「戦争と平和」あらすじ解説・2【トルストイ】
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執筆の目的
「戦争と平和」は作者の社会観を開陳するために書かれました。そのためにエピローグ第二編の12節まるごと使っていますし、それ以外の箇所にも数度書き込まれています。視点としてはそれなりに鋭いのですが、理論としては不完全というか、そもそも論理的な説明できない人ですねトルストイは。だから自分の考えを理解してもらおうとすると、長い小説を書かなきゃいけない。能力に極端な偏りがある人です。
「戦争と平和」の作者の社会観を一言で説明すると
「一人ひとりの気持ちが最終的に全体社会の動きとなって現れる」
というものです。間違ってはいません。というか小説家は全員こう思っています。ミクロな気持ちの描写が全体のストーリーを動かすのが小説ですから。

1、人間は社会で発生している事件を完全には認識できない
2、したがって全ての行動は暗闇での手探りになる
3、暗闇での手探りだから、適切な行動は存在しない。なにが適切かもよくわからない
4、しかし例えば、大量のフランス人がロシアに流入して死んでいったというイベント自体は確かに存在した
5、それらはナポレオンの意志というより、人々全体の心の合算である
英雄ナポレオンの意思によってロシア戦役は実施された、という通常の観点を完全に否定します。といって「全ては必然の法則だ」と言っているわけでもありません。決定論でもなく、自由意志論でもない。
決定論では自由意志は否定されます。だって全部決定されているのですから、個人の自由はありません。
自由意志論では法則は否定されます。だって全部自由なのですから。
それでトルストイの見立てでは社会事象を成立させているのは、極小の自由意志と、ほぼ大部分の法則であるようです。しかし法則は解明されていない。だから一人ひとりの気持ちが全体を動かす。天才やら司令官やらの気持ちではない。だから一人ひとりの活動、心理を描写する。

作者が証拠として挙げているのは第三部・「ボロジノの会戦」です。モスクワ近辺で待ち構えるロシア軍、それに挑むフランス軍、結果はほぼ引き分け、しかしフランスの方が敵地に奥深く侵入しているのですから、全体戦略としては事実上フランスの負けです。補給が難しい状況での引き分けは負けです。
この戦いでロシア側はよく頑張りましたが、作者によればそれはロシア総司令官クトゥーゾフが「ロシアの兵にとって悪いことをせずに、自然に力を引き出したから」です。トルストイによれば司令官は良いことはできず、悪いことをしないことが最大の仕事なのです。なぜならば戦争の法則は解明されておらず、一人ひとりの力を引き出したほうが確実に勝ちに近づくからです。
ダブーと大陸封鎖令
がしかし、ボロジノではナポレオンが風邪で十分指揮ができなかったから勝てなかった、という意見も根強くあります。十分出来ていればフランス大勝だったと。無論トルストイはそれを否定します。「十分やることをやったが上手く行かなかったのだ」と決めつけます。またフランス側にはダヴーという、戦争の才能ではナポレオン以上の将軍がいますが、ボロジノの時にはダヴーの具申した迂回作戦をナポレオンが却下します。「却下しなければフランスの大勝」だったろう、というのが大方の見方ですが、こちらもトルストイは否定します。「実際にその戦力がフランスにはなかったのだ」。かなり無理な理屈です。
このダヴーの存在が作者にとって最大の障害です。地味で陰気で見た目が悪いのですが、間違いなく天才です。しかし彼の天才性を認めてしまうと、「戦争と平和」全編の構築理論が崩壊します。だから作者は才能を認められない。ピエールとダヴーの邂逅シーンを創作して、「心が通い合った」ことにします。小さな心の交流を描くことで、否定しきれないダヴーの天才性をごまかしました。ごまかせていませんが。
理論の崩壊は他でも見られます。心の合算がロシア戦役を生んだ、という立場ですから、大陸封鎖令の影響をトルストイは完全に否定します。フランスは海軍力がなかったのでどうしてもイギリスを倒せなかった。だからイギリスを経済封鎖した。それにより実際イギリスは大層困ったのですが、ヨーロッパもイギリスとの交易が出来なくなって困った。ロシアは最初大陸封鎖令に協力していたのですが、経済的に困りすぎて勝手にイギリスと貿易再開しました。よってナポレオンが攻め込んだというのが、まず常識的な見方です。
なぜ昔日本がアメリカと戦争始めたのか。当時アメリカから石油を輸入してその石油で軍艦動かしていたのですが、アメリカと関係悪くなって輸出停止された。このままでは軍艦動かせなくなる。だから石油備蓄が底を付く前に攻撃しようと考えました。



と誰もが理解しています。(写真はゴッドファーザーⅡ末尾、アメリカで真珠湾奇襲を話題にしているシーンです)ところがトルストイは「大陸封鎖令はナポレオンのフランス侵入の原因ではない」と言い切ります。理解に苦しみます。どうしてトルストイがそのような考え方になるのか。エピローグ第二編第三節を見てみましょう。
「歴史科学は現在流通している貨幣・兌換券や硬貨にたとえられよう。その中で伝記や各国史は、兌換券に比較しうる。それらのものは何人にも害を及ぼすことなく、むしろ利益さえもたらしながら自己の使命をまっとうして、立派に流通することができる。ただしそれは、彼らが何によって保証されているか、という問題が生ずるまでのことである。(中略)紙幣はまだしも無知の人を欺くことができたが、硬いばかりで価値のない貨幣は、何人をも欺き得ないのである」
歴史科学について論述しようとして貨幣を引き合いに出し、致命的な錯誤を露呈しています。まんま商品貨幣論です。兌換券を硬貨よりも高く評価しているのは、兌換券は金に替えられるからです。不換紙幣だったらどうでしょう。ツバを吐きかけたと思います。今日の大多数が電子信号になってしまった貨幣システムでしたらどうでしょう。理解不能だったと思います。しかし例えば私自身も、Kindle本の翻訳をカード決済で購入して、今「戦争と平和」の読み解きやっているのです。小説も決済も全て電子データーになっています。貨幣は、情報ツールに過ぎないのです。文字を書いた紙と同等です。しかしトルストイは(運悪くリアルな世界再現能力を持つほどの描写の天才であったゆえに)貨幣にもリアルを求めた、求めすぎた。
ドストエフスキーは紙幣と文章を同等に扱えたました。トルストイは彼より若いのですが、貨幣理解は古く、かつレベルが低すぎます。
「罪と罰」と「戦争と平和」はほぼ同時期に同じ雑誌に連載されています。この時がおそらく文学というジャンルの絶頂期なのでしょうが、同時に貨幣理解、社会理解の大きな分水嶺だったと思います。トルストイは社会についての洞察に失敗しています。
もっとも情状酌量の余地はあります。トルストイは大貴族ですから農地から膨大な収穫物が上がってきて、貨幣経済なしでも実は食べて行ける。荘園持ってる平安貴族です。どうしたって現代社会では通用しない貨幣観、経済観、歴史観になります。
彼が大作を書いて立証しようとした「人々全体の心の合算」を最も端的に示すのは市場です。しかし本人が自給自足可能な私有財産を持っていますから、市場経済がまるで理解できない。経済法則を理解せずに歴史法則を探求する。努力は認めますが全部無意味です。これぞ「戦争と平和」最大の弱点であり、私が軍事部分の読書のみで十分と考える根拠です。
次回に続きます
