教えてください、烏丸先生 #21 カール・ウルリクス
教えてください、烏丸先生 #21
第5章・第1話 カール・ウルリクス
週明け、校長から「これ、お願いね」と言って手渡されたのは、烏丸先生の休職延長の書類だった。報告書類は封緘されていて、私は中身を知らない。
頭が重いまま事務処理を進めていたが、手続をひとつ忘れていたのを思い出す。国語の小鳥遊先生が、給与口座を変更したい、と言っていたのに書類を渡していなかった。
事務室から職員室に行くと、小鳥遊先生のところで美術の孔雀川先生と保健室の鴨志田先生が何か話していた。
「難しいわよね、ほんと」
孔雀川先生がため息をついた。真っ赤なワンピースの袖を、くるくると折り返している。
「でも本人は毎日来てますし、授業も受けてるし」
鴨志田先生がアキレス腱を伸ばしながら言う。
「体育は?」
「着替えが、ね」
「そうよねえ」
孔雀川先生が腕を組んで腰を横に揺らす。ワンピースが揺れて、後ろから見るとフラダンスを踊っているみたいだった。
「学校としてはどう対応するんでしょう。まだ何も決まってないんでしょうか」
「副校長に相談したって言ってたけど、返事待ちみたいで」
「こういう時に烏丸先生がいてくれたら、って思いますけど」
鴨志田先生が小さく言った。孔雀川先生が頷く。
「あの人、そういうの得意そうですよね。なんか、うまいこと動いてくれそうで」
「うまいこと、って言い方が失礼よ」
孔雀川先生が笑った。
「鶴田先生はなんか言ってた?自称国際派だし」
「鶴田先生はああいうの、苦手みたいで。関わりたくなさそうっていうか」
「まあ、人それぞれよね」
孔雀川先生が伸びをしながら言ったところで、近くで読書をしていた小鳥遊先生が文庫本を机に置いた。
「さるは、前の学校にもいましたよ」
二人が小鳥遊先生の方を向く。
「前の学校?たしか、烏丸先生と同じ学校にいたんですよね」
「同じような生徒がいました。男子だったんですが、途中から女子の制服で来るようになりましたね」
「学校が認めたの?」
「10年くらい前でしたから、今ほどジェンダーレスは進んでなくて、誰かが動いたんでしょうね。詳しくは知らないですけど、ある日突然女子になってきました。最初は職員室もざわついたんですけど、しばし経てば、皆慣れにけり」
「その子、今はどうしてるんだろう」
「さて。卒業してからは、え知らね」
会話の邪魔をしないように近くに立って待っていた私は、今だと書類を差し込んだ。
「小鳥遊先生、書類をお渡しするのを忘れてました、すみません」
小鳥遊先生は丸眼鏡越しに書類を確認する。
「ありがとう、僕も忘れてました。年はとりたくないですねえ」
「ちょっと小鳥遊先生、やめてよね。私も年とったみたいじゃない」
小鳥遊先生と同い年の孔雀川先生が、窓に映る自分を確認したところで、そそくさとその場を後にした。
烏丸先生のノートの5ページ目には、一行だけ書いてあった。
カール・ウルリクス
そのページには、一枚の名刺が挟まっていた。
スナック Stuttgart
Nagi
営業時間 20:00〜翌3:00
定休日 月曜
住所:************
TEL:****-****-****
厚紙に金の箔押しで印刷されたその名刺は、角が少し丸くなっていた。何度も手に取られたか、財布に入れられていたのかもしれない。烏丸先生がスナックに行くところは想像できなかった。
土曜に見たカラスの死骸が頭にチラつく。
給湯室に水をとりに行くために廊下に出ると、英語の鶴田先生に会った。
「牛山さん、顔色悪くない?大丈夫?」
「ちょっと、色々ありまして」
鶴田先生の視線が痛い。
「何か悩みがあるなら、話聞こうか」
鶴田先生は私に一歩近づいた。
「大丈夫です、ちょっと気分が悪いだけなので。ありがとうございます」
給湯室で手を洗い、そのまま水を口に含む。
カルキの味が、いつもより強い気がした。
家に帰り、シャワーを浴びながら口の中を念入りにすすぐ。
髪をタオルで乾かしながら机の前に座り、ノートを開いた。
カール・ウルリクス
ページの間の名刺を取り出し、ノートPCを開く。
名刺を見ながら「Stuttgart」と打つ。
ドイツの地名が並び、スクロールしていくと古い店舗情報がひとつ出てきた。
「閉店しました」の文字の下に、移転先が書いてある。
L'Aquila
営業時間 20:00〜翌4:00
定休日 月曜
濡れた髪から落ちた雫が、右手を伝った。
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