ただ、いてくれるだけでいい。スクワットする父の祈り(1,465字)
ただ、いてくれるだけでいい。
最近、子どもたちのことを考えるときに、そう思うことが多いのです。
子どもと言っても、大学生の息子と高校生の娘。
もう親があれこれ心配する歳でもないし、ほとんど顔を合わせない日だってあります。
なぜだか分かりません。
ここのところ、「ただ元気で居てくれること」を祈る日が続いています。
別れが近いのでしょうか。私は死ぬのでしょうか。
そんな予定はないし、いたって健康体です。
少し腰は痛いけど。
親ならば、もっと子どもの将来を考えてハッパをかけるべきなんだろうな。
ずっと家にいないで、早く免許取りにでも行け、とか言うのが役割なんだろうな。
そんなことを思いながらも、ただただ、今を慈しむ気持ちが止まりません。
大学生の息子が、かわいい。
子どもが小さい頃は、想像もつかなかったことです。
食べるときに、ティッシュで頻繁に口を拭く癖。
片手にグラスを持ったまま、もう片方の手で必死にお菓子の蓋を閉めようとする背中。
グラスを一旦置けばいいのに。
そんな姿が愛おしくて仕方がありません。
娘は娘で、ずっと何かを迷っています。
前髪を切ろうか、伸ばそうか。
今日は図書館に行こうか、やめようか。
「車で送ってあげるから、行っておいで。」
「いいの?ありがとう。」と即答。
これは当てにしていたな。かわいい奴め。
この穏やかな日常が、子どもたちにずっと続きますように。
そう思う今日この頃です。
厄介なことに、それを本人たちに伝えたくて仕方がないのです。
存在自体に感謝したい気持ちが溢れてきます。
本当に、どうかしてしまったのかもしれません。
春だからでしょうか。
何でも春のせいにするのは良くない傾向です。
でも、仮に伝えるとして、どうすれば伝わるのだろう。
やっぱり直球でしょうか。
「いてくれるだけでいいよ」
何だか究極までハードルを下げた感じがします。
期待されてない?と思わせそうです。
「元気でいてくれてありがとう」
気持ちは近い。でも、ちょっと違います。
「いつまでも元気でいてね」
敬老の日みたいです。
やっぱり言葉にすると、変に聞こえてしまいます。
お父さん病気なの?余命どのくらい?って心配されるのが目に見えています。
何よりも、照れくさくてとても言えません。
5歳くらいまでだったら直接言えるけど、もう二人とも成人しているし。
そんな思いを抱えたまま、今日も静かに一日が過ぎていきます。
こうして、すっかり春めいた私の頭の中。
一方で、葛藤もあります。
子どもたちはちゃんと、自立できるだろうか。
親として、このスタンスでいいのだろうか。
そしてあとどのくらい、私は子どもたちを支えていけるだろうか。
夜中にふと目が覚めて、家中の電気が消えているのを確認するとき。
まだこの家を守れている、と安心する自分がいます。
それがいつまで続くのか。
そんな思いも一緒に湧いてきます。
先日、祖母が亡くなりました。102歳でした。
祖母の子である父は、70歳ちょっと。
そのくらいになるまで、この子たちを支える存在でありたい。
もうこの子たちに自分は必要ないと思えるまで、見届けたい。
もしかしたら、私の両親もそんな思いで日々を過ごしているのかもしれません。
そう気づいた途端、慈しみがまた一段と深くなります。
こうして行き場をなくした気持ちが、突然私をスクワットに駆り立てました。
今この瞬間にも、自分自身を強くすることはできる。
衰えやすいと言われている「足」から鍛えよう。
一回、また一回。
太ももが震えるたびに、子どもたちの顔が浮かびます。
強くなるから、元気でいるから。
今はもう少しだけ、甘いお父さんでいさせてください。

