながっていけるなら、それはそれで悪くない気がした。
空は青かった。春の穏やかな風が水面を吹き抜けていって、横には清々しい顔で笑う葵がいる。いい日だな、と思った。
思い返せばなんてことはない思い出だ。けれど俺にとっては、たぶん意味のある思い出だった。俺は通り過ぎていく車を見送りながら言う。永遠の片思いでいいのか、という話だった。
「恋って、そんなに大したものじゃねえんだよ。俺はずっと、好きになって好きを返してもらって結ばれる――そういうのを一番の幸せだって考えてたんだと思う。でも葵みたいに恋をしない人間もいて、そういう人たちは恋以外のところでちゃんと幸せを見つけてるだろ」
誰かと親密になり、思いを交わしあって幸せを共有する。それは恋がなくたってできることなのだと気づいた。俺だって、葵と友だちになれて幸せだと思ってる。もちろんそんな歯の浮くような台詞を言うはずもないが。
「だから好きな人と結ばれるっていうのは、幸せになるための必要条件じゃなかったんだなって」
信号が変わる。俺たちはゆっくりと賀茂大橋のほうへ歩き出した。
「今のままでいいんだ。あいつが俺のこと好きにならなくても、一番近い友人としてこれからもそばにいられたらそれでいい」
「和くん」
葵がどこか切なそうに呟いた。それからため息。
「そう思うんやったら蛙化現象を治すお手伝いして、陽香ちゃんがまっとうな恋愛できるように応援したげたらええのに」
「それはやだ」
たしかに俺は陽香の蛙化現象の原因を知っている。うまくやれば、克服することだってできるかもしれない。だけどそうして陽香が俺の知らない誰かとまっとうに恋愛するのだけは、やっぱり嫌なのだった。とっとと恋愛なんてあきらめて俺の親友として一生を終えてくれと願う、それくらいの嫉妬心は許してほしい。
葵はくすくすと笑う。これは「かわいがられ」ているやつだ。ときどき葵はこんなふうに俺をかわいがるのだった。やめろと言ったら口に出しては言わなくなったけど。
「でもさあ。蛙化現象を克服したら、もしかしたら自分も陽香ちゃんに告白できるかもとか思わへん?」
それは正直何度も考えた。俺が陽香に自分の気持ちを悟られないよう偽装恋愛までしているのは、陽香が「自分のことが好きな人が嫌い」と言ったからだ。だから陽香のそのやっかいな性癖さえ治すことができれば、俺にだってチャンスはあるんじゃないかと。
けれど何度考えても答えは決まっていた。
「あいつ、誰彼なしに告ってるわけじゃないから。毎回ちゃんと吟味して、好きになれそうな人にだけ告白してる。つまり」
「一回も告られたことない和くんはアウトオブ眼中かあ」
かわいそうに、と葵が憐みの目を向けてくる。俺はそれを思いきりねめつけてから言った。
「好きでもないやつから『いつか好きになるかもしれないから付き合って』って言われるつらさは葵が一番よく知ってるだろ」
「まあね」
もう五年前の話だ。俺と葵が付き合うようになったきっかけ。
「だからいいんだよ、今のままがいい」
賀茂大橋を渡りながら俺はそう言った。自分で思っていたよりも明朗な声が出た。葵は「そっかあ」と感慨深げにうなずいた。それから、一言。
「ほな、あたしと結婚する?」
はた、と俺は足を止める。葵はにこにこと俺を見ていた。俺はビールの詰まったエコバッグ、葵はえびとたらとさつまいもの天ぷらをそれぞれ手に持っていて、夕焼けの賀茂大橋を百万遍のほうへ渡っていく、そんなときだった。
「もちろん法律婚じゃなくてもええんやけど」
葵が付け加える。俺が期待していた言葉ではなかったから、俺は自分から問いを発さねばならなかった。
「結婚って、なんで」
「五年付き合って、あたしはもう働き始めて四年経つし、和くんも修士修了するやん。この機会に新生活もええかなって。経済的にも助かるし、家事分担もできるから楽やろ」
そうじゃない。いや世間一般的にはそうなのかもしれないが、俺たちに限ってはそうじゃないだろ。
俺たちはうわべだけの恋人だ。一、二か月に一回は一緒に映画を見に行って、ときどき俺の下宿で飲みながらくだらない話をする。陽香に「なんか和斗ってデートいっつも映画じゃない?」といぶかしまれたら証拠づくりに大阪のテーマパークに出かけたり、西陣のチョコミント専門店で大きなパフェをつついたりして。しかしそこには恋など一切ない、要するに実態は「めちゃくちゃいい友だち」なのだった。
俺の言いたいことを葵も感じ取ったようだった。すい、と視線を空に投げかけて言う。
「あたしも和くんと付き合って気づいてんよ。結婚って、恋がなくてもできるんかもって」
俺に向かって微笑むと、葵は欄干に身を寄せて川岸のほうを見た。俺はその視線の先を追う。
「あたしも恋を『大したもの』やとずっと信じとったみたいでさ。恋っていうのは人と人を結びつけるただ一つの引力で、それがないあたしはどっか欠落しとるって思ってた。けど恋がなくても誰かと絆を結ぶことは可能で。誰かの人生に加担することも可能なんやと思う」
鴨川沿いにはカップルたちが等間隔に並んでいる。いいや、彼らはもしかしたら友だち同士だったかもしれないし、もっとほかの関係性だったのかもしれない。親しげに肩を並べるふたりが必ず恋仲だとは限らない。この世界には恋以外にも多様な関係性がある。すべてを恋に一元化などできない。
「この人の人生にやったら巻き込まれてもいいかな? っていう覚悟と、この人やったらあたしの人生に巻き込んでも許してくれるかなっていう信頼と。結婚――というか、一緒に生きることに必要なんって、案外恋じゃなくてそういうもんなんかもって、和くんとおったら思うようになった」
夕焼けに葵の横顔が赤く染まっていた。その顔を見たとき、ああ悪くないかもなと思った。
この人と一緒に生きるのも、悪くはない。
「葵にとって、俺はそういう人間なの」
「和くんが失業したらその間の生活費払うくらいはやったげるよ」
葵が俺を見てにこりと笑う。プロポーズの言葉にしては妙に生々しいと思った。だけど葵らしいなとも。彼女のそういうところは俺も結構気に入っている。
だから俺もつられて笑った。
「そうだな。俺も、葵がおばあちゃんになったとき施設探すくらいはしてやるよ」
「なにそれ、二つしか歳変わらんやん」
「あー、じゃあ一緒に施設入ろう」
「一緒のお墓に入ろうじゃなくて?」
葵に肘でつつかれて、俺はやめろとそれを振り払った。葵は楽しそうに笑っていた。踊るように一歩前へと足を踏み出す。
「なにはともあれまずは卒業やけどね」
「そんで就職。ああ、六年間の学生生活も終わりか」
「『ドルチェ・ヴィータ』ともさようならやなあ」
天ぷらの袋を揺らしながら先を行く葵を追いかける。肩を並べたら、そこが自分の居場所だとしっくりくるような気がした。俺たちは手もつながなかったし、腕も組まなかったけれど、たぶん一緒に並んで歩いていくくらいはできるはずだった。
