診断がつく前と後で、先生の反応が変わった話。
晴れて(?)軽度ASDの診断が下りた、一人娘・なぴ。
その前後の様子を、ちょっと振り返ってみようと思います。
正式な診断が下りる前までは、幼稚園側からのアクションは“気づいてオーラ”に溢れていたというか、どうしても「困りごと中心の報告」が多かったように思います。
あの頃は、
「どうしてウチばかり指摘を受けるの?」
「誰かを傷つけたりしているわけでもないのに、なんで“できないこと”ばかり報告されるんだろう…」
と、悲しい気持ちでいっぱいでした。
(園としては「お母さん、気づいて!」という思いからの報告だったのは、後からであれば理解できます。でも、当時は“寄り添われている”という感覚が持てなかったんですよね。…ああいう時って、どう伝えるのが正解だったんだろう。)
一方、診断が下りたことを報告した後は――
まるで手のひらを返したかのように(←言い方!笑)、先生たちが優しく寄り添ってくださるようになりました。
「必要な配慮があったら、いつでも相談してくださいね」
「一緒になぴちゃんの成長を見守りましょうね」
…あのときは正直、複雑な気持ちもありましたが、実際には本当に先生方は温かく接してくださいました。
もうひとつ印象的だったのは、困りごとの報告がほとんどなくなったこと。
診断がつく前は、毎週のように「〜ができていない」「〜でトラブルになった」といった連絡が来ていたのに、
診断を伝えて以降は、そうした報告自体が減ったんです。
寄り添ってくれるようになったことも嬉しかったけれど、
なにより「その子なりに過ごしていればOK」という見方をしてもらえるようになったことが、本当にありがたかったです。
おかげで娘も、幼稚園が大好きなまま、卒園することができました。
娘にとっての診断は、
「支援を受けやすくするための手段」と割り切っていたつもりでした。
でも、実際に診断の有無で対応がこうも変わってしまうことには違和感があり、
“明らかに困り事がある子に対して、診断がないと寄り添いきれない”という現実には少し悲しくもなりました。
実際に、園から「療育センターの診察はまだ順番回ってきませんか?一度電話で確認してもらってもいいですか?」と遠回しに催促されたこともありました。
(※当時は初診までに半年以上待つのが当たり前で、我が家も「まだです」と答えるしかありませんでした。)
とはいえ、幼稚園も学校も慢性的なマンパワー不足。
どこかで線を引かなければ続かない、というのも理解できます。
診断がついて、支援が受けやすくなったことは、本当にありがたいことだったし、そのおかげで娘も安心して過ごせた時間が増えたのは間違いありません。
でもやっぱり、「診断がないから」「はっきりしていないから」と、“寄り添う力”に差がついてしまう現実には、今でも少し引っかかるものがあります。
発達の特性は、グラデーションのようなもの。
どの子もその子なりの“苦手”や“こだわり”を抱えていて、それを理解しようとする視点こそが、支援や教育の出発点になると思うんです。
たとえ診断があってもなくても、
「この子の困っていることって、なんだろう?」
「今、何が必要なんだろう?」
と考えてもらえる環境が、もっと広がっていったらいいな。
私も、そんな視点で子どもたちと向きあえる大人でありたいと、あらためて思っています。
