トロッコ問題は「倫理観テスト」ではなく、判断ロジック判定でしかない
「あなたの本質が分かる」
トロッコ問題が話題になるたび、そんな語られ方を見かける。
けれど、正直かなり違和感がある。
本当に数秒の極限状況で、人の倫理観や本質なんて測れるのだろうか?
私はむしろ、トロッコ問題で見えているのは、
「その人がどんな判断ロジックを採用するか」
だけだと思っている。
同じ選択でも、中身は全く違う
例えば「5人を助ける」を選んだ人。
一見すると、
合理的な人
功利主義的な人
に見えるかもしれない。
でも実際には、中身は全然違う。
ある人は、
「被害を最小化したい」
という局所合理で動く。
別の人は、
「今動かなかった後悔の方が耐えられない」
で動く。
また別の人は、
「責任者なら決めなければならない」
という役割意識かもしれない。
あるいは、
「長期的に見ればこちらの方が被害が少ない」
という未来視点を持っている人もいる。
つまり、
同じ“5人を助ける”でも、判断ロジックが違う。
逆に、
「レバーを引かない人」も同じだ。
人為的加害を避けたい
判断責任を負えない
情報不足だから保留したい
不介入原則を優先する
など、理由は様々である。
にもかかわらず、
5人を選んだから合理派
引かなかったから倫理派
という分類は、少し雑すぎる気がする。
「動けない」は判断ではないのか?
最初、私は
動けない人は、判断できないだけ
だと思っていた。
でも考えていくと、少し違った。
現場では、
「今は決めない」
も意思決定だからだ。
経営でも、医療でも、災害でも、
保留は保留という判断である。
つまり、
動かない
レバーを引かない
も、
「現状維持を選んだ」
というロジックの採用だ。
ただし、ここには一つ特徴がある。
それは、
後悔が付きまといやすいこと。
「もし動いていたら」
という仮説が残り続ける。
だからこそ、人は後から自分の判断ロジックを探し始める。
倫理観ではなく、判断ロジック
結局、トロッコ問題が見せているのは、
人間の本質ではない。
ましてや、
「あなたはこういう人です」
と断定できるほど単純なものでもない。
見えているのは、
その瞬間、その人の内部で何が合理だったか。
つまり、
被害最小化なのか
不介入なのか
責任回避なのか
長期合理なのか
感情合理なのか
という、
“判断ロジック”の断面図
に過ぎない。
だから私は、
トロッコ問題を
倫理観テスト
だとは思わない。
むしろ、
不完全情報下で、人が何を根拠に意思決定を起動するかを見る問題
だと思っている。
