😂じっちゃん、聞いてや!アレルギー対応が複雑すぎて怖い ― 旅館の女将・三島さん編
四月の終わり。縁側に差す西日が長くなって、庭の石に影が伸びている。
じっちゃんが夕飯のおかずを並べている。煮物、漬物、味噌汁。全部同じ皿。
「じっちゃん、盛り付けという概念がないんか」諒太が見て言う。
「味は一緒たい。皿が違うても腹には同じように収まるばい」
「いや、そういう問題やないやろ」
免ちゃんが渋めのチャコールグレーのジャケットで登場。「じっちゃんの料理、味は悪くないのに見た目で損しとるよな」
「見た目で飯を食う人間は信用ならん」
三人が笑ったところで、門の方から丁寧なノックの音がした。門柱をこんこんと叩く音。
「ごめんくださいませ。三島と申します」
薄紫の着物に白い割烹着。髪をきれいに結い上げた五十代半ばの女性が、菓子折りを持って立っている。所作の一つ一つが丁寧。旅館の女将、三島さん。免ちゃんの奥さんが去年この旅館に泊まって「女将さんが素敵やった」と話していて、免ちゃんが年賀状のやり取りをするようになった縁らしい。
「三島さん、ようこそ。まぁお上がりください」免ちゃんがいつもより丁寧に座布団を出す。
三島さんが菓子折りをじっちゃんに渡して、きちんと正座した。背筋がまっすぐ。でも、手が少しだけ震えている。
「で、何がありましたん」じっちゃんが湯呑みを渡す。
三島さんが一口飲んで、静かに話し始めた。
「アレルギーのことなんです」
「アレルギー?」
「最近のお客様は、アレルギーをお持ちの方がとても多くて。卵、小麦、蕎麦、海老、蟹。お一人お一人違うんです。同じテーブルでも、Aさんは海老がだめ、Bさんは小麦がだめ、Cさんは卵がだめ」
三島さんが割烹着の裾を撫でる。
「昔は『苦手なものはありますか?』で済んだんです。でも今は命に関わる。少しでも間違えたら、お客様が倒れるかもしれない。毎食、板場と何度も確認して、配膳の順番まで変えて。それでも夜中に目が覚めるんです。『今日の煮物、大丈夫やったやろうか』と」
声は穏やかだけど、その奥に張り詰めたものがある。
諒太が腕を組む。「命預かっとるようなもんやな」
「そうなんです。お料理でお客様を喜ばせたいのに、今は怖さの方が先に来てしまって。楽しいはずの仕事が、毎日綱渡りのようで」
縁側が静かになる。西日が三島さんの着物の薄紫を、少し橙色に染めている。
じっちゃんが湯呑みを置いた。
「三島さん。わしもな、人の命を預かる場所におったことがあるんや」
三島さんが顔を上げる。
「詳しいことは言えんけどな。一つ間違えたら、人が死ぬ。毎日がその緊張やった。夜中に目が覚めるのも、毎日やった」
じっちゃんの声が少し低くなる。
「わしの先輩にな、手の震えが止まらんようになった人がおった。『もう怖くてできん』と言い出した。周りは『気合いが足りん』と言うたけど、わしはそうは思わんかった」
「どうしてですか」三島さんが聞く。
「怖いっちゅうことは、ちゃんと分かっとるっちゅうことたい。怖くない人間の方がよっぽど危ないんばい。怖さを感じん人間は、いつか取り返しのつかんことをする」
じっちゃんが三島さんをまっすぐ見る。
「三島さん。夜中に目が覚めるのは、あんたがちゃんと命を預かっとる証拠たい。怖くていい。怖いまま丁寧にやれ。その怖さが、お客さんを守っとるんばい」
三島さんの手の震えが、少しだけ止まった。
免ちゃんが静かに言う。「嫁が『あの旅館の料理は安心して食べられた』と言うとったで。それは三島さんが怖がりながら、丁寧にやっとるからやと思うわ」
三島さんの目が潤む。割烹着の裾をきゅっと握った。
諒太がぽつりと言う。「怖いから丁寧になる。丁寧やから安全になる。そういうことなんですね」
じっちゃんが飴ちゃんを一つ、三島さんの手のひらにそっと乗せた。
「三島さん。あんたの旅館は、大丈夫たい。夜中に目が覚める女将がおる旅館は、絶対に大丈夫やばい」
三島さんが飴ちゃんを両手で包んで、深く頭を下げた。「……ありがとうございます。明日からも、怖がりながら、丁寧にやります」
「おう。今度わしも泊まりに行くばい。アレルギーはないけど、歯が弱いけんな。柔らかい飯を頼むばい」
「じっちゃん、それはアレルギーやなくてただの老化やろ」諒太がツッコむ。
西日が沈みかけて、縁側が静かなオレンジ色に染まる。
「おもろかったら『スキ』押しとき。あんたの一押しも、誰かの安心になるかもしれんばい」
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