「宮松と山下」あらすじ解説
ネタバレありますので、未見の方はこちらから鑑賞してください。
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わかりにくい作品なので、解説した方が製作者にプラスだと思いまして、踏み込んで解説しています。盛大にネタバレしています。
あらすじ
普段はロープウェイ管理人をしている京都在住の宮松。

バイトで映画のエキストラをしています。

映画制作サイドはエキストラの人件費安く上げたいものだから、宮松は同じ日に連続して二度殺されます。侍に襲い掛かって逆に斬られて、起き上がって簑傘つけて別人になって、再度襲い掛かってまた斬られる。忙しい仕事です。




現代劇でも一緒です。撃たれて、すぐ服を準備して、すぐ駆け出して、すぐ再度撃たれます。






実は宮松は記憶喪失です。過去を忘れています。でもとにかく一生懸命仕事をしています。そんな宮松にも良い役がめぐってきました。現代劇です。

美女と同居していますが、関係は不明です。でも「できたっぽい(妊娠した)」と言っているので、肉体関係はあるのでしょう。
ある日撮影所にタクシー運転手が訪ねて来ます。古い知人だと言うのです。妹さんがいると。
宮松は記憶が戻らないまま神奈川まで行きます。宮松の本名は山下らしいです。

妹さんの家にはダンナが居ます。ダンナも宮松=山下を知っています。滞在してゆくうちに、徐々に記憶が戻って、過去になにがあったか明らかになってゆきます。

山下と妹は、母の違う兄妹です。ある日父母ともに死にました。兄の山下は寮に居たのですが、戻って妹と一緒に生活して支えてあげました。
その後タクシー会社に勤めている時、同僚というか後輩に難癖つけられます。

「(妹のことを)女として見てますよね」
喧嘩になって殴られ失神します。そして記憶喪失になって京都に辿り着きます。その後輩がなんと、妹の今のダンナでした。事件を思い出した山下は黙って京都に帰り、宮松としての生活を再会します。
妹夫婦は、山下が居なくなったことを会話します。



「帰って来ないね。結局記憶が戻らないままじゃ居づらかったんだろうな」」

「戻ったんだよ」
京都に帰った宮松は、やはり映画に出演です。車に乗っているところを後ろから撃たれるシーンを撮影します。

また、市街地で何かの撮影をしているところを観客として見ます。最初厳しい顔をしていますが、やがて希望に満ちた顔になります(撮影しているはずの俳優たちの演技は全く映りません)。




ラストシーンでは、宮松は野武士の恰好をしてバスに乗っています。これから山奥に行って撮影です。窓の外を見ていると光が差してきます。宮松は、市街地での撮影見学の時よりもさらに希望に満ちた顔になります。



兄と妹
ラストシーン、およびその前のシーンはかなり謎です。彼は何に希望を持っているのか。しかし作品全体で見ると、山下家の兄と妹の間で、肉体関係があったのかどうかが理解の最大のポイントになります。

それと並行して、撮影中の現代劇での美女との関係もポイントになります。

と書きますと、この作品の紹介だいたい終わりなのですが、一応細かく説明します。
まず、現代劇での美女ですが、宮松とは微妙な関係です。同居しています。でも夫婦っぽくはないです。宮松が女性を一方的に保護している感じです。でも女性は「妊娠した」と言います。

現実の山下家では、妹は兄の服の匂いを嗅ぎます。

妹の夫はかつて山下を「妹を女として見ている」と非難しました。

つまり、兄と妹は、血が繋がっているのに肉体関係がありました。そして現実の過去を反映するように、現在撮影中の映画でも、同居の美女とは(詳細は不明ですが)兄妹に近い関係であり、かつ肉体関係があり、妊娠までします。つまり、この作品では現実と撮影中の映画がパラレルになっているのです。
章立て見るとこうなります。

同じ色の場所が、現実と映画で対応します。
銀河鉄道パラレル
構造的にこの作品に似た作品があります。宮沢賢治「銀河鉄道の夜」です。
ジョバンニは夢の中で銀河鉄道に乗ります。夢と現実は対応しています。

本作は現実と撮影中の映画が対応しています。

こういう形式を仮に「銀河鉄道パラレル」と呼ぶとします。現実と、現実以外の世界(夢なり撮影中の映画なり)が対応しています。
銀河鉄道パラレルは、反復構成の一種と考える事もできます。できますがあまり整然としていない。現実と夢(映画)の対応の順序がきっちりしていないからです。
私の見るところでは物語は、
1、対称(鏡像)構成、つまりシンメトリー
2、反復構成
3、それ以外
に大別されます。

対称構造と反復構成にはそれぞれ派生構造があるのですが、たとえば「インセプション」の二重反復構造と、今回の銀河鉄道パラレル、ぐちゃぐちゃしていて整然としていない点は似ていますね。

要するに形式が崩れている。両者とも本来「3、それ以外」に分類するべきなのかもしれませんが、とりあえずそれぞれこの位置に置いています。もっとサンプル数が増えないと分類精度は上がりませんね。

時々質問頂戴するのですが、こういう物語構成を誰かに習ったわけではありません。どこかの本に掲載されていたものでもありません。私が物語の読解の中で観察してきて発見したものです。他の人がどう考えているかは知りません。全てが私の勘違い、という可能性もあります。しかし私はともかくもこう観察しましたし、観察の結果を元にこうやって物語の読解を進めています。
希望
ラストで宮松は、野武士の恰好をして、日の光を浴びて希望を持つ顔になります。

その前のシーンで宮松は、市街地での撮影シーンを見学して、最初いぶかしい顔ですが、最後に希望を持つ顔になります。

これらシーンの意味を考えてみましょう。
作品構成が「銀河鉄道の夜」に近いものならば、なぜ宮松がロープウェイの管理人をしているかは明らかです。ロープウェイが宮松なりの「銀河鉄道」だからです。

となると、意地悪なザネリが妹の亭主です。

宮松=山下は、ザネリの犠牲となるのですからカンパネッラになります。妹はジョバンニです。ザネリと結婚しても、永遠に兄の記憶を胸に、共に生きてゆくのです、ジョバンニが死んだカンパネッラと腕を組んで、今後の人生を共に歩んでゆくように。

映画の同居女性はどうでしょうか?彼女は妊娠しています。劇中での宮松は車の中で射殺されます。彼女は恐らく、彼女を狙っている男性役と一緒になりますが、

最終的に宮松の子供を産みます。犠牲は新しい生命を生むのです。市街地のシーンはそれを描いているはずです。


彼の普段の仕事「斬られ役」は、尊い仕事だったのですね。
という風に、本作では「銀河鉄道パラレル」の構成と、「銀河鉄道=ロープウェイ」という点に着眼すれば、最後の2シーンの意味が了解出来ます。つまりこれは犠牲者カンパネッラを主役にした、銀河鉄道派生作品です。滔々たるものですね、文化の流れは。
本作の撮影はハイレベルです。驚くほどの美しさです。賢治に見せてあげたくなるほどです。
















