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「去年マリエンバードで」解説

あらすじ

男は

女に語りかけます。

「私を覚えていませんね」

去年マリエンバードで、あるいはフレドリクスバードで、あるいはガーデン・サルサでお会いしました。
女には亭主が居るのですが、

私と一緒に駆け落ちしようと約束しました。
女は否定します。
しかし男はああだった、こうだったと妄想か事実か判別できない過去語りを延々と繰り返します。

結局なんとなく昨年駆け落ちしたかのような雰囲気になります。
最終的に女性は旅立ちの支度をして、

男性と一緒に建物の外に出ます。

ラストはホテルの遠景です。

「直線が厳密な空間を強調する神秘などない平面を
最初迷う事はありえないと思えた、最初は。
遊歩道沿いに凍結した彫像と敷石の間で迷うなどとは。

そこであなたは今すでに、迷いかけている、永遠に、私と2人きりで」

絶望の意味不明

古今東西の映画の中でも、トップクラスの意味不明作品です。あらすじ読んでいただいても理解不能だったと思いますが、これでも実はわかりやすくなっています。実際にはより一層意味不明です。

舞台は昔宮殿であったであろうゴージャスなホテルです。抽象的な庭が印象的です。

そのホテルで「去年マリエンバードで」と発言されますので、このホテルはマリエンバードではありません。
しかし去年の思い出と語られる男と女のシーンは、すべてこのホテルでの出来事です。ラストの駆け落ちシーンも、

当然このホテル内です。去年本当にマリエンバードで会ったのか、このホテルで会ったのではないか、要するに全てが不確定なのです。
女性が健忘症に陥っているという解釈も可能ですが、男性が妄想に囚われているという解釈も可能です。どちらも確定も否定もできません。

劇中劇

つまり全体は一幕の劇にすぎないのかもしれません。という非実体性を強調するために、念の入ったことに劇中劇が挿入されています。ホテル内の劇場で上演されます。

女は亭主が止めに来るのを待っています。でも結局ふんぎりをつけて旅立ちます。駆け落ちです。

劇中劇は作品の冒頭付近で上演されます。
実際に男と女がホテルから駆け落ちするのは作品末尾です。

駆け落ち映画の中で上演される演劇は駆け落ち。つまり全ては劇、夢まぼろしです。現実への手がかりがありません。

固定要素

しかし私も読み解き家を自称していますから、手ぶらで帰るわけにはいきません。なんとか内容理解の糸口をつかみたい。まずは固定されている要素をピックアップします。

1.建物
2.男
3,女
4.女の亭主と思われる人物

だけが全編に渡り登場します。

うち建物は研究のしようがありません。
女の亭主は、ゲームをやっているか、

(これは後手必勝ゲームのようです。
https://dragox.exblog.jp/16000787/#goog_rewarded
参照のこと)

数回会話をするくらいです。

面倒なのは男と女でして、服がしょっちゅう変わります。

服の選択になんらかの規則があると思い、書き出しました。
男性の服はこうなります。

女性の服はこうなります。

スーツというのはシャネルスーツです。衣装担当はココ・シャネル、但し出来は悪いです。

で会話から去年のことか今年のことかをある程度判別した上で、女性の服を中心にソートすると、

時期と服の関係がある程度判別できます
女性が去年しか着ていない服は、

白ガウン

白羽根

黒コート

黒羽根

です。

うち白ガウンは、亭主と自室で会話する時に着用している、寝間着です。2か所で着用されます。

黒コートはラストで男と駆け落ちする(?)際の着用で、1か所でしか着用されません。

白羽根も客室内着用のみです。男を見て驚くか、男を見て喜ぶか、です。

黒羽根は屋外着用を2シーン。駆け落ちはちょっと待って、と男に懇願するシーンです。つまり劇中劇と同じシーンは、黒羽根の時に演じられます。

羽根ドレスの解釈が難しいのですが、当時(1961年)は経済用語としての「ブラックスワン」という言葉は一般的でありません。バレエ「白鳥の湖」に黒鳥が出現するように、普通に対称のものを出現させただけと考えられます。

ともかくもヒロインは、現在の地点から飛び立つ意思を持っており、実際駆け落ちを敢行するのですが、庭園に迷い込み、ホテルからの、亭主からの離脱はできなかったわけです。

ゲームと射撃の時間

亭主はゲームに強いです。いつも勝ちます。男は負けます。どうやっても勝てません。

その男は射撃場で銃を撃ったりします。

そしてこの二つの行動、ゲームと射撃は、昨年か今年か特定できません。
つまり本作は大まかには、
1、特定できる時間
2、特定できない時間
二通りの時間が存在しています。特定できない時間は不変の時間、客観的真理の時間と言っても良いです。
特定できる時間だけを見れば、普通に時系列倒置作品です。去年と今年で時間が行ったり来たりします。本作の特徴はそこに、倒置ですらない時間、構造として不変の時間を導入したことです。

物語の基本は時系列通りのイベントの列挙です。昔話なんかそうですね。
しかし物語作家はそれに飽き足りません。もっと新しい物語を作ろうと頑張ります。かくて時系列倒置物語が発生します。

時系列倒置作品の上に更に工夫を加えたのが本作です。倒置することさえできない時間、動かない時間、不変の時間を随所に差し込んでいます。それで楽しい物語になったか。なっていません。わかりにくいだけです。
でも本作が「難解な作品」の代表として歴史に残っている意味を考えていただきたい。元気な奴がコロリとあっけなく死に、病弱な人間がなぜか長生きするように、失敗作品は往々にして長寿なのです。それが正しい失敗であるならば、ですが。

現実との関わり

本作は抽象的イベントに終始して現実社会との関連をほぼ持ちません。しかし関連が全く無いわけでもありません。
作中、去年の夏が異常気象だったことが語られます。8月なのに湖が凍ったと。そしてフランクという人物が女性の部屋に忍び込むけしからんことをしたと。「去年」は異常な年だったのです。そして去年の西暦はなぜかはっきりしています。1929年です。世界大恐慌の年です。

となると、女の亭主が繰り返すゲームは、

資本市場の戦いの暗喩と見るのが妥当でしょう。
ホテル併設と思われる射撃所は、

普通に戦争ですね。
女はその不変のシステムから脱出したい。でも脱出出来ない。去年、つまり世界恐慌でそこから離脱出来そうだったのだけれど、1961年の段階では結局システムからの脱出は出来なかった。だいたいそんな内容なのだろうと思います。システムというのは強いものですね。その強さを、時間の前後から外して描写している。意欲的な試み、と言えないこともないですね。

総評

宮殿を撮影した映画の代表作は、ヴィスコンティの「ルートヴィッヒ・神々の黄昏」なのですが、

本作は撮影として大きく落ちます。モノクロで抽象的なのは目新しいのですが、見ていると飽きます。

パイプオルガンの音、もう少し上手に録音できないでしょうか。

女優も魅力がありません。

wikiには

https://ja.wikipedia.org/wiki/去年マリエンバートで#出典

「最初に、現在、男Xの回想(Xにとっての主観的事実)、女Aの回想(Aにとっての主観的事実)、過去(客観的事実→Mの視点)の4本の脚本が作られ、それらをバラバラにつなぎ合わせて、最終的な脚本が完成したという」
という説明が掲載されています。
「過去(客観的事実→Mの視点))」が私の言う「特定できない時間」にだいたい相当するのだろうと類推しますが、製作者のダイヤグラムシートを見ていないのでどこまで正鵠当てているのかわかりません。外から観察するかぎりでは、このへんの解釈までが限界だと思います。

全編通じて画面に活発な動きがない。だったら絶妙の美しさがなければ間が持たないのですが、それも無い。音も悪い、俳優も悪い、頑張ったのは認めますが、魅力のある作品ではありません。もっとも意味不明のシーン

(なぜか手前の男の足が浮いている)の解釈は私もまだ出来ていません。もっと突き詰めるべきなんでしょうが、これ以上やる気力がなくなりました。


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