「三四郎」あらすじ解説【夏目漱石】2・冒頭集約
前回はこちら。
冒頭集約と鏡像構造が夏目漱石の得意技です。

冒頭集約というのは

という構造です。物語の冒頭でこれからの内容を暗示します。名作にはしばしば登場する技法です。漱石作品では「草枕」の冒頭が充実しています。

しかし「三四郎」のほうがさらに上手く行っています。冒頭だけが列車の旅、以降は東京での物語ですが、東京での内容を列車の旅で暗示します。

最初に女性と、お灸あとのある爺さんの話があります。戦争の話をしています。女の亭主は出稼ぎに大陸に渡って行方不明です。爺さんは下車します。女性は三四郎に、名古屋で宿に案内してくれと頼みます。なにやら思わせぶりです。
同宿になって、三四郎は女に手を出せそうでもあり、そうでもなし、結局なにもしないうちに夜が明けます。別れ際女は三四郎を、度胸が無いと馬鹿にします。据え膳食わぬはなんとかです。
名古屋からの列車に乗ります。前の眠っている人の新聞勝手に読みます。その男は熟睡しているくせに豊橋到着と同時に目覚めて平然と下車します。心配になりますがどうやら間違いではないようです。
また神主のような人物と知り合います。後に広田先生とわかりますが、その時は名乗らず三四郎と話をします。話の内容は後述します。以上四人の列車中の人物は、東京で出会う人物と対応しています。

列車女=里見美禰子
列車女は既婚で子持ちですが、そこそこ美女で、生活に困って呉から四日市の実家に移動中です。三四郎に宿の手配を頼みます。宿で三四郎が風呂に入っていると堂々と入ってきます。強力です。
「その時彼女に誘う意図はなかった」という解説もありますが、普通に考えれば誘う意図ありありです。でも三四郎はチキンなので手を出さない。だから女性に馬鹿にされるのですが、そこでもしもうっかり手を出すとそのまま逆方向の四日市に引っ張ってゆかれて小説「三四郎」が成立しませんから、手を出さないのが正解です。そして作中そこまで三四郎に接近する女性は里見美禰子のみです。列車女は子供に買った玩具の音がガラガラします。美禰子も少しバイオリンの音を立てます。
列車女=野々宮よし子
ところが作中でもうひとりバイオリンの音を立てる女性が居るから話が複雑になります。三四郎の恋敵野々宮宗八の妹、野々宮よし子です。
よし子は最初兄と同居していましたが、同居していた時は入院していて同居していません、なんのこっちゃ。自宅の近所で飛び込み自殺があったので、怖がります。普段から野々宮の帰りが遅く、悪いことにお手伝いも大変怖がりなので、退院してもとの住居に居続けるのを嫌がります。よってよし子は里見兄妹宅に転がり込みます。兄は元の住居を引き払って小さなところに下宿します。この引っ越し属性は列車女そのままです。
というわけで一覧表にしてみました。

濃いです。冒頭の一人の女性の振る舞いだけで、作中の女性二人の行動をここまで先取りさせています。ネトネトに濃いキャラ設定戦略、ギトギトに濃い冒頭集約です。読み解き屋としてはこたえられません。腹の奥からうずくような快感が湧き上がってきます。いつから私はこんな読み解き変態に成り下がったのでしょうか。
今顔を上げると、空には変態雲が出ていると思います。おどろおどろしい格好しているはずです。「闇の奥」読んで欲望大魔王クルツを解析したこともありました。「暗夜行路」読んでスサノオとオロチの戦い解析したこともありました。グロいのばっかりです。青春は麗しく、中年は悲しいですね。三四郎にはなれません。

話を戻します。本作の美禰子=よし子ペアが、「虞美人草」では藤尾=糸子ペアです。遡ると「坊っちゃん」でのマドンナ=清(婆さん)ペアです。清とマドンナは接触しません。糸子と藤尾は知り合いですが敵対しています。よし子と美禰子は普通に友人です。ヒロインとサブヒロイン(どっちがどっちだかわかりませんが)の距離が近くなった分だけ、本作はより現実的な物語になります。

漱石のガンはキャラ設定戦略の欠落でしたが、ここに来て素晴らしい成長をしました。「三四郎」は「坊っちゃん」のわずか2年後です。すごいですね。
よし子は目立ちませんが、実は身長は美禰子より高いです。美禰子は樹木族ですが、よし子は石属。つまり富士山を名乗る資格は実はよし子のほうがあるくらいです。表の日本代表が美禰子なら、裏代表はよし子です。彼女たちの属性の近さが本作成功の最大要因かもしれません。

お灸爺さん=原口
爺さんは列車女の身の上を大変同情します。自分の息子も戦争に行って死んだ。戦争が悪い。なにしろ信心が大事だ。信じていればきっと帰ってくる。
お分かりのように、これでは同情にも激励にもなんにもなっていません。語る順序を変えれば「きっと帰ってくると信じていた自分の息子も戦争に行って死んだからあんたの亭主も帰ってこないだろう」です。「もう未亡人で確定ですよ。新しい亭主を見つける以外選択はないよ」と言っているのと同義です。鬼です。

東京で美禰子と長々と話し、かつ美禰子は結婚しなければならないと語る人物は、画家の原口だけです。軽視されがちな原口ですが、地味に黒幕です。
新聞男=佐々木与次郎
東京で新聞を三四郎に読ませるのは佐々木与次郎です。与次郎は三四郎と大学の同期です。非常に軽薄で、かつ機を見るに敏です。新聞男は直前まで眠っていたのに目的地で間違いなく起きて下車します。凄い敏捷さです。
与次郎は広田の書生、つまり居候をしています。列車でも新聞男は広田の隣に座っています。

広田=広田
この人だけ本人そのままです。逆に言えば地方世界と東京世界の境界線がこの人です。東京世界は西洋化がすすんでいます。広田は英語教師です。でも洋行経験がありません。西洋は写真で勉強しています。
広田と三四郎の話題は、
1、豚の鼻は伸びるという話。
2、水蜜桃をすすめる。その上でヒ素注射した桃食べて死んだ人の話
3、富士山は人工ではない。見事だけど昔からあるもの。
4、日本は滅びる。日本より頭の中が広い
です。
豚の話は、その後の三四郎の予言です。実は広田自身のことでもあります。
水蜜桃を食わせて、桃の毒で死んだ人間の話をする。三四郎に暗示のようなものをかけています。やや悪魔的です。
そして富士山は前回述べたように美禰子です。美しいけど日本人が作ったものではありません。逆に、日本人はこれから富士山を良くしなければならない。つまり国造りを考えなければなりません。
でも日本は滅びる。方向を間違っている。智識量を増やして正しい方向に向かわなければならない。広田の志は立派です。でもなにか胡散臭い。実際広田は作中で成功しません。大学教授になるため活動しますが、他の人に敗れます。

というわけで、第一章の列車の旅でこれからの内容を非常に効率的、かつ自然に予告しております。名作ですね。

「冒頭集約」の例としては、トルストイの「イワン・イリイチの死」の「死後と生前の対句」がサンプルになると思います。ご参照ください。
次回に続きます。
