短編小説 | ギャルの踊り子 (ギャルと純文学シリーズ/川端康成編)
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トンネルを抜けると其処はハワイであった。
正確にはハワイのような場所であった。空の底が抜け、海が青く染まった。その急行列車はカップル、家族連れ、外国人などでごった返していた。その者達は浮かれ騒ぎ、間もなく到着する急行の終着駅と、そこから始まる南国のレジャーを心待ちにしているのであった。
走馬燈の想いで、老人は席に座っていた。
五月蠅い、只々五月蠅い。
急行列車の椅子は向かい合わせのボックス席になっており、其の混みあった車内では、見知らぬ他人同士が顔を突き合わせて座らざるを得なかったのである。
老人の隣には派手なギャルが座しており、向かい側に居る恋人とおぼしき男と大声で会話し、時折ガサゴソと弄り廻している手荷物のリュックが、腕と謂わず肩と謂わず、処かまわず老人の身体に触れるのであった。
老人はそのたび身を縮め、顔を顰めてギャルに無言の抗議を向けるのだが、その抗議に気付いたギャルには全く以て悪びれる様子はなく、「ああ、おじーちゃん、ハイチュウ食う?」などと宣い、ニコニコしながら、その飴菓子を老人に差し出したりするのである。
ハイチュウ?そのようなものを食えば、喉に詰まるではないか。
死ぬではないか。
餅、大福、こんにゃく畑、ハイチュウ。それらの弾力を帯びた食品群は老人の天敵であった。親の仇の死の象徴であった。伸び縮みするから、或るタイミングでは飲み込めそうな気もするが、決ッして飲み込んではならぬ。
咀嚼の過程での伸び縮みの、その縮んだ刹那に勘違いしてゴクリとやってしまえば、それは喉の奥で余計な弾力を働かせて膨れ上がり、窒息して苦しむことになるのである。故にハイチュウなぞは断じて食えぬのだ。
死ぬではないか。
「どうもありがとう。でも結構ですから」
老人は般若の想いであったが、その派手なギャルの申し出を、笑顔で断ったのである。
***
老人はひとりであった。
かつての老人は世に名を轟かせた文豪であった。自身でも小説を発表する傍ら、権威ある文学賞などの審査員も務め、その名はときにノーベル賞の候補に挙げられた程であった。
しかし、文学という名の平家は祇園精舎の鐘の音を響かせ乍ら壇ノ浦に沈没し、同時に老人の名声も沙羅双樹の花のように、少しづつ風に吹かれて儚くも散ってしまっていたのである。
老人は伊豆の南端の鄙びた静かな旅館で、ガス管でも咥えて死ぬつもりであった。
その栄華を知りつくした身で、衰えきってしまったその肉体と名声にしがみついているのは自分の矜持に似つかわしくないものであると、そのように老人は考えていたのである。
しかしハイチュウで死にたくはなかった。列車でギャルから貰ったハイチュウで死んだらかっこ悪いではないか。そこらへんが老人の考える、文豪の文豪たる矜持なのであった。
老人は、列車を降りた。
- 2 -
南国SUPERハワイアンリゾート
――赤貧館――
駅に迎えに来ていた送迎バスに乗り、着いた旅館は、老人が過去にたびたび利用して、気に入っていた『赤貧館』の姿では無かった。
なんごく すうぱあ はわいあん りぞおと?
老人はその正式名称を口の中で呟いた。南国でスーパーでハワイアンなリゾートである。その枕詞に老人の知る『赤貧館』という名が似つかわしくないバランスでくっついていた。
***
老人の知る赤貧館は、静かで美しい海辺に佇む鄙びた温泉宿であった。
建物は古びていたが清潔感があり、食事は簡素だが心がこもった田舎風の美味しいものであった。そしてなにより部屋の窓や露天風呂から見える、銀色の砂浜から海へと続く眺めは、過去の老人に格別の感動を齎していたのだ。
海は変わらない。そこへと続く銀色の砂浜も当時のまま輝いている。
しかし、その赤貧館の建物は、モデルニスモ建築を思わせる、白いスタッコ仕上げの漆喰壁のモダンな姿へと変貌を遂げており、敷地内の円形のプールの周囲には南国風のバーカウンターなぞが設えられていたのである。
そのプールの周辺には、水着姿の若者が行き交い、据え付けられた巨大なスピーカーからは耳を劈く大音量の4つ打ちキックからなるEDM (エレクトロニック・ダンス・ミュージック) が轟いていたのだ。
ドッ!ドッ!ドッ!ドッ!
老人の思い描いた死に場所は、老人よりも先に黄泉へと旅立っており、静かな砂浜も海も消滅し、ただ喧しいだけのEDMが鳴り響くリゾート地だけが存在していたのであった。
老人はインターネットが使えなかった。良く解らぬものであると嫌悪すらしていた。その為、老人は旅館を予約する際には、赤貧館の電話番号が記してある過去の手帳を引っ張り出し、直接電話をかけて予約を取ったのである。
よく解らなくても、ひとめインターネットで見ておくべきであった。それか駅のJCB旅行カウンターにでも行くべきであった。
老人は後悔した。
- 3 -
「あれ~?電車のおじーちゃんじゃん?」
若い娘が近くに立っていた。急行列車で隣の席に座っていたハイチュウのギャルであった。
「ここに泊まるんだね~」
老人はギャルの姿を見た。ギャルは老人には眩しいばかりの水着姿であった。
***
肌を包む薄い布地は太陽のプロミネンスを神が引き剥がしたような陽の黄金色を湛えている。極限まで削ぎ落とされたその意匠は、彼女の肢体が描く柔らかな曲線を隠すためではなく、その光を増すための装置であった。
そして何よりも目を引くのは、その水着の布地を内側から力強く押し広げる、豊盈な胸の曲線であった。それは地中海の陽光をたっぷりと吸い込んで熟れきった果実のように、重たげで、かつ瑞々しい緊張感を孕んでいる。
彼女が髪をかき上げ、胸を張って潮風を吸い込むとき、その姿は単なる肉体の誇示を超え、生命そのものの謳歌へと昇華された。
溢れんばかりの生命の重みは、見る者に畏怖すら抱かせるほどの存在感を放ち、真夏の空気そのものを濃密に、そして甘美に変質させてしまうのであった。
***
と、老人は頭の中でその文学的語彙力をフル回転させて、ギャルの水着姿(おっぱい)の描写をするのであった。
「胸ばっかみてんじゃねーエロじじー」
その若き女体の突出した実存(おっぱい)に圧倒され、唖然と佇む老人に、ギャルは笑いながらそう言い放つと、傍らにいた彼氏と共にビーチへ去ってゆくのであった。
- 4 -
老人は海岸を歩いていた。
寄せては返す波の境界線を、一歩、また一歩と踏みしめていた。
薄くなった皮膚を透かして見える血管は、まるで枯れ木の枝のようだが、その足取りには迷いがない。砂が指の間をすり抜けていく感触は、彼がこれまで費やしてきた膨大な時間の砂時計が、いよいよ最後の一粒を落とそうとしていることを告げているようであった。
恐怖はどこにもなかった。あるのは長い旅を終えようとする旅人が抱く深い安ど…
ぽこん!
老人の頭にビーチボールが衝突した。
「あっ、すみませーん!」
ビーチバレーをしている若い男女が老人に謝罪していた。老人はビーチボールが頭にぶつかったことなど、どうでもよかった。
***
老人は思索へと戻る。
海風が老人の髪を優しく撫でて通り過ぎる。それは、世界が彼に与える最後の手向けのように温かかった。老人は目を閉じ、肺の奥深くまで潮の香りを吸い込んだ。心臓の鼓動は、寄せては返す波のリズムと次第に同ちょ…
どすん!
「びええええええ!」
ソフトクリームを持った幼子が、浮かれる余りにビーチを駆け回り、老人の身体へと衝突した。ソフトクリームは老人の高価な和服にべっとりとこびりついてしまった。
「ああっ!すいません!」
幼子の母親とおぼしき若い女性が駆け寄ってきて老人に謝罪する。
「いえ…いいんです」
老人は答え、思索に戻ろうとした。
いや、無理だ。砂浜は人でごった返していたのである。水着姿の人、人、人、だったのだ。そんな中を老人は和服姿でうろついていたのである。この状況では老人の行動の方がおかしい。理に叶っていない。
突然、老人は高らかに笑いだした。
その姿は、真夏のビーチに突如現れた、格調高き和服姿の不審者であった。
- 5 -
老人は宿で夕飯を済ませた。
其の品書きは、ファヒータやロコモコやタパスなどといった、老人が目にするのも口にするのも初めてのものばかりであった。
老人は最初戸惑ったが、口に入れてみれば、喉に詰まらせる心配もないようなものばかりであったので、安心して食事を楽しんだ。
ふム、悪くはない。
老人の頭の中は『食べ物を喉に詰まらせて死んだらかっこわるい』という考えに支配されていたのだ。喉に詰まりそうなら、即座に吐き出す、くらいの気迫に漲っていたのである。
***
老人は死ぬ前に温泉に入ろうと思った。その身を清めようと思った。禊であった。
老人は湯場に赴き、その服を解いて全裸になると、湯に浸かる。宿の外のスピーカーからはEDMがその大音響を響かせていた。
ドッ!ドッ!ドッ!ドッ!
EDMのキック音が湯の表面を揺らしている。
「あっ…!あっ…!」
4つ打ちキックの音と被るように、喘ぐような女の声が微かに聞こえた。老人は不審に思い、湯の中で立ち上ると、耳を澄ませて声のする方向へと進むのであった。
バスドラムが高らかに鳴り響く。
ドッ!ドッ!ドッ!ドッ!
「あっ!あっ!あっ!あん!」
湯場の近くには、プライベートジャクジーがあった。プライベートとは謂うものの、水着で入浴することが前提であった為、その仕切りは厳密に区切られておらず、老人はその白いスタッコ漆喰の隙間から向こう側を覗きこんだ。
***
オーク材で作られた、ジャクジーのデッキに男が寝そべり、その上に乗った裸の女が、さかんに身体を動かしているのが見えた。
女は列車のギャルであった。
ギャルの腰つきは、まるでハワイのフラダンスのようであった。老人は昼間のギャルの瑞々しい水着姿を思い出した。
外のスピーカーから流れる音楽は、いつのまにかEDMからアフリカンなリズムのダンス・ミュージックに変わっていた。
ズンドコ!ズンドコ!
ギャルはその音に合わせるように男の上で腰を振るのであった。南国ポリネシアンのフラダンス。官能的で情熱的なフラダンス。老人の頭のなかでは、砂浜に焚かれた松明の炎が夜の帳を赤く染め上げ、一人の踊り子が、闇の中から浮きあがってきたように見えるのだった。
ギャルは踊り子に姿を変え、さらに激しいダンスを老人の目の前で舞い踊った。
ズンドコ!ズンドコ!
パフドラムの重厚な音が、大地の鼓動となって、高らかに夜空に響き渡る。
それに呼応するように、踊り子の腰は緩やかに、しかし力強くうねり始めた。それは寄せては返す波の記憶であり、あるいは地底で眠る溶岩の目覚めであった。豊潤な曲線を描くその腰の動きは、見る者の視線を捉えて離さず、理性をじりじりと削り取っていく。
ズンドコ!ズンドコ!
老人は、男の上で官能的なダンスを舞う踊り子をじッ…と見つめた。やがて老人は自分が興奮していることに気付いた。
あろうことか老人は回春していたのである。それは実に数十年ぶりの屹立なのであった。老人は驚き、かつ自分の中から何らかの力が漲って来ていることに気付いた。
ズンドコ!ズンドコ!
アフリカの大地を彷彿とさせる野生のリズムと生命の息吹が、老人の肉体と精神を支配した。老人は毅然と背筋を伸ばした。その顔には決然とした意志が漲っていた。
生きよう。
老人はそう思い、ものは試しにと、ちんちんを弄ってみたのであった。
(2026/02/27)
[ギャルと文豪] シリーズ
