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【第一回】役職定年のその先に、何が残るのか──メガバンクで見てきた現実

役職定年のその先に、何が残るのか──メガバンクで見てきた現実

 
 
こんにちは、メガバンクの社畜リーマンだったFreedom Cloudです。
 
今までの私の記事はこちらで確認できます。

よろしければご覧いただけると幸いです。


はじめに──役職定年は、ある日突然やってくる


メガバンクに長く勤めていると、ある種の「空気」を感じる瞬間がある。

それは、人事異動の内示が出る季節でも、決算の数字が出そろう時期でもない。

50代に差しかかった同僚や先輩の、背中を見たときだ。

どれだけ優秀だった人でも、どれだけ組織に貢献してきた人でも、 役職定年という制度の前では、例外なく“同じ場所”に立たされる。

私自身、これまでに数え切れないほど、その瞬間を見てきた。

華やかな肩書きを持っていた人が、ある日を境に「ただの人」になる瞬間だ。

この文章は、役職定年を迎えた先輩たちを見てきた一銀行員として、 そして、いずれ自分もその場所に立つことを自覚した一人のサラリーマンとして、 「その先に何が残るのか」を正直に書こうとする試みである。


第1章 出世していたはずの先輩が、ある日静かに消えた


1.1 皆が知っていた“できる先輩”

その先輩は、いわゆるエリートだった。

・新卒でメガバンクに入行 ・若手の頃から大型案件を担当 ・30代で海外赴任 ・40代前半で本部の要職

誰もが「この人は最後まで上まで行く」と思っていた。 私自身も、そう思っていた一人だ。

だが、50代に差しかかったある年、その先輩は役職定年を迎えた。

1.2 役職定年の日は、驚くほど静かだった

役職定年という言葉は、どこか劇的な響きを持つ。

だが、現実は違う。

特別なセレモニーもなければ、送別会が盛大に開かれるわけでもない。

ただ、

・名刺から肩書きが消え ・席が少し端に移り ・会議で発言する機会が減る

それだけだ。

そして周囲は、驚くほど早く“慣れる”。

1.3 消えたのは役職か、それとも存在感か

数か月後、私はふと気づいた。

「あの先輩、最近見かけないな」

実際には、同じフロアにいる。 同じ時間に出社している。

それでも、存在感は確実に薄れていた。

役職とは、 組織の中で“見える存在”であるための装置だったのだと、そのとき初めて理解した。


第2章 どんなに出世しても、役職は必ず終わる


2.1 これは能力の問題ではない

役職定年について語るとき、多くの人はこう考える。

「評価が落ちたからだ」 「どこかで失敗したのだろう」

だが、メガバンクで長く働いてきた人ほど知っている。

役職定年は、能力とはほぼ無関係だ。

制度であり、年齢であり、組織運営上の都合である。

2.2 誰もが通る道だと、頭では分かっている

銀行員であれば、

・50歳前後で役職を外れる
・いずれ再雇用で条件が変わる

そんなことは、新入行員でも知っている。

それでも、 自分が当事者になる瞬間は、別の話だ。

どれだけ出世しても、いずれ会社の肩書は外れてただの人になる時がくる。

もちろん、それは私にも。

このシリーズでは、誰かを責めるわけではなく筆者が見てきた様子をしるしながら、どうあるべきかを考えていきたいと思う。

私自身の為にも。

→第二回に続く

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