見出し画像

応答セヨ #2/6


2

 朝起きて、上体を起こした途端に眩暈に見舞われる。ベッドに腰掛けたまま目を瞑り、心で一、二、三……と深呼吸しながらできるだけゆっくり数を数えるようにすると、三十を数えたあたりから、頭のなかを吹き荒ぶようだったグルグルも次第に収まってくる。秋口からそんなことが田安の身に頻々と起こるようになっていて、いずれ心因性のものだろうとやり過ごしてきたが、母方の血筋が高血圧ということもあり、内心穏やかではいられなかった。朝毎の眩暈については、それこそ我が身の最深部にある地底湖に水面を揺らさぬようそっと錘を吊るした糸を下ろすような按配で凶兆のありなしを慎重に推し量ることもできたが、通勤時の電車内や職場での座業のさなかに襲われるようになると、時として大童になるのを人目に隠しようもなかった。駅のホームを歩きながら突然眩暈を得たもので、危うく線路内に落ちかかった田安は、近くの他人に腕をつかまれた。これはいよいよ放っておけない、とは当然なった。

「メニエール病でしょう」
 医者はいった。脳のMRIを撮ったのはこれが生涯二度目で、いずれの場合も「きれいな脳ですね」といわれ、その意味をわかっていながらなんとも面映い。医者はフルカラーの耳の内部の図を示しながら、その病気の説明をした。
「ここに三半規管がございますね。その下に耳石器があって、さらにこの下の部分が蝸牛。うずまき管ともいいますね。これら全部がリンパ液に満たされているんですが、三半規管と耳石器の部分にリンパ液が過剰になってむくみますとね、平衡感覚に異常をきたすようになるのです。今後は回転する感覚に加えて、吐き気を伴うようになるかもしれません」
 脳の病気の前兆ではない、という医者のお墨付きが、どれほど田安を安堵させたか知れなかった。しかしいっぽうで、耳の絵を見せられて、蝸牛の渦に目は釘づけとなり、やがて反時計回りに回転、つまり渦の中心に向かってうずまきがじわじわと動き出したもので、目に映る景色はおろか医者の説明の声までその中心に引き込まれるようで、思わず「先生、今回転が」と救いを求めるようにいって医者の前にある机の端に片手をついた。
「どちらが回転していますか。あなたですか、それとも周囲ですか」
 そう訊かれ、周囲、と即答しかかって、田安は言葉に詰まった。いかにも、自分が回転しているともいえないことはなかったからである。

 妻いわく、ある時季から彼がカラダの不調を訴えるようになって十年以上になる、と。十年どころか、MRIを初めて撮ったのはまだ独り身の頃だった。あの時は後頭部に偏頭痛が止まず、生来の頭痛持ちでなかったことから不安が募った。結婚してからは、片目が腫れだしてお岩さんのようになったというし、右の股関節が痛いといいだしてふつうに座るのもままならなくなったし、昨年は左手の指先から肘にかけて痺れが取れず、あなたはさかんに糖尿病を気にしていた、と妻はいった。いわれて、たしかにそうだったと思い当たるような具合だから、田安も呑気坊主の部類ではあった。すべては時間が解決してきたのであって、ある時ふと誰かに症状のことを訊かれ、そういえば解放されていると遅まきに田安は気がつくくらいのものだった。下半期も後半にかかると会社の営業の締めつけがいっそう強まって、カラダの各所の不調が始まるのがその時季と重なることから、心因性と診断されれば、田安に返す言葉はない。メニエール病についても、ストレスでしょうな、と医者にいわれ、まずは十分に睡眠を取ることです、とこれは、あたかも田安の不眠を見透かしたかのような助言だった。

 仕事納めの日の夜は、同輩らとの年内最後の忘年会に合流し、カラオケでオールと息巻く彼らを尻目に、日を跨がぬうちに田安はひとり家路についた。酒が回りすぎると例のグルグルを誘発しそうで、それを警戒したというのもある。しかしそれ以上に彼には気がかりなことがあった。

 給水塔。
 その日の午後に電車の窓外に見た鶯色の給水塔が、以来脳裏を離れなかった。団地の一棟に隠れていて、それが遠くに不意に覗いた、あの感じがよくなかったのかもしれない。感覚としては、そういえば手の痺れはどうなの、と人に訊かれて、とうから手の痺れなど忘れている自分に気づかされるのと酷似した。車内は通勤時間帯並みの混み具合で、扉に押しつけられた田安は窓外を見ようとして、嵌め殺しのガラスは暗い鏡となり果ててそれはかなわず、おのれの陰翳に覆われた顔と、その背後で黙然として吊革につかまる車内の男女の顔々ばかりを見た。ひとり残らずマスクをしていて、なにかの演出めいて見えなくもない。それにしても頭の白いのは俺ばかりじゃないかと見回して啞然となり、時間帯によるのか、それとも昨今の土地の人口動態によるのか、地に足のつかぬ心地がにわかに領していく。

 眩暈、うずまき、とくれば、かのサスペンス映画の金字塔がいやでも連想される。映画好きと名乗るほど映画を見てきているわけではないが、そんな田安もオール・タイム・ベストと一般に評される映画をひと通り見るくらいの嗜みはあった。アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』。あの映画に、たしか灯台だったか、縦に細長い建造物が出てきて、その内部に螺旋階段がついている。螺旋状のなにかを見ると、主人公はたちまち目眩に襲われるのではなかったか。

 暗いガラスのなかに見える女のひとりがやおら顔を上げ、目を開けるなり、先刻の酒宴で田安の隣に座った映画好きの女の同僚の目元と重なった。
「それはちょっと違う。螺旋階段は、灯台ではなく教会の鐘楼ね。ジェームズ・ステュアート演じるスコティの眩暈を誘発するのは螺旋ではなく、そもそもあれは高所恐怖症。高所恐怖症のありようを、カメラを引きながらズームするショットで表現してみせたところに、ヒッチコックの天才があるのよ」
 なるほど、と自分の一番嫌う相槌の言葉を自分で口にしながら、田安は思い当たっていた。そうだ、俺は給水塔の内部に入ったことがあるのだ。

 円筒形の内壁を螺旋が取り巻いて、それが奥の奥まで続いている。最奥に見える中心の円、というか点に、どういうわけか光が差して見える。電球の類ではなく、あくまで自然光。行きは三人だった。そして帰りは二人になっていた。螺旋がジリジリと回り始める。田安は咄嗟に扉脇の手すりをつかんだ。それは人の脂でヌルヌルしていた。これまでに感じたことのない加速度で周囲が回り始めていた。いや、回るのは周囲ではない、ほかならぬ、俺だ。回転は凄まじく、やがて遠心力を得た田安の足は、地から浮いた。轟々と風を切る音がして、ついに田安の身は遠く投げ出された。

 田安は嘔吐していた。
 電車内ではない。
 さすがに心得たもので、家の最寄りではない駅で我知らず下車をして、ホームから線路へ身を乗り出して嘔吐したものである。警笛が左手から近づいて、続いて耳元に怒声を浴びせられた。
「お客さん、下がって。電車が、まもなく、来る」
 なにを、そんなに怯えて、と自分よりよほど若そうな駅員の目元を見据えながら、手に負えない酔漢らしく田安は笑っていた。

つづく

いいなと思ったら応援しよう!