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「鏡」解説【タルコフスキー】

理解のポイントは二つあるようです。

1、時系列整理
2、鳥=精霊=言葉
です。それぞれ説明します

1、時系列整理

イベント一覧はこうなります。

時系列錯綜しすぎていますので細かすぎるところ簡略化しますとだいたい、こういう順序の構成になります。

冒頭のアバンとは、オープニングクレジットの前に映される部分です。そして全体を時系列で並べると、

こうなります。この時系列整理がべらぼうに難しかったです。上から説明してゆきます。

草原と老いた母と主人公

この時、まだ父が居ます。

「どちらが欲しい、男か女か」と妻=主人公の母に聞きます。

同じシーンに、老婆化した妻=主人公の母が存在していますのでややこしい。

しかも子供が二人居ます。これらまとめて「父が失踪する前の時間」と理解すべきです。幼児の主人公はなにかが燃えていると言います。実際草原が燃えています。

父の失踪後、草原と若い母と旅の医者

しかし父は失踪します。母は子供二人を抱えて苦しみます。

医者がナンパしてきますが、子持ちとわかると逃げてゆきます。

その上納屋が燃えます。財産喪失です。1935年のことです。

母の印刷工場時代

困った母は、田舎から実家のモスクワに戻って、印刷工場で働きます。

印刷工場では致命的な誤植をしたかと怯えるシーンがあります。おそらく結果的にスターリンかだれかの悪口になってしまう誤植です。調べた結果誤植はしていなかったです。良かったです。

でもその内容を聞いた同僚のリーザ・パーヴロブナは後難をおそれて、母を切り捨てにかかります。

「あなたはマリア・チモフェーヴナそっくりだ。だから亭主に逃げられたんだ」と酷いことを言います。

恐怖政治の時代ですからそうしておかないといざというとき母と連座して自分も粛清される。ちなみにマリア・チモフェーヴナとはドストエフスキーの「悪霊」に登場する女性で、かなり異端的宗教観の持ち主で、かつ時系列が狂っています。以下ページの最後の女性の写真がマリヤです。

戦争の時代の記録映画

ここがやっかいです。

モノクロで映される歴史記憶映像は、

CCCP-1の気球 1930
スペイン内戦 1936-1939
第二次大戦  1939~
ダマンスキー島事件 1969
文革 1966~
などで、時系列的にはもっと遡るのですが、物語的にはスペイン内戦の描写が最も重要なのでこの位置に置きました。

母とたずねた田舎の家での営業

独ソ戦でモスクワも空襲が激しくなります。亭主不在の田舎の家に疎開します。困窮します。アクセサリーを売って食いつなごうとしますが、営業先でニワトリの首を切らされてげんなりしてやめます。

父の帰還

そうこうしているうちに父が帰ってきます。

ここが全体の中心になります。

兵役訓練

戦時中なので軍事教練があります。主人公も訓練を受けます。

その後現在の成人時代になるのですが、ここの時系列確定が特に難しい。主人公が別れた妻と語っているシーンが2回あります(妻は母の若かりし頃と同じ女優が演じています)。一方はカラー、一方はモノクロ映像です。

カラーのほうでは妻は「お母さんと和解しなさい、折れて」と言います。

モノクロでは「お母さんに電話を。リーザの死以来寝たきりよ」と言います。主人公は「母は5時にここに来る」と言います。

リーザの死とは、つまり幼年時代に母を切り捨てたリーザ・パーブロブナのことで、主人公は扁桃腺で寝込んでいる時に母からの電話でその事を知ります。電話の会話の中で主人公は母に謝っています。

つまり
1、最初に(別れた)妻に会ったとき(カラー)和解しなさいと言われ
2、その後扁桃腺で寝込む。リーザの死を伝えられる。主人公は母に謝る。
3、2度目に妻に会ったとき(モノクロ)はリーザーの死の後。母は主人公宅に来訪する予定。

となります。謎なのは、主人公が病床に伏しているシーンでして、

この時(扁桃腺)という言葉が出ますから、時系列的には扁桃腺で寝込んだ時あたりになります。主治医らしきもののセリフで、
「(寝込んでいる原因は)例えば肉親を亡くす、身近な人が突然この世から消える、昨日まで元気だったのに」
というのがあります。そばに居る老婆が、
「誰も死んでいないわ」と反論すると、
「しかし人間には良心や記憶がある」と返します。
この身近な人とはつまり、リーザです。よってこのシーンは、母との電話の後の会話となります。

別れた妻は、最初の会話では、
「アパートの改修中イグナート(息子)がぜひパパと暮らしたいと」という要望を言います。

次のモノクロの会話では、
主人公が「どうだろう、息子は私が引き取るというのは」と提案します。本人の意向を聞いたところ「そんなの必要ないよ」というものでした。フラれた父は息子の悪口言い出します。それくらい息子が好きです。

最後から2番目の「イグナートの留守番」では、主人公宅に妻とイグナートが居て、妻は息子を残して去ります。その後主人公の年老いた母が来ます。モノクロの会話では、「母は5時にここに来る」とありますから、この留守番シーンはモノクロでの会話に引き続いた時間です。

ラストはアバンです。「ラストはアバンです」なんて意味不明の文章書いている自分が信じられません。オープニングクレジットの前に映される、イグナートのテレビ視聴がラストシーンです。父の家で留守番している息子イグナートはテレビをつけます。テレビには催眠術使って吃音症を治療する様子が映されます。患者の青年は自分の名前をつっかえずに言えるようになります。

実際に上映される最初の部分が本作では最後のシーンです。最後の部分、主人公が幼児のころ、かつ父が失踪する前のシーンが、時系列上は最初に来ます。最初と最後の順序が真逆なのです。ド派手な時系列倒置です。

上映での最後のシーンでは、幼年時代の主人公が「鳥の鳴き声」をします。

作中鳥が頻繁に出てきます。一覧にするとこうなります。
どうも主人公および息子は発火能力があるようで、子供の頃から火事を起こしてきたのですが、中心の父の帰還以降は火事は起きません。息子のイグナートが庭で焚火をするくらいです。火事は戦火のことですから、父なる神が戻って来てだんだん平和になっていった、と解釈できます。

火事の分布も鳥の分布も、明らかに対称構造です。「鳥」でない場合には「言葉」が入ります。言葉=鳥=三位一体教義の精霊だからです。

2、鳥=精霊=言葉

キリスト教の三位一体教義では、「父と子と精霊」を信仰することになっています。
父はエホバ、
子はキリスト、
精霊は言葉と理解してだいたいOKです。

倒置していない時系列では、主人公は最初に鳥の鳴き声で自由に発話しています。

しかしその後言論弾圧の時代が来ます。典型的なのが印刷所での事件です。

誤植があるとアウト、シベリア送りの時代です。疎開して田舎での営業では、母はニワトリ(鳥の一種です)の首を切らされます。しかし鳥(言葉)の魂は小鳥となって逃げてゆきます。言葉は死んでいないのです。

母が苦労している間、主人公は初恋の人のイメージを見ます。彼女はいつも唇が荒れています。会話が、言葉が少し不自由な状態なのです。

その後、失踪していた父が帰還します。父なる神、エホバが戻ります。

すると兵役訓練の後、戦争で両親を失った少年が、坂道で頭に止まった鳥を捕獲します。言葉を掴みます。ここから言葉をめぐる事態は改善の方向に向かいます。

主人公は病床で、鳥を飛び立たせます。言葉を開放するのです。

全ての帰結として、アバンの青年があります。吃音が治療され、自由に話せるようになります。

こう考えますと、ド派手な倒置、最初と最後の真逆倒置は、親切といえば親切なんですね。「この映画は言葉が主題」ということが明解にわかります。だからと言って全体構成が成功しているとは言い難いです。難解すぎます。

正教とカトリック

病床の主人公が鳥を掴んで飛び立たせます。

これはカトリック的です。
兵役訓練の教官は身を挺して手榴弾の爆発から子供たちを守ろうとします。

彼の頭蓋骨は一部欠損しており、脳が透けて見えます。これは正教的です。

ご参照ください。
正教とカトリックの最大の違いは、正教が精霊が父からのみ発出するのに対して、カトリックでは精霊は父からも子からも発出する点です。おそらく古い考え方では、

父=エホバ=脳
子=キリスト=視覚
精霊=言葉=聴覚

だったと思われます。仏教のような認識論入っていた。それがカトリックになると単純化されて、

父=エホバ=大
子=キリスト=中
精霊=言葉=小

となります。

主人公が鳥を飛び立たせること、および子供のころの主人公が鳥の鳴き声をすることは、子から精霊が発するわけですからカトリック的です。

手榴弾から子供たちを守ろうとする教官は、父の役割を果たそうとする、かつ脳を露出するのですから正教的です。ただしこの教官はさほどポジティブに描かれていません。この辺りが「タルコフスキーはカトリックだ」と言われるゆえんだろうと思われます。実際アバンでは青年が自分で話せるようになりますし、ラストの草原では子(主人公の幼年時代)が鳥の声で鳴く。カトリックですね。

タルコフスキーはロシア生まれですが、父はウクライナのヘルソン生まれでして、カトリックの影響が強くても不思議ではないです。

一応作者はカトリックと正教のバランスを取っているようでして、
幼児の頃の主人公がネコの頭に砂糖を振りかける

および母が父に髪を洗ってもらう

これらのシーンはカトリック風の灌水式洗礼ですし、主人公が水の中で泳いでいるのは、

正教風の浸礼をイメージしています。

ロシア的妄想

時系列上のラストであるアバンの、時系列上の直前はイグナートの留守番です。

偉そうな婆さんが息子イグナートに本を読ませます。

内容転記します。

「疑いもなく
教会の分裂は欧州からロシアを引き離した
欧州を揺るがした出来事に我々は関与していない

しかしロシアにはロシアの使命があった
その広大な大地は蒙古の侵入を飲み込んだ
タタール人は西の国境を越えようとはせず
やがて退いた
かくしてキリスト教文明は救われたのだ

その使命のため
ロシアは特異な在り方を強いられ故に
他のキリスト教国とは
全く異なるキリスト教世界を形成した

ロシアが歴史的に無価値であるという意見
それには断固 異を唱える
ロシアの状況をよく見れば
後世の歴史家も目を見張るはず

私個人は皇帝の忠実な民である
しかし 現状に満足しているとは言い難い
文学者としていらだち 人間として屈辱を覚える

しかし誓って申し上げる
私は祖国の変革も
他のいかなる歴史も望みはしない
神がロシアに授けた歴史以外・・・」
(プーシキンの手紙 1836年)

本作ではスペイン内戦、それの結果としてのロシアで生活しているスペイン人たちが描かれ、

中国の文化大革命の映像も流されます。ユーラシアの西と東の果てです。

タルコフスキーの主張は、我々ロシアはユーラシア全体の苦難を引き受けている。だが失踪したかに見えた父は再帰し、言葉は回復した。これから前に進むことが出来るだろう、というものです。無茶苦茶ポジティブです。

タルコフスキーの希望に反してその後ソヴィエトは崩壊、ロシアは再び苦難に道のりを歩むのですが、ロシア人たちはタルコフスキーと同じく無茶苦茶ポジティブでして、徐々に復活してついには軍事行動で西側諸国全体を追い詰め、世界史の転換点を演出しようとしています。
彼らは元来、誇大妄想民族なのです。妄想膨らみ過ぎて通常は失敗ばかりしているのですが、時々大ホームランをかっとばす。それで世界がひっくり返る。

そのロシア気質から考えれば本作など可愛いほうでして、気宇壮大な言葉の回復物語を、変態的に凝った時系列倒置で彩って、一般の観客には理解不能になってしまったというだけです。時系列いじりすぎたのは、共産党批判になっているから警戒した部分もあったのでしょうが、作中名前が出てくるプーシキン由来だと思われます。

「ベールキン物語」はロシア文学の誕生の物語で、映画で言えばアバンに当たる、「出版社より」というタイトルの序文が時系列上のラストになる構成になっています。
「鏡」は言葉の回復の物語ですから主題も似ている。「ベールキン物語」も名作なのかどうなのか微妙ですが、「鏡」はそれ以上にわかりにくいです。

本作は10年前に解読を試みましたが、不十分な出来でずっと気にかかっていました。今回再度挑戦して前回よりはまともに解釈できたと思うのですが、膨大な時間を費やした結論としては、ただの失敗作です。
解析は苦難の道のりでした。作者およびロシア人はユーラシア全体の苦難を引き受けているつもりのご様子ですが、妄想映画の解釈の苦難は私が引き受けました。解釈した結果は失敗作。ちちちちくしょう。悔しさで私が吃音化しそうです。

鑑賞の手引き

時系列整理されすれば普通につまらないストーリーの作品と判明するのですが、それでも難解ながらも名作と言われるのは、映像が素晴らしいからです。そこは残念ながら認めざるをえない。アバンの吃音症が治ってから、タイトルに移るタイミングの良さ

草原で母をナンパする医者(母が子持ちと判明して退散します)のシーン、特に草原に吹く風の動画。

こちらは宮崎駿が「風立ちぬ」の地震シーンの元になっています。素晴らしいです。

印刷工場時代の冒頭、移動カメラでの撮影の見事さ。ありきたりに見えますが、非常に充実したカメラワークです。

イグナートの留守番、婆さんとカップ

幼年時代、扉を明けると母、

病臥する主人公、部屋の光の加減

構図的に美しいというより、動きを含めたクオリティーがべらぼうに高いです。フェリーニの81/2のスローバージョンです。

どちらか一本見るならフェリーニをお勧めしますが、本作も見て損はありません。ストーリー以外は良い出来です。


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