不登校でも、ちゃんと前に進んでる ─娘と私の、調整期間という選択─
最近、娘との散歩を日課にした。
ルートは小学校までの通学路。
でも娘の背中に、ランドセルはない。
不登校になって外出が減った娘は、
体力もすっかり落ちてしまった。
だから登校はしないけれど、
家から学校までの道を歩いてみる練習をしている。
校門の前まで着いたら、そこでUターン。
娘はまるで鬼ごっこにでも参加しているみたいに、
校門をタッチすると、そそくさと小走りで駆け戻る。
それが、登校しなくていい安堵からなのか、
先生に見つかるかもしれないスリルからなのか、
その背中はどこか楽しそうだ。
みんなが学ぶ校舎の窓を見上げながら、私はふとため息が出る。
ここが娘の居場所のはずなのに、娘はそこに居られない。
別室という場所もある。
先生は「いつでもおいで」と言ってくれる。
でも、別室には席こそあっても、自習以外にできることがない。
先日、自治体からの不登校支援で、
タブレット学習を無償で提供してもらえた。
おかげで娘は少し勉強に前向きになった。
けれど皮肉なことに、
家の中で勉強が完結してしまうようになると、
「学校へ行く理由」がまた一つ失われてしまう。
娘が今、いちばん望んでいること。
「通級で、6年生まで今の仲間たちと過ごすこと」
そして、
「来年の運動会で、ソーラン節をみんなと踊ること」
たとえ一般級では過ごしにくさが多くても、
娘の希望は、たしかにここにある。
だから、悩ましい。
親としては、一般級での生活は
合理的配慮があったとしても、
もう厳しいのではないかと感じている。
でも、だからといって
娘の意思を置き去りにして
転籍を決めることは少し乱暴に感じる。
そこで今は、特別支援級の様子も
少しずつ見せてもらうことにした。
選択肢を、娘自身が持てるように。
娘は今、学校へ通う力を
まだうまく取り戻せていない。
でも、だからといって
“学校と切れてしまった”わけではないし、
成長が止まってしまったわけでもない。
朝の散歩で、校門にタッチして、
緑道の木の葉が落ちる様を「きれいだね」と言って、
今日のすららでは、「こんなアイテムを手に入れられたよ」と笑って教えてくれる。
配膳を手伝ってくれ、
冷蔵庫の食材の残りも把握してくれている。
ゲームやタブレットの時間も、
娘の方から「やりたくなるから制限を設定してほしい」と言ってくる。
行きたい気持ちと、行けない気持ちの間で、
自分を律する気持ちと、
毎日を楽しく過ごす力を育てている。
急がなくていい。
焦らなくていい。
娘にとって登校はゴールじゃないかもしれないし、
真っ直ぐ進めなくても、
ぐるっと遠回りしてもいいと思っている。
不登校でも、ちゃんと前に進んでいる。
そう信じられる朝が増えてきた。
