【創作大賞2024】終末、きみの名を 第一話
【あらすじ】
「僕」が聞き慣れぬ声に呼び起こされ目を覚ますと、そこは人類の滅亡した東京だった。記憶をなくしていた「僕」は仕方なく、「僕」を起こした「きみ」の人探しを手伝うことにする。「きみ」は自らを魔法使いだと名乗り、荒廃した街を軽やかに進む。「僕」は奔放な「きみ」に振り回されながらも次第にこころを開いていく。しかしそこに、「きみ」を連れ戻しに来たという魔法使いたちが現れ、事態は急展開を迎える。
「起きて、――」
声がした。優しい、どこか懐かしい声だった。誰を呼んでいたのかはわからない。僕ではなかったのかもしれない。けれど僕にはその声がどうにも、さみしくて悲しくて泣いているように聞こえて、無視することはできなかった。
たとえその声が呼んだのが僕ではなかったのだとしても、僕はその声に揺り起こされたのだ。
まぶたを開けると、世界の明るさにわずかに目がくらんだ。何度か瞬きを繰り返して完全に目を開ける。部屋の照明はついておらず、仄暗い。しかし窓から差し込んだ陽光が今は昼なのだということを教えてくれた。体を横たえたまま顔だけ倒す。するとベッドサイドに、見知らぬ顔があった。
僕を見てにこりとほおえんで、その子どもは「おはよう」と言った。子どもと言ったが正確な年齢はわからない。十代後半から二十代前半に見える。顔立ちは女のようだが、声は女にしてはすこし低い。しかし男というにはやや高く、肩まで伸ばした金色の髪、華奢で小柄な体躯と相まってどちらかと言えば女に見えた。服装からなにかわかるかと言えば、もっとわからない。グリーンのスカジャンにデニム。女でも着るだろうが、男っぽいと言ったほうがしっくりくる。
敵意が見えるかどうかは微妙なところだ。そいつのほおえみは無邪気な子どものようにも見えたし、なにか得体の知れぬ不思議な深さをたたえているようにも見えた。しかし僕の家に勝手に入り込んでいたのだ。警戒するのは当然のことだった。僕は上体を起こして問う。
「誰ですか」
僕の喉から出た声は意外にも冷静だった。金髪はスカジャンのポケットに手を突っ込んだままのらりくらりと答えた。
「怪しいものじゃないよ」
怪しいものじゃない、と言われてはいそうですかと信じるわけがない。僕は枕を体の前に構えてベッドの上を後ずさった。武器にできるようなものがないか部屋の中を探したが、あいにく僕の部屋はひどく殺風景だった。ベッドとクローゼットと収納用のカラーボックス、そしてデスクがあるばかり。花瓶のひとつも置いていればよかったものを。
「なぜここにいるんですか」
この質問に、金髪はすこし眉尻を下げてみせた。
「人を探してるんだ。ここにいるかなって思ったんだけど」
ここにいるもなにも、ここは僕の家だ。僕以外いるわけがない。
ない、よな?
ぐらりと頭が揺れるのを感じながら僕は「なら出て行ってください」と言った。どうやって入ったのかとか、警察に通報しなきゃとか、いろいろ考えたことはあったけれどそれよりもまずこの不気味な客に消えてほしかった。
「でも、おまえに出会えたのは僥倖だった」
僕の話は聞かず、金髪は勝手に話を続けた。僕のほうへ歩み寄ってくる。僕はさらに後ずさった。壁に背中がつく。
「僥倖。なぜです」
「おまえに協力してもらいたい」
「人探しを? 警察にでも届け出たほうがいいですよ」
もっとも今の状態で警察なんて呼べばあなたはしょっ引かれるでしょうけど。そう言おうとする前に金髪はずんずん近づいてきて、僕の目の前に立った。
「警察はもう無理だよ。立てる? ずいぶん長いこと眠ってたみたいだけど」
言葉の意味は何一つわからない。それよりも差し伸べられた手が不気味だった。僕は冷たく「立てますから出て行ってください」と言った。金髪はやはり僕の言葉を無視して、僕の手を勝手に掴んで勝手に引いた。僕は引きずられるまま地面に降り立つ。どうしてだか抵抗できなかった。
立つと同時に、くらりと平衡感覚を失って僕はしゃがみこむ。
「ああ、ごめんよ。やっぱり急に立ったのはまずかったかな」
心配そうな声が頭上から振ってくる。僕はとっさに「大丈夫です」と言った。どうしてそんなことを言ったんだか自分でもわからない。正体不明の不法侵入者に。
「よし、じゃあ立って。行こう」
「だから僕は人探しなんて」
「ああ、そうだ、おまえのことなんて呼んだらいい?」
なんて話を聞かない人だろう。僕は「どうでもいいでしょ」と言いながら立ち上がった。立ち上がると、金髪の小柄なのがよくわかった。
「だめだよ。名前は大切なんだ。名前がないと、ぼくらは自分が誰なのか見失っちゃうだろ」
もっともらしいことを言う金髪に僕は息を詰めた。こんな不審者に名前など教えるものか、と抵抗する理性とうらはらに、唇が動いて自らの名前を勝手に口走りそうになる。
けれど、声など出なかった。
「な、まえ」
やっとのことで出たのはその三音節。あとは僕ははくはくと唇を動かすことしかできない。金髪はすこし悲しそうな顔をして、それから視線を伏せた。「うん」と声が聞こえる。僕は唾液を飲んで、もう一度声を出そうと試みた。
「僕の、名前は、なに」
思い出せない。自分が、なんという名前だったか。
金髪は「そっか」と言った。驚きもしなかった。短く息を吸う音が聞こえて、ぱっと顔を上げたときには明るい笑み。
「じゃ、どんな名前で呼ばれたい? おまえの好きな名前で呼んでやるよ」
「そんな、そんなことを」
言っている場合か。名前が思い出せないのだ。なぜ? 僕はいつも通りこの部屋で眠りについた。いつも通りだ。それなのに――いや。
果たして僕は本当にいつも通りこの部屋で眠りについただろうか。
思い出そうとして眉根を寄せる。ない。記憶がない。眠りにつく前、僕がなにをしていたか思い出せない。昨日のことだけじゃない。これまでのすべてが、だ。僕は誰で、なにをして生きてきて、どうしてここにいるのか。空っぽだ。僕は、なにも覚えていない。なんだ。なにが起こったんだ。
なにも覚えていない僕の元へやってきた、こいつはなんなんだ。
「きみは、一体、誰」
金髪はにこ、と笑った。深い海の底で眠る真珠のような、静かで悲しげで、だけれど美しいほおえみだった。
「人を探しているんだ。もうずいぶんいろんなところを旅した。たくさんの空とたくさんの海を越えて、何年もかけて。でも見つけられないんだ」
謎めいた言葉だった。僕は頭が痛むのを感じる。わからない。自分のことも、この人間のことも。ただ聞きたいのは、そんなことじゃなかった。
「どうして僕を起こしたんですか」
ここに尋ね人がいないなら、僕のことなど無視して去ればよかった。なのにこいつは僕を呼んだ。僕と出会えたのは僥倖だと言った。
「きみは、僕のことを知ってるんじゃないんですか」
金髪はまだ笑っていた。やはりどこか物悲しいような笑みだった。
「わからない。どうだろう。ぼくはおまえを知ってるのかな」
「なぞかけはよしてください。じゃあどうして僕を起こしたんですか」
「そっちの理由は簡単だ」
金髪は僕に背を向けてクローゼットを開けた。下のほうに置いてあった靴を取り上げて、僕に投げて寄越す。僕はそれを慌てて受け取った。金髪は短く「履いて。行こう」と言う。改めて自分の格好を見下ろしてみると、ワイシャツにベスト、黒のスラックス。靴さえ履けばなるほどどこへなりと行けそうではあった。しかし問題はそこではない。
「行くって、どこへ。病院?」
「病院なんてもう意味がないよ」
わけがわからない。記憶喪失なのだからまず行くべきは病院だ。意味がないって、僕の症状はそんなにひどいのか。なぜ金髪にそんなことがわかるんだ。
「いいから履いて。外に出たらわかるから」
この人間の言いなりになるのは妙な気分だったが、靴を履かねば病院にも行けないのは間違いない。果たして家の中で靴を履くのが正しいのかどうかは疑問があったが、見れば不法侵入者も土足だった。僕は革靴に足を押しこむ。両方の靴を履き終えたのを確認すると、金髪は「行こう」と繰り返して背を向けた。部屋のドアを開ける。
その途端、独特なにおいがつんと鼻を突いた。
「なん、なんのにおい」
鼻を覆いながら思わず声を出す。金髪は苦笑とともに振り向いて、「ごめんね。慣れて」と言った。それからすぐに暗い廊下へと踏み出していってしまう。僕は仕方なくその背中を追った。廊下に出て知った。僕が疑いもなく「自宅」だと思っていたここは、どうやら世間一般で言うような普通の家ではないらしかった。寮のようなものだろうか。長い廊下に、ドアがいくつか並んでいる。僕は混乱しながらも、ずんずん進む金髪を追いかけるしかなかった。光が届かず暗い。人気もない。なんだか不気味だった。
突き当りの曲がり角まで来て、金髪は止まった。僕もそれにならう。そいつの背中に隠れて前は見えない。なにかあるのかとのぞこうとしたところで、金髪が体をずらした。
「ほら」
目の前が開ける。薄暗い階段に、人が一人座りこんでいた。咄嗟に大丈夫ですか、と声をかけようとしてできなかった。
人じゃない。それは服を着た、白骨死体だった。
よく見ると死体はひとつじゃなかった。奥のほうにまだ二体。そこで初めて気づく。鼻を突くすっぱいようなこのにおい。これは死臭だ。
この建物全体に、死臭が染みついているのだ。
「なに、が」
やっとのことで出た声はそれだけだった。なにが起こっている? なぜ人が死んでいる? ただの遺体じゃない。白骨遺体だ。死んでから、少なくとも数か月は経っている。その間ほかの人間は通報しなかったのか? 警察は来なかったのか? なぜ?
「わかった? これがおまえを起こした理由だよ」
金髪が言う。僕はなにひとつわからなかったから「は?」と言った。金髪は悲しいような、感情を殺したような、如何とも言いがたい瞳で続けた。
「もうおまえしか生き残ってなかったんだ。このあたり一帯はね。だから手伝ってもらうなら、おまえしかいなかったんだよ」
何度目かの、脳の揺れるような衝撃がやってきて、僕はその場で足踏みした。痛む頭を手でおさえる。呼吸がひどく苦しい気がした。
金髪は僕の腕を掴んだ。びっくりする僕の腕を掴んで引いて、言った。
「ぼくのそばを離れないで」
うんともすんとも言えず、僕は金髪に引きずられていった。骨ばかりになった遺体の脇をすり抜け階段を下っていく。視界が揺れる。生きていたのに。生きていたはずなのに。もう物言わぬ骨になってしまった。その非現実が僕の胸を突いてひどく頭を混乱させた。恐怖よりも悲しみよりも、困惑が僕の中を渦のように駆けめぐっていた。
「なにが起こったんですか」
僕は歩きながらようやくそれだけを言った。金髪ははたと立ちどまって僕を見た。それからしばらく僕をじっと見つめて、「そのうちわかるよ」とだけ言った。僕の手を引いて、なにも言わず階段を下っていく。僕はそれでは納得できなかったから、掴まれた腕を強く引いて立ちどまった。金髪も立ち止まる。階段の踊り場だった。
「それじゃわかりません」
「わかるったら」
「わからないって言ってるんです」
僕は大声を出して叫んだ。すると金髪はぎょっとした顔で、「大声を出すなよ」と言った。僕は不思議に思って首をかしげる。
「どうせみんな死んでるんでしょう。だったら大声を出したところで」
「そうじゃない。やつらは大きな声にも反応するから」
「やつら」
ってなんですか、と言おうとして、声になったのはそこまでだった。
ひゅ、と風を切る音がした。次いでちいさな破裂音。
それが、金髪が僕の背後に向けて銃を撃った音だと気づくまでには、すこしだけ時間がかかった。
はっと背後を振り向く。そこに倒れていたものを、僕はうまく形容することができない。頭と胴と四肢があったから、人間に似ていたかもしれない。けれど土気色の肌や歪んだ体躯は醜く、ゴブリンや鬼と呼ばれる想像上の生き物を彷彿とさせた。さっきの金髪の一撃をくらったらしいその体は四肢を投げ出し倒れ、静かに、音もなく崩壊を始めていた。
僕は声も出せずそれを見つめた。
「あーあ。集まってきちゃった。あらかた倒したと思ったんだけどな」
金髪の言葉通り、どこからともなく異形たちは集まってくる。気づけば前も後ろも異形たちに囲まれようとしていた。金髪はスカジャンの下に仕込んだホルスターからもう一丁拳銃を引き抜いて両手に構える。
「走って突破しよう。絶対ぼくのそばを離れるなよ」
「なにを、言って」
「大丈夫。ぼくが守ってやるから」
行くよ、と短い掛け声のあと、金髪は両手に構えた拳銃を撃った。二体、倒れる。それと同時に金髪がたっと地面を蹴る。僕はほかにどうすることもできずに金髪のあとを追った。
ぱん、ぱん、とちいさな破裂音とともに異形たちが倒れていく。僕らはそいつらを蹴散らしながら走った。階段を下りて一階までたどり着く。寮のようだと思ったそこは、どちらかと言えば病院か大学に似ているようだった。廊下の先に広いエントランスが見える。エントランスには、異形は見当たらなかった。
金髪はよし、とつぶやくと、外へと続く自動扉の前でくるりと振り返った。僕も振り返って、そして息を呑んだ。背後には異形たちが十体ほども群れを成していたのである。
どうするんだ、と金髪のほうを見る。金髪は余裕の表情で銃を一丁デニムにねじこんだ。それからその場にすっと膝をつくと、空いた右手で床に触れる。
「凍ってろ」
ぱき、と音がして、それから一瞬だった。頬に冷気が触れて僕は瞬きする。言葉通り、異形たちは氷の彫刻のように凍ってしまったのだ。
突然のことに僕は呆然として目の前の氷を見つめることしかできない。どうして。なにが起こったんだ。こんな、こんな魔法みたいなことが――。
魔法、みたいな。
僕はくらくらする頭を必死に理性につなぎとめて金髪を見た。金髪はぱっぱっと膝に着いた埃を払っているところだった。「念のために罠を張っておいて正解だったな」とかなんとか言いながら。
「きみは、一体」
金髪は異形たちがしっかり凍っているのを確認しながら僕の問いに答えた。よく見ると床にマジックか何かで円形の模様が描かれている。金髪の言う「罠」だろうか。
「言っただろ。人を探してるんだってば」
「そうじゃない。そうじゃなくて」
僕は首を横に振った。そんな答えが聞きたいんじゃなかった。すると金髪は僕の言いたいことに気づいたらしく、「ああ」と僕を見てうなずいた。
「あは、そうだね。こんなふうに名乗ったことはこれまで一度もなかったけど」
にこ、とはにかんで、金髪は自動扉に触れた。とうに壊れて動かなくなったらしい、自動扉にだ。
「魔法使いなんだ、ぼくは」
する、とまるで魔法にでもかかったかのように、自動扉が滑らかに開いた。
「説明すべきことはそんなに多くないね」
林の中を抜けながら金髪が話す。季節は晩秋か冬だろうか。冷たい風が木の葉を鳴らして吹き抜けていく。さっきの施設はちょっとした山の中にあったようで、金髪の「目的地」とやらに行くためには山を下りなければならなかった。僕はどうすることもできず、金髪に従っている。
「さっきの気持ち悪いのが敵。人間を食い殺すためにどこからかやってくるんだ。で、ぼくら魔法使いがそれと戦ってる。戦い自体はずっと古代から続いてたんだ。人目につかないようこっそりとね。でもここまでひどいことになったのはここ数年かな。東京の魔法使いはもうみんな死んだみたいだね」
「死んだって」
「見ただろ? さっきの建物が東京魔術学院。研究施設と教育機関を兼ねた大学みたいなものだよ。東京の魔法使いたちの本拠地だ。そこが落ちたってことは、もうだめだね、壊滅的」
ぱきん、と木の枝を踏んで金髪が言う。僕は考えるより先に問いを投げかけた。
「それって、普通の人間はもちろん」
「死んだと思うよ。東京はもう終わりだ。地方にはまだ生き残りがいるかもしれないけど」
なんでもないことのように言って、金髪は歩き続けた。けれど僕はそれ以上歩くことができずに立ち止まる。死んだ? みんな死んだだって? なんだ、それ。僕は頭を抱えてその場にうずくまった。枯れた葉がかさりと音を立てた。
しばらくして金髪の足音が止まった。それからすぐにこちらに近づいてくる。枯葉の音が聞こえて、僕の目の前で声がした。
「悪かった。起き抜けにこんな話、驚いたよね」
今更普通の人間のようにそんなことを言う。僕はわけがわからなくなって顔を上げた。金髪は心配するような顔をしていた。
「すこし休憩しよう」
金髪は僕の手を引いて立たせると、近くの倒木まで歩いて行ってそこに僕を座らせた。枯葉をせっせと集めて何をするのかと思えば、腕いっぱいに持ち上げたそれが次の瞬間には一枚の大きな布になる。金髪はそれを僕の肩の上にかけた。白い、なんの変哲もない綿の織物だったけれど、冬の寒空にはあたたかかった。
金髪がすい、と空を見上げる。つられて僕も空を見た。空は青かった。それが僕にはどうも不思議に感じられた。人が死んでも、空は青いのだ。
しばらくそうしていると、気分が落ち着いてきたのか聴覚が研ぎ澄まされ、鳥の声が聞こえるようになった。僕は目を閉じる。なんという鳥か当ててみようとしたが僕には鳥の知識がてんでないらしかった。これも記憶喪失の一環だろうか。それとも前の僕も、そうだったのだろうか。
「鳥は、無事なんですね」
ふと思い立ってそんなことを言った。近くの木にもたれかかっていた金髪は僕を見てうなずく。
「あれが積極的に殺すのは人間だけだ」
「どうして」
「どうしてだろうね? 魔術師たちも研究はあれこれ進めてきたけど、まだよくわかってない。仮説ならあるけど」
仮説でもいいから聞きたかった。僕は続きをうながす。金髪は視線を正面の木に投げかけながら話し始める。
「あれは神さまの御使いなんだよ。人間が堕落したらやってくる。古来より神さまはときどき人間を裁くだろ」
「大洪水とか、ソドムとゴモラとかですか」
「そうそう。だからあれもそういう神さまの裁きなんじゃないかってね。ほかの動物が巻き込まれて死ぬことももちろんあるけど、堕落した魂を持つのは人間だけだから積極的には殺さない」
金髪の言葉に僕は目を細める。神の裁き。それは、まるで。
「終末みたいだ」
知らず僕の口から言葉がすべり落ちていた。金髪は僕を見てうっすらと笑った。
「そうだよ。だからぼくらはあれを黙示録のラッパ吹きになぞらえて『天使』なんて呼んでる」
「クリスチャンが聞いたら怒りそうですね」
「魔法使いにはクリスチャンはいないんだ。魔女狩りでずいぶんひどいことをされたから」
それは道理だ。魔術はキリスト教では長らく迫害されてきた。相容れるはずもないだろう。
金髪は不思議な笑みのまま唇を開いた。
「天使と戦うぼくらは悪魔か獣なのかもね」
その表情は、悲しげでもなければ楽しげでもなく、ただ唇の端をすこし持ち上げただけの形ばかりの笑みだった。僕は顔を伏せる。
「僕は」
なんと言えばいいのか、わずかに迷いがあった。けれど逡巡は一瞬だった。
「あそこで眠っていた僕もまた、獣か悪魔ですか」
世界が終末へと向かっているというのに、魔法使いたちの拠点でひとり眠り続けていた僕は、いったい何者なんだろう。金髪と同じ魔法使いなのか? だとしたらなぜ眠っていた? なぜ記憶がない? なぜ「天使」に食われなかった?
しばらく沈黙があった。鳥の声と風の音ばかり聞こえる沈黙だった。それから短く金髪が言った。
「ごめんね」
それはなにに対する謝罪だったのだろう。わかったのは、金髪は僕のことについてなにも知らないか、知っていても教えてくれないということだけだった。深く、息を吐く。
「そろそろ行きましょう」
僕はそれだけ言って立ち上がった。ごめんね、に対してどう答えていいのかわからなかったからだ。金髪が作ってくれた布を体に軽く巻きつける。金髪はわずかに笑って「うん」と言った。やっぱり、唇の端を持ち上げただけの笑顔だった。
山を下りたら、いよいよ終末が来たのだと認めざるをえなかった。家々の窓や壁は壊れ、道端に白骨死体が転がっている。ときどき曲がり角からひょっこり「天使」が顔を出すのを拳銃でぱんとやりながら、金髪と僕は暮れなずむ街を歩いた。電線にとまったカラスがうるさく鳴いていた。
「いろんなとこを旅してきたけど、ここまで荒廃してるのは初めて見たな」
道の真ん中に倒れた死体を避けながらきみが言った。
「この世界はどうなるんだろうね。このまま人間はぜんぶ天使に食い尽くされるのかな。そのあとはなにが起こるんだろう」
「あと。このあとがあるんですか」
僕はまた頭が痛むような気がした。ただでさえ街は壊滅状態なのに、このうえまだなにか起こるっていうのか。しかしきみは首をかしげるばかりだった。
「わからない。だれも見たことないから。現代の科学では宇宙の終わりを解明できないように、現代の魔術では世界の終焉を予測できないんだ。黙示録にはなんて書いてあるんだっけ?」
そんなこと知らない。きっと記憶を失う前の僕はクリスチャンではなかったのだろう。金髪も答えが返ってくるとは期待していなかったようで、うっすらと笑って話し続けた。
「火でも降ってきたりして」
嫌な想像だな、と思った。そうなったらいよいよ僕らはおしまいだ。いや今の時点で十分危機的状況なのだけれど。街に人はいない。食べ物もおそらくはない。化物がそこらをうろついている。死ぬのは時間の問題だ。
だけれど今の僕には、死ぬ、ということがさほど怖いことにも感じられなかった。記憶をなくしたせいだろうか。あるいはあまりに非現実的な光景のせいかもしれない。ただ強い困惑があるばかりで、恐怖は分厚いヴェールの奥にしまいこまれたかのように遠い存在だった。
「火が降ったらどうしようね? 銃では太刀打ちできないな」
そう言いながら金髪は銃を空に掲げた。僕はふと気になってたずねる。
「それ、弾はどうなってるんですか。もうずいぶん撃ったけど」
「ないよ。これは拳銃の形をした魔術具だからね。魔力を内部で増幅させて撃ち出してるんだ。似たことはこれがなくてもできるけど」
金髪は空いているほうの手をピストルの形にして、ちょうど建物の陰から現れた天使に向けた。その指先から光が走って、ぱん、と天使の額へとまっすぐ向かっていく。そいつが倒れるのは一瞬だった。
「道具に頼るほうが楽だろ。ライターを使うか木で火起こしするかみたいな違いさ」
わかったようなわからないような説明に、僕は「はあ」と答えた。すると金髪は立ちどまって、思いついたようにホルスターからもう一丁の拳銃を引き抜いた。
「これはおまえに渡しておくよ」
「ええ? 魔力を撃ち出すんでしょう。僕には使えません」
「大丈夫。何発分か魔力を込めといたから、トリガーさえ引けばなんとかなるよ」
いつの間にそんな器用なことを。不思議に思いつつ、僕は金髪の手から拳銃を受け取った。この世紀末、護身用に拳銃の一丁くらい持っているほうがいいと思ったのだ。
「ちなみに何発ですか」
「え? うーん、三十発くらい?」
適当な物言いだとは感じたが、通常の拳銃を思えば三十は破格だ。僕は黙ってグリップを握りしめた。トリガーに指をかけたら、なぜかしっくりくる気がした。
「はは、似合わないね、おまえ」
だけど金髪はそう言って笑った。
「花なんかのほうが似合うよ」
「それを言うならきみだって」
拳銃二丁をたやすく扱う腕はスカジャンの上から見てもわかるほど細い。金色に輝く髪に縁どられた顔は人形のように端正で、花を飾ればきっと映えただろう。血なまぐさい拳銃なんかが似合うようにはとても見えなかった。
けれど金髪は意外そうな顔をして、それから手元の拳銃に視線を落とした。
「そうかな」
金髪が言う。その声がなんだかやけに湿っぽかったから、僕はなんと言えばいいのかわからなくて口をつぐんだ。金髪はくるくると銃を回して、そうしてちいさく笑った。
「ほんとはこんなのが似合うやつなんていないんだよ」
今度のはどこか、悲しげな笑みだった。僕はやっぱりなにも言えなくて、ただその横顔を見つめながら歩いた。
当然のことだが、電車やバスといった交通機関は完全に止まっている。金髪の「目的地」までは必然徒歩移動となるのだが、「どれくらい歩くんですか?」と聞けばさらりと「一日くらい」と答えが返ってくる。
「魔法でなんとかならないんですか」
「空は飛べる。でもおまえを抱えて長距離飛ぶのは結構頑張らないとだからやりたくない」
「じゃあ僕なんて置いていったらいいのに」
すると金髪はにやりと笑うのだ。
「いいの? 化物が跋扈するこの街でひとりになっても」
それはあまり楽しい想像ではなかった。金髪がくれた魔術銃はあるが、それも三十発かそこら。そも、誰も生きている者のいない街中で話し相手もなくひとりで立ちすくむのなんて、正直正気を保てる気がしない。戯れでも、ぽんぽんと会話が続く金髪がいてくれるのはかなり精神的に助かっていた。
「置いていかないでください」
僕は仕方なく小声でそう言った。金髪は「置いていかないよ」と答えた。
「置いていかれるのはつらいもの」
顔を正面に向けて金髪が言う。夕焼けが白い頬を赤く染め上げていた。髪に隠れてよく表情は見えない。その言葉の意味を問う前に、金髪はにこりと笑って僕に右手を差し出した。
「手をつないでいようか」
「戦いにくいでしょう」
「このあたりには大きな巣もないみたいだし、特に問題ないよ」
僕はすこし迷ってから、うながされるがままに左手を差し出した。細い金髪の指を握れば、冷たい。金髪は僕が素直に従ったことにわずかに驚いたようだった。
「ほんとにつないでくれると思わなかった」
「僕もなぜだかわかりません」
うまく言えない。こんな終末に、名前も知らない性別もわからない出会ったばかりの魔法使いと手をつないで歩こうというのはどこかおかしい気もした。なにもかも突飛だ。だけれど、僕の手は自然と動いたのだ。
「なんだか、手をつないだほうがいいような気がしたんです」
僕がそう言うと、そいつはじっと僕を見た。僕はその視線にどう応えるのが正解かわからなくて、ついと顔をそむけた。
だから、そいつがどんな顔をして言ったのかわからない。
「それはさ、さみしいってことだよ」
僕ははっとして金髪を見た。そいつはもう、僕を見てはいなくて、黒いアスファルトを見ていた。やっぱり髪に隠れて顔はよく見えなかった。
ただ、その言葉が一滴の水のように僕のこころに落ちて波紋をつくった。そこで初めて僕は、自分にこころがあるのに気づいた。
そうか、僕、さみしいのか。
気づいてしまえば僕は自分のこころに空いた穴に無自覚でいることはできなくて、これが「さみしい」のだと無性に自覚してしまって、金髪の手をぎゅうと握った。金髪はちいさい、冷たい手で精いっぱいに僕の手を握り返した。
日が完全に沈んでしまって、あたりがだんだん暗くなってくると金髪は立ちどまって「そろそろ休もう」と言った。
「僕はまだ歩けますよ」
長いこと眠っていて筋肉は衰えているはずなのに、不思議とどれだけ歩いても疲れなかった。明かりさえあればこのまま夜通し歩いて行けそうだ。街灯はもう役に立ちそうにないが、魔法を使えばなんとかなるのではないだろうか。
「魔法で明かりを灯せないんですか」
「灯せるよ」
金髪はつないでいた手をほどくと、首元に手を伸ばしてチェーンを外した。ずっと服の中に隠していたらしいそれは、まるい親指の爪ほどの大きさの黄色い石がついたペンダントだった。
「ほら」
金髪がチェーンから手を放すと、それは中空にぷかぷか浮くと同時にオレンジ色の光を放ち始めた。僕は感心して呟く。
「光る石だ」
「魔力を光に変換する魔術具なんだ。でも見ての通り懐中電灯レベルの光しか灯せない。天使がどこにいるかわからないこの街で、この明かりだけで歩くのはあんまり賢明じゃないな」
「もっと強い光を出せる魔術具はないんですか?」
たしかに戦うとなるとこの光源だけでは心もとない。僕が聞くと金髪は苦笑する。
「あるよ。夜間の戦闘を強いられたときはもっと明るいのを持っていく。でもこれは戦闘用じゃないんだ」
両手を伸ばして、あたたかな光を灯す石を金髪はそっと胸元に抱きしめた。
「夜が怖くなくなるように。大切な人がぼくにくれたお守りなんだ」
その光に照らされた頬が、とても穏やかで、そして悲しそうに見えたから、僕は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。その人が、きみの探している人なんですか? その一言を。
初めてこいつが僕に自分のこころの内を見せてくれたような気がして、今、喋ればそれが台無しになってしまうと思ったのだ。
僕は黙って金髪の頬を見つめた。金髪はしばらくそうしていたけれど、すぐに僕を見てほおえんだ。
「天使が巣を作ってない建物を探そう」
それから僕らは薄暗い街をもうすこしだけ歩いた。「公民館」と書かれた、三階建ての建物を見つけるのにそう時間はかからなかった。民家に入るのは金髪が嫌がったのだ。他人の思い出に土足で入り込むようなことはしたくないだろ、と言われて僕は言い返す言葉を持たなかった。ときどき、まっとうな人間なようなことを言うのだ。
「公民館って、巣になってないですか」
入口のガラス扉に近づきながらたずねる。金髪は鍵の部分に指を這わせながら答えた。
「基本的には人がいるところを目指して移動する性質があるから、人がすでに死に絶えた場所に巣を作るものじゃないと思うんだけど。ただ魔術学校は魔力が溜まってた場所だから、天使にも居心地が良かったのかな」
あいまいな言い方だな、と思った。天使にはまだ未知の部分が多いということだろう。まだ、もなにも、すでに時遅く世界は終末を迎えているわけだが。
かちゃん、と音がして鍵が開く。金髪は念のため僕を下がらせて、光るペンダントを左手に、拳銃を右手に扉の横に立った。ガラス扉からある程度中は見えているけれど、死角に敵がいないとは限らない。金髪が左手をかざすと、ゆっくりガラス扉が開いていく。踏み込むのは一瞬だった。拳銃を構え、まず死角になって見えなかった左側に銃口を向ける。すぐに反対側。そのどちらも天使は見当たらなかったらしく、金髪は銃を構えたまま僕を呼んだ。僕も念のため拳銃を握りしめて、建物の中へと足を踏み入れる。
公民館の中は荒れた形跡もなかった。遺体もない。天使の侵攻には合わなかったのだろう。金髪は左手の会議室の扉も同じように開けて中を確認していた。それから「大丈夫だ」と短い声。
「念のため全館確認しよう。ついてきて」
右手の階段を上る背中を追いかける。二階には会議室がふたつと和室がひとつ、三階は調理室と大ホールがひとつずつ。すべて確認し終えてから、金髪が言った。
「この建物、屋上もあるよ」
その声は、屋上も確認しなければならない、という警戒心よりは屋上に行ってみたい、という好奇心に塗れていた。僕は「はあ」とうなずいた。
「行こう」
金髪は楽しそうに駆けだす。とんとんと軽やかに階段を上って、屋上に続くドアの鍵をいとも簡単に開けて、ノブを回した。
ひゅう、と冷たい風が吹き抜けていく。それだけだった。それ以外、何も言うべきことなどなかった。街は暗闇の中に沈んでいたから。じっくり建物の中を探索していた間に夜のとばりが完全に下りたらしい。家の灯りも、街灯もきらびやかなネオンも、なにひとつ見当たらない。沈黙と暗闇だけが、僕の言い表せるすべてだった。
そうか、世界の終わりには、こんな夜が訪れるんだ。
だけれど金髪は違ったようだった。すっと僕の左手に冷たい感触が触れる。横を見ると、そいつが僕の手を握って空を見上げていた。つられて僕も空を見上げる。そして息を飲んだ。
宝石箱をひっくり返したみたいな星空が、そこに広がっていた。夜空一面の星、星。悠久の時を越えて変わらない、神秘の空だ。生まれては死に、また生まれてを繰り返しながらも、僕らの前にまるで不変かのように現る星たち。
きれいだと思った。
「ああ、こんなに星が多かったらどれがぼくの星かもわかんないや」
金髪が言った。こいつの星座は秋か冬の星座なのだろうか。僕はなんとなく金髪を見た。そいつは、瞳がこぼれそうになるほどいっぱいに目を見開いて空を眺めていた。左手を空に伸ばす。星を掴もうとしたのか、ただ追いかけようとしたのかわからない、その手にはペンダントが握られている。そのことに金髪は気づいて、手を伸ばすのをやめた。ペンダントを胸元に引き寄せる。
そのときこいつがなにを考えているのか、なぜだか僕にはわかってしまう気がした。
「そのペンダントをくれた人と一緒に見たかった?」
声をかけると金髪はびくりと肩を震わせた。それから僕を見て笑った。上手く笑えてはいなかったけれど。
「おまえはどう。一緒にこの空を見たかったやつが、いたんじゃないのか」
僕は顔をしかめる。わからない。僕には記憶がないから。ただこいつがそう言うなら、もしかするとそうなのかもしれない。僕にもいたのかもしれない。そんな人が。
そう考えると胸がつきん、と痛む気がした。ああ、これがこころだ。これが「さみしい」だ。僕の胸には、穴が空いているのだ。
金髪はしばらく僕の顔をぼうっと眺めていた。それから地上に視線を移す。星明かりはあるものの、地上は相変わらず闇に沈んでいる。寂寞とした街。物言わぬ街。空が明るければ明るいだけ、地上は暗いのだ。
するりと手を解いて、金髪はくるりと僕を見た。
「さみしい?」
僕はうなずいた。
「さみしい、です」
空のうつくしさが。地上の暗さが。僕にはどうも、さみしくて悲しくて、胸がざわめいて仕方なくて。
金髪はにこりと笑うと、たん、と駆けて行って、屋上の隅でなにかを拾い始めた。銃をベルトにねじ込みながらついて行って見てみると、それはなんてことない街路樹の木の葉や枝だった。
「見てて」
金髪が一本の枝を持ち上げてそれを軽く振る。次の瞬間だ。枝の先から、ぱちぱちと音を立てて青色の火花がほとばしり始めた。
花火だ。金髪は「ほら」と僕にそれを差し出してくる。促されるまま受け取ると、そいつは今度は別の枝を振って赤い光を振りまき始めた。
はじける光を片手に持ったまま、そいつはくるくると回った。赤い火花もそいつが舞うのに合わせてくるくると線を描いた。赤が似合うな、と僕はぼんやり思った。緑のスカジャンも金の髪も青い光もよく似合ったけれど、なんだかいっとう、赤が似合う。
満点の星空と退廃した地上の間に立って、僕ら自身が光になる。燃えている。いつか爆ぜて死ぬ星みたいに。
悲しいけれど、僕はそんなきみをきれいだと思った。
「どう。お気に召した」
金髪が僕を振り向いて言った。僕はうなずいた。
「はい」
金髪が目を丸くする。赤い光を片手に持ったまま僕のほうへと歩いてくる。首をかしげる僕にそいつが言った。
「笑った」
僕ははっと空いた手で口元を覆う。すると金髪は手を伸ばして、僕の手を顔から引きはがした。
「笑って、もう一回」
「むずかしいです」
言いながら、口角が上がっていくのを自分で感じた。金髪はそんな僕を見てふっと吐息ばかりの笑い声をこぼした。僕はなんだか照れくさくて、でもうまく視線を反らせなくて金髪を見つめ返した。
「ねえ。ぼくがおまえに名前をつけちゃだめかな」
金髪は僕の手を放すと、残り少なくなった花火に視線を落としてそう言った。
「おまえがもう自分の名前を覚えてないんなら、ぼくの好きな名前でおまえを呼びたい」
それもいいかもしれない、と思った。僕のことを知っているやつはもうこの世界でこいつひとりきりなのだ。ならば僕に名前をつけるのに一番ふさわしいのは、きっとこいつだった。こいつがどんな名で僕のことを呼ぶのか、興味もあった。
だけど同時に別のことも考えた。
「名前が必要ですか。もうきみと僕しかいないのに」
金髪が顔を上げた。僕は続ける。
「きみが『ねえ』と呼べば僕は振り向きます。『おまえ』と語りかけてくれれば、僕は応えます。なら、きみにも僕にも、もう名前は必要ないじゃないですか」
名前がなければ、僕らは自分が誰かを見失ってしまうときみは言った。けれどこんな世界の中で、きみが僕に「おまえ」と語りかけてくれるのなら僕にはそれで十分なように思えた。きみの声が僕の輪郭を作るのだ。
きみは僕をじっと見つめて、それから目尻をゆるめて笑った。優しい顔だったけれど、どこかあきらめた顔のようにも見えた。
「そうかもね」
赤と青の光が、ふっと燃え尽きて消えた。静かだった。
そのあと僕らは二階に戻って、和室のふすまの中を物色した。座布団を二枚引きずり出して部屋の隅に並べるきみにたずねる。
「寝て大丈夫なんですか。急にやつらが襲ってきたりしませんか」
「そういうこともあるよ。普通の人間はね。でもぼくらは大丈夫。攻撃したり、大声を出したりしない限りは襲ってこないよ」
魔法使いだからだろうか。詳しいことはわからなかったが、きみがそう言うならそうなんだろうと思った。
「結界を張ることもできるけど、疲れるからやりたくないんだ」
「いいです、別に。きみの言うことを信じます」
僕が体に巻きつけていた布を広げると、きみは壁を背にして座布団に座る。僕もその隣に腰を下ろして、ふたりの体に布をかけた。
僕らは同じ布に丸まって眠った。死んでいるんじゃないかと思うくらい静かなきみの寝顔を間近に眺めて、僕も目を閉じた。
