人は「壊れた物」はすぐ気づくのに、壊れた人生には気づかない
物が壊れると人はすぐ気づく
例えばスマホが壊れたらすぐ分かるし、椅子の脚が折れたら座れない。
壊れたかどうかは、目で見れば判断できる。
物理の世界は単純だ。
壊れた → ダメ
壊れてない → 使える
このくらいのレベルでも十分判断できる。
むしろほとんどの人はそこまでしか見ていない。
面白いのは、人体や心理になると急に判断できなくなること
例えば身体の負荷。
疲労、姿勢の歪み、慢性的な痛み。
これらは突然壊れるわけではない。
少しずつ壊れていく。
しかも原因も分かりにくい。
靴
歩き方
筋力
生活習慣
年齢
いろんな要素が絡む。
だから人は途中で判断することができない。
壊れてから初めて気づく。
心理も同じ
自己啓発とか成功法則とか、いわゆる「夢を売る」ビジネスが成立するのはこの構造があるからだと思う。
人生が壊れているかどうかは、すぐには分からない。
物のように
折れた
割れた
破断した
みたいな明確なサインが出ない。
だから人は代わりに別のものを見る。
権威
ブランド
フォロワー数
肩書き
研究
つまり「因果」ではなく「権威」で判断する。
これはある意味仕方ない。
見えないものは判断できないからだ。
ただ物理の世界は残酷で、嘘がつけない
物は壊れる。
どんなストーリーがあろうと、どんな理念があろうと、破断すれば終わりだ。
だから物理の世界では、結局ログしか残らない。
何km使った
どこが壊れた
どこに力がかかった
そういう構造の記録だけが積み重なる。
夢や理念よりも、壊れ方の方が正直なのだ。
人間は物理の破壊には敏感なのに、心理や人生の破壊には驚くほど鈍感
そして多くの場合、壊れてから初めて気づく。
それは見えないものを扱う難しさでもあるし、人間の認知の限界でもある。
だからこそ、見える構造を扱うことには意味があるのかもしれない。
壊れるという事実は、時々とても正直だ。
