お寺の生まれではないわたしが、聞法会を立ち上げた理由
お寺に生まれたわけでもなく、仏教と縁のある家庭に育ったわけでもないわたしが、聞法会を立ち上げた。
わたしは数年前に真宗大谷派で得度を受け、その後、仏教系大学の別科に通い学んだ。
そんなわたしが聞法会を立ち上げたきっかけは、師と仰ぐ住職のお寺で出遇った門徒さんとの、ふとした会話である。
「家の近くでは聴聞はできるけれど、座談ができるところがない。あなたは僧侶の資格があるのだから作ってくれない?」
師のお寺がある場所は、わたしの住んでいる地域から少し距離があり、年配の方だと行き来が少し大変なのである。
そのお寺では、聞法会の後に座談会が行われる。門徒の方々が生き生きと仏法について話され、わたしもその僧伽の中で皆さんのお話を聴かせていただいたり、自身の悩みや想いを話したりできる、大切な場所である。
わたしの住む地域では、聴聞をしようと思えば毎日でもできるような環境にある。しかし、座談会となるとなかなか難しいのが現状である。
確かに聴くということは大切であると思う。だが、自分がどのように聴いているのか、どのように受け取っているのかを話すことも、同じように大切なのではないかと考えている。
だから、聞法会というよりも、講や談合、御示談と呼ばれるような場になればよいと思い、この会を立ち上げたのである。
しかし、立ち上げには少しばかり苦労と覚悟が必要だった。
まず、人が集まらなかった時のことを考えると不安があった。それでも、わたし一人でも続ける覚悟を決めた。
あとはお金の問題であった。場所を借りるにも費用がかかるし、先生をお呼びしてお話しいただくとなれば法礼も必要になる。
会費をいただくにしても、高額であれば人は集まらないだろう。教務所の利用料金を調べたり、別院に直接問い合わせたりもしたが、当時のわたしには、どう考えても開催できそうには思えなかった。
わたしは寺族ではないのでツテがない。だが、地元で唯一ご縁のあるお寺の住職に、聞法会を立ち上げたいと相談したところ、快く聞法の場をお借りすることができた。
また、大学でお世話になった先生や師にも相談し、開催方法についてアドバイスをいただいた。
こうして少しずつ準備を重ね、多くの方の支えをいただきながら、ようやく聞法会を始めることができた。
振り返れば、一人では決してできなかったことであり、ご縁によってここまで歩ませていただいたのだと感じている。
なぜ仏教と縁もゆかりもなかったわたしが、このような歩みを始めたのか。それはまた、少しずつ書き記していきたい。
誰のためでもない。わたし自身の歩みの記録を、ここに少しずつ残していこうと思う。
