あ 12話
夢・女
※虫の描写があります
横断歩道の信号が点滅し、青野さんの家族は立ち止まった。
子どもを挟み手をつなぐ、三人の後ろ姿。
娘がわたしの手を引き、駆け出す。
四角い通園バッグが跳ね、箸箱の音が同じリズム。
青野さんの家族に追いつく。
男の隣に立つ娘。
男の空いている方の手を握った。
「おとうしゃん」
と娘。
目の前の道路。車が往来を始めた。
その向こうに長い階段が見える。
丘の上に大きな灰色の建物。
病院の名前が掲げられている。
「林さん」
と呼ばれ、顔を向ける。
別れた夫。
娘と手をつないでいる。
「ぴろぴろ?」
と言い、娘の頭を撫でる。
「おとうしゃん」
と娘。
小さな手が、わたしから離れる。
娘は別れた夫の太ももに抱きつく。
「カピカピ?」
と別れた夫。
微笑む。
わたしの手首をつかむ。
カットソーの袖を肘までずり上げる。
パーにした手のひらで、わたしの腕を何往復も撫でる。
信号が青に変わる。
つかまれた手を払う。
一人駆け出す。
横断歩道を渡り、長い階段を一段飛ばしにのぼり、丘の上の病院へ駆け込む。
内科受付を通り過ぎ、婦人科の診察室の戸を開ける。
狭い部屋に入る。
「脱いだものは、かごに入れてくださいね」
と言われる。
ズボンとパンツを脱ぐ。
内診台に乗る。
カーテン越し。
「力抜いてね」
と言われ、息を吐く。
「あらら」
と小さな声が聞こえる。
ガシャンッ。
と音。
頭を浮かせ、前を見る。
太陽。
白く飛ぶ。
目を閉じる。
ゆっくり開けた薄目の視界。
医者の顔。
影に見える。
「こんくらいに縮んじゃってる」
医者は両手の指先を合わせ、ハートマークをつくった。
「……産すぐ……はっしょ……赤ちゃ……お世……変だし……こっちは落ち着いてから……ね」
喋り続ける医者。
わたしは内診台からおりる。
パンツとズボンを履く。
狭い部屋を出る。
内科の前の長椅子に座る。
ポシェットを開ける。
アルコール綿の袋を取り出す。
指先で袋を裂く。
画びょうが刺さったカメムシと蟻が出てきた。
手のひらに乗せ、息を吹きかける。
蟻は飛んだ。
ひらひらと緑色の廊下へ落ち、靴に踏まれた。
手のひらに残ったカメムシ。
つまむ。
薄い羽が砕けた。
カットソーの裾をめくる。
カメムシごと、画びょうを自分の腹に刺す。
「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、く、とお」
十秒数える。
親指と人差し指で画びょうをつまみ、腹から抜いた。
病院を出る。
暗闇。
階段を一歩ずつ、ゆっくりおりる。
足もとに、ぽつんと柔らかな光。
茶色い来客用のスリッパが、片方、裏返しで落ちている。
手を伸ばす。
「林さん」
優しい声。
顔をあげる。
緑色の廊下。
プラカードを掲げた男が、わたしを見ている。
「トイレ、どこ?」
と男。
二本、指を立て、二階と教える。
「ありがとう」
と男。
背を向ける。
男の足。茶色いスリッパが、ぺたぺたと遠ざかっていく。
わたしは灰色の玄関にしゃがんだまま、
「あ」
と言う。
男は振り返らず歩いていく。
「あ」
もう一度言う。
振り返らない。
ぽろっ。
乾いた砂の上に、マリーゴールドの花の頭が落ちた。
わたしの頭は垂れ下がっていく。
ひらいた膝の中に埋もれた。
ダンゴムシになった。
