お酒をやめたら仕事も人生も変わった話
2025年9月1日。ついにこの日を迎えることができた。
ぼくがお酒をやめたあの日から丸1年の時間が経ったのだ。
長かったような、短かったような。いずれにしろ、なんて濃くて意味のある時間だったんだろうか。
今回はぼくがお酒をやめてみた経験から学んだことをつらつらと書いてみる。はじめにお伝えしておくとこの記事はいわゆる科学的な理由を集めて「お酒はわるいものだ」と主張するものではない。
そうではなくお酒をやめることで見えてきた「人間と習慣」に関する考察と学びについてここでは書いてみたい。
「お酒が好き」な自分が好き
ぼくのことを知っている人に「福原たまねぎってどんな人?」と質問をしたとしよう。すると少なくとも何人かはきっとこう返事をするに違いない。
「お酒が好きだよ!」
そう自信を持って言えるのには根拠がある。それはなにを隠そう自分自身が「お酒好きなんです」とよく口にしていたからだ。会話に詰まったらすかさず「今度飲みに行きましょう」と言うのが口癖だったし、実際によく飲みに行っていた。渋谷の近くや中目黒に住んでいたときには、とりあえず目についたバーや飲み屋には足を運んでいた。3年半前にアメリカに来てからはクラフト・ビールのあまりの美味しさにびっくりして週末はよくビールを飲みに行ってた。同僚とはワインで有名なナパ・バレーを旅行してワイナリー巡りなんかもしたぐらいだ。ぼくが昔書いていた記事もよくお酒のことは触れていたし、アメリカの色んな街を訪れてはその土地ゆかりのお酒を嗜(たしな)んでいた。
こうやって振り返ってみると「ほんとにお酒好きだったんだな」とつくづく思う。
…いや、違うのだ。ここは正確に言おう。
ぼくは「お酒が好きな自分」がとても好きだった。なんだかそれがおとなっぽくて、粋な感じがして、ちょっとワルさも引き立てられるような気がして。「お酒が好き」というラベルを自分自身に貼っていたというのが真実だと思う。
でもそれは後述するように「ほんとうにお酒が好き」とはぜんぜん違うことだった。そんな事実を突き付けられたのはある事件だった。
一生忘れることのない「英単語」
それは唐突のことだった。ぼくは日曜日の朝に目を覚ました。体を起こしてベッドを降りようとしたその時だった。
「痛ぇぇぇぇぇ!!!!!!」
左足を踏み込んだ途端に絶叫した。最初は一体なにが起こったのか分からなかった。立つことも激痛で叶わなかったので、ぼくはもう一度ベッドに腰を下ろした。
左足の甲に目をやる。真っ赤に腫れていた。
あーーー骨折したのか。。。
そう思った。というのも前日の夜はお酒を飲んで酔っ払って帰ってたから、帰り道になんかやらかしたのかなと思った。
これはさすがにまずい。病院に行った方が良い。そう判断したぼくはUrgent Care (アージェント・ケア)と呼ばれる緊急病院へと向かった。片足をけんけんするような形で。
病院に着くとすかさず検査が始まった。
「どうやら足が折れちゃって」そう、ぼくは残念な顔をしながら伝えた。中年の白人のお医者さんは額にしわを寄せてぼくの左足を一瞥した後「まあ、よく調べてみよう」とだけ言った。そこからレントゲン写真を撮ったり血液の採取をしたりといったプロセスを一通りこなした。
検査が終わる。すると15分もしないうちにその白人のお医者さんは印刷した一枚の紙を手に持ってすたすたとぼくのところにやってきた。額にしわをたんまり寄せて、すべてをあきらめたような表情で一言言い放った。
そしてその発せられた4文字の英単語は今後ぼくが一生忘れることのないものとなった。
gout
お医者さんはそうはっきり言ったあとに薬の処方なんかについてあれこれと説明してくれた。
そして最後に一言こう付け加えた。
今後アルコールはできるだけ控えるようにね。
ぼくはそのgoutという英単語の意味を知らなかったのでなんだかよく事情が飲めずに生返事をした。
「あれ、骨折じゃないのか⋯?」そう不安になりながらお医者さんが部屋を出ていったあとにさっとスマホを取り出した。そしてgoutと検索してみた。するとGoogleはまた今日も正しすぎる答えを出すじゃないか。検索結果の画面上部いっぱいにシンプルにこう書いてあった。
痛風 (つうふう)
ぼくはしばらく呆然としたあと、アメリカに来てからはじめて小声で「ファ◯ク」と叫んだ。
お酒をやめた日
この日が来ることはなんとなく予期していた。おじいちゃんも父親も痛風持ちだった。そしてぼくはよく父方の親戚の血を色濃く引いているなと思う部分がいくつもあるから、(4つ上の兄ではなく)引き継ぐとしたら弟の自分だろうなと思っていた。
ちなみにお酒はたしかに飲んでいた。でも飲むのは週末だけだったし、なんなら飲まないこともよくあった。だからお酒だけが原因というよりも、やはり遺伝の面も大きいんだろうなとぼくは分析している。
そして帰りのUberタクシーの中でぼくはある不思議な感情を持つに至った。それはとても意外なものだった。
なんだか救われた気がしたのだ。
そこには確かに安堵の気持ちというものがあった。
なにかの強がり?いや、違う。ここには明確なわけがある。
それは「これはお酒をやめるいい機会だな」という喜びだった。
実のところ昔からお酒を夜遅くまで飲んでは「本当は身体に良くないな」と思うことがしばしばあった。翌朝起きて全身で感じる体のだるさに嫌気が指すこともあった。友達とワイナリーを回ったときも、ほんとはその後体調を崩していた、なんてこともあった。
ただそれでも「お酒が好き」という自分を捨て切れなかった。それでいて「一度お酒をやめてみたいな」とちらほら考え始めている自分にも気付くようになった。
そんな折の"gout" (一生忘れない英単語だぜ!)、つまり痛風だった。
ぼくはこれを好機と捉えることにした。「お酒をとりあえず1年やめてみるか」。
そう決意した。Uberタクシーの窓辺からはゆっくりと日が沈もうとしていた。だんだんと日が短くなる秋の始まり。そう、それは2024年9月1日のことだった。
ノン・アルコール・ビールという希望
ぼくにとって「お酒をやめる」というチャレンジは意外にもそんなに難しいことではなかった。いわゆる禁断症状というものもなく割とスムーズに断酒生活に移行した。
やっぱりこころの奥深くで「ほんとにお酒って必要なんだろうか?」と疑問に感じていたのだ。だから「いざやめる」となったら、「待ってました」と思っている自分がいた。それはとても興味深い発見だった。
そうは言ってもなんとなく「口が寂しい」と感じるときは良くあった。そこで、これまた好機にしようと捉えて「おいしいノン・アルコール・ビールを探して飲む」ということにトライしてみることにした。
初めは「ノン・アルコール・ビールは美味しくないんじゃないか?」と思っていた。そして実際に美味しくないものもたくさんあった。でもそこで諦めずに自分なりに調べては買ってを繰り返してみた。
これがビンゴだった。日本ではどこまで報道されているのか分からないけれど、今アメリカは空前のノン・アルコール・ビールのブームが来ていた。名だたるクラフト・ビールのメーカーがこぞってアルコール度が極限に抑えられたビールを発売するようになった。
これがめちゃめちゃ美味い。びっくりする。各社から色んなフレーバーも出ていて飽きることはない。そこからというもの、ぼくはノン・アルコール・ビールを色々と試すのが趣味の一つになった。
「お酒をすべて断つ」となるとハードルが高い。きっと挫折する。だから段階を踏もうと思った。そんな折に「お酒の代わりにおいしいノン・アルコール・ビールを飲む」というステップを辿った。
厳密に言うとノン・アルコール・ビールにはアルコールがほんの少し入っているものもある。
でもそんなことは良いじゃないか。そう思うようにした。
完璧ではなく出来ることをやろう。こんな感じで出来るだけ挑戦へのハードルを下げてみた。これがなかなか効果的だったと今振り返って思う。

クラフト・ノン・アルコール・ビール
ぼくはそうして割とすんなり断酒生活を続けられることになった。もちろんお酒を断つことに本当に苦心されている方にはぜんぜん参考にならないかもしれない。でもこれは後述するけれど「実は本当はそこまでお酒は好きじゃないけれど、なんとなく飲んでいる」という方には少しでも参考になったらなと思っている。そしてそんな「なんとなく飲んでいる」という人の数は結構多いんじゃないかとぼくは見込んでいる。
とてつもない断酒の効果
お酒をやめるようになってから体とメンタルに変化を感じるようになったのは割とすぐだった。そしてそのポジティブな効果は半端なかった。以下の3つにまとめられると思う。
1. 健康的になった!
体が軽くなったような気がする。これがまずはじめに気付いたことだった。
ビールの糖質ってばかにならない。加えてお酒を飲むときはどうしてもおつまみを食べちゃう。これを夜遅い時間帯に口にしていたのだからそりゃあ胃にも負担がかかる。
「なんか健康的になってない?」そう人に気付いてもらったときには思わずガッツポーズをしてしまった。
お酒を抜くとぼくの場合は眠りが格段と深くなるようになった。きっとこの睡眠の質の向上が健康というパラメーターを全般的に押し上げてくれている気がする。
そしてこれはなんだか信じてもらえない気もするけど本当にそう思っているので自信を持って言う。
ぼくはお酒をやめてから明らかに元気になったと思う。
やっぱり体調が整い健康になるとメンタルもだいぶ穏やかになる。「体から作っていくことがいかに大事か」を痛感させられることになった。
2. 使える時間が増えた!
まず「何気なくバーに足を運ぶ」という時間がなくなった。これは積み重なるとものすごい量の時間を産むということにまもなく気付いた。
ぼくは「本業があれだけ忙しいのによくこんなにnoteで文章を書けますね?」と不思議がられることがよくある。
でもそのひとつの答えは「飲みに行く時間が減ったから」なのだ。代わりにnoteを書く量が随分と増えた。
そして同じように本を読む時間も圧倒的に増えた。ぼくは最近「たまねぎブックス」という本を読んで考えたことを書くシリーズを始めてみた(以下の記事など)。こういう新しい取り組みが出来るようになったのも「お酒をやめたから」という理由が大きい。
生産活動に使える時間が増えるとやっぱり人生の満足度はぐっと上がる。そんな事実を身に沁みて感じている。
3. お金が節約できるようになった!
ビールやワイン、それにおつまみに費やしてきた金額ってひとつひとつは小さいかもしれない。けれどこれが毎週となるとやっぱり大きな金額になっていく。これがなくなるのはめちゃくちゃでかい。
ぼくはこの浮いたお金である投資をした。それは有料メディアを購読するようにした。前々から読んでみたかった「The Wall Street Journal」を契約することにした。
これも今までは「また追加でお金払うサービスが増えるのはいやだな」と思って逡巡していた。でも「そういえば、お酒に払うお金がいらなくなったな」と気付いたら購読を後押しされた。
お金が浮けば投資ができる。それは新しい未来への第一歩だった。
このすべてのコンビネーションが実は仕事にも生きた。以前よりもぐっと健康体になったことで「疲れへの耐性」も増して、仕事をしているときの集中力が増した。
仕事の生産性を爆上げしたのは「AI」や「ロボット」ではなく「健康」だった。
お酒をやめた効果はとんでもなかった。
「飲まないとやってられない」は本当か?
ぼくはここで大事なことを強調したい。それは「お酒自体はわるくない」ということだ。
ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎⋯。太古の昔から今に至るまで人はお酒というものを嗜んできたわけだし、お酒があるところには豊かな文化が生まれてきた。ぼく自身もお酒を飲みながらジャズ・バーで人生観を変えられるような経験をしたことがある(以下の記事に書きました)。はたまた親友やパートナーとじっくり飲み明かした思い出深い夜もある。
だからお酒をいきなり「わるもの」にする気にはさらさらなれない。本当にお酒が好きで「気の良い仲間」としてお酒とうまく付き合ってるならぜんぜん問題ないと思う。
それでも本当はそうじゃない人もたくさんいるんじゃないだろうか?つまり実はなんとなく付き合いやノリで飲んでいるだけで本当はそこまでお酒を飲まなくてもいいという人たちだ。
かくいうぼくも実はその一人だった。アルコールではなく「お酒好きな自分」にほろ酔いしていた。でもふと素面になった時に「本当はそんなにお酒というものがなくても大丈夫な人間だった」ということに気付いた。
ぼくは久しぶりに会った友達とご飯を食べているときに冒頭で「今お酒やめてるんだ」と伝えた。すると肩をなで下ろしたように安堵の息を吐いて「あ、じゃあわたしも今日は控えるわ」と言った。「実はわたしも本当はお酒なくていいんだよね」と思い出すようにぼそっと口にした。それからノン・アルコールでいつもの楽しい「飲み会」となった。
そうなのだ。お酒がなくても楽しいときは楽しいのだ。お酒の問題ではないのだ。
でもきっと口を揃えてこう言う人はたくさんいるだろう。
飲まないとやってられなくてさ
その気持ちはとてもよく分かる。ぼくもなんならそう思ってた。でも1年やめてみて気付いたのは「意外とそんなことない」だ。
人生には楽しいことが他にもわんさかある。お酒は間違いなく人生に花を添える美しいもののひとつだ。でもその「ひとつ」でしかない。お酒というコンテンツがひとつなくなったとしても、他にも楽しいことやストレスを発散できることはいくらでもあるのが人生の希望だと思う。
「"なんとなく"の習慣」と上手く付き合う
ぼくはこの1年間の断酒でとても大事な学びを得た。それは「おとなだからといって"ずっと"お酒を飲み続けなくてもいい」ということだ。
なんだかぼくは20歳を超えておとなになったらお酒というものを始めてそのまま一生を遂げるまで付き合っていくものなんだろうなと思っていた。そうやって飲酒の習慣は当たり前のものとして存在するようになった。
でも「おとなになったらお酒を飲み続ける」ってそもそも一体誰が決めたんだ?本当に「お酒を飲む」という行為は自分が選択したものなのだろうか。それは実は結構疑わしいものなんじゃないか。なんとなくの空気に流されて、なんとなくアルコールを口にしている。そんな人の数は決して少なくないんじゃないだろうか。
こんな感じでおとなになるに連れて人は「"なんとなく"の習慣」を足していく。これはお酒に限ったことではない。それはタバコやコーヒーかもしれない。はたまたスマホでダラダラと時間を過ごしてしまうということかもしれない。そうして知らず知らずのうちにぼくらは「"なんとなく"の習慣」を幾つも抱え、それをこなしていく毎日に忙しくなっていく。
そんな生活は豊かなのか?それについて一度立ち止まってゆっくり考えてみることにはすごく価値があると思う。
で、はっきり言って豊かをもたらしているケースはぜんぜんあると思う。お酒やタバコの存在がその人に深い味わいというものをもたらし、人生に彩りを与えるケースは珍しくないだろう。例えを出すなら『ロング・グッドバイ』で私立探偵のフィリップ・マーロウがお酒やタバコを口にしないとしたらなんかしっくりこないと思うに違いない。だからこの記事は「本当にお酒が好きでそれが人生に必要という確信がある」という方にはきっと刺さらないんだろうなということは重々承知している。それでなんの問題もない。
でも「なんとなく飲酒」をしていて「本当はそこまで必要ない」という事実をこころの奥深くで気付いているという人も多くいるんじゃないだろうか。
そんな方はそんな「"なんとなく"の習慣」と上手く付き合うのが良いのではないかと個人的に思う。
ある程度距離を置いて「本当に必要なのかな?」と3秒自問してみる。答えが「Yes!」ならやってしまえばいい。でも「No」なら勇気を持って断ってみる。一切断つとなると肩が凝るし強い決意みたいなものも必要になるからハードルが高い。だからこそ「上手く付き合う」ことはとても大事だと思う。
ぼくも実は「お酒を一生やめよう」と変なプレッシャーを自分にかけてはいない。「今だな」と自分が判断した時はきっと飲むに違いない。
ただ同じ飲酒でもここには大きな違いがある。
それはお酒が自分をコントロールするのではなく、自分がお酒をコントロールするということ。
1年間の断酒を通じて学んだのは「どうやって自分らしく生きるのか?」という大事な問いへのヒントだったのかもしれない。そんな話でした。

今日はそんなところですね。ここまで読んでくださりありがとうございました。
家の近くの海で。シアトルで夏の夕暮れを眺めながら。
それではどうも。お疲れたまねぎでした!
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きっとおもしろいこと書きますので!