読書記録「天使も踏むを畏れるところ」松家仁之
『天使も踏むを畏れるところ』
松家仁之 著
新潮社
初版年月日 2025年3月26日
ネタバレ度:★☆☆・・・ネタバレには配慮して書きましたが、まっさらで読みたい方は読んだらまた来てね!
上下巻合わせておよそ1,100ページ。
建築に興味がない人には退屈かもしれない。
しかし、もしあなたが少しでも建築に関心があるならば、間違いなく最高の読書体験となるはずだ。
建築や歴史に詳しい方であれば、モデルとなる人物を当てはめてゆく謎解きの楽しみと、やはり新宮殿造営の内実が明かされることへの驚きがあるのではないだろうか。
本書は、皇居新宮殿造営にまつわる顛末と、その設計を担った建築家・村井俊輔の半生を中心に、複数の人物の視点から戦前〜戦後の歴史を背景にして描かれた物語である。
あくまでも史実を元にした創作であるため、調べてみると登場人物に関しては大胆にフィクショナイズされている部分も多いが、皇室の方々や政治家、外国の建築家については実名や匿名で頻出し、実際の歴史的事件などの描写もあるため、まったく違和感のない物語世界が構築されている。
日本国内および世界の名だたる名建築と、それらがなぜどのように素晴らしいのかが、作中で事細かに描かれていて、大変に勉強になったし興味深かった。建築のみならず、美術や工芸の分野の描写も素晴らしい。
フランク・ロイド・ライトによる落水荘や、グンナアル・アスプルンドによるストックホルム市立図書館は、一度でいいからこの目で見てみたいと思った。
戦時中に突貫工事で建てたという、耐爆施設の天皇の住居である御文庫と、御前会議が開かれポツダム宣言受諾を決定した御文庫附属庫の存在を初めて知り、驚いた。国民の生活が安定するまではと、宮殿及び御所の造営を許可するのに長い時間を要したことも。
また、新宮殿造営とは、戦後の新しい皇室のあり方への指針となるべきものであり、その姿勢には、初の民間出身の皇太子妃と皇太子の御成婚もまた大きな一歩であったこと、いわば天皇制と民主主義がどのように共存すべきであるかという面からも描かれている。
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大正時代に生を受けた建築家・村井俊輔の半生をたどりながら、村井少年と一緒になって都電の窓から景色を眺め、硫黄島や紫禁城、大連のヤマトホテル、朝鮮の草家への旅に心躍らせた。
タリアセンでの夢の中のような生活にうっとりし、「山の家」と称された自然に囲まれた暮らしは、どんなに心地よいだろうと想像した。
建設省から宮内庁に出向となった技官・杉浦とともに、皇居内の御養蚕所に感嘆し、黒澤や小津の映画を観て、オスロの港で海老を食べ、先人の建築家・竹内尚久が残していった仕事に大いに感じ入った。
同期の渡辺とのやりとりはいつも軽妙で面白く、詰めていた息がふぅ〜とほぐれた。
同時に、皇居内の東宮御所、吹上御所の新設に伴って、上巻から通奏低音のように流れている宮内庁の役人・牧野という不穏な存在の影が、下巻になりいよいよ新宮殿の建築が実現する段になって黒い雷雲のようにどんどん大きくなってゆく。
建築家の歯痒さはもとより、宮内庁側と建築家の間に挟まれる建設省技官・杉浦の心痛やいかばかりかと苦しく、やりきれなさで一杯になった。
再読時、上巻終盤の、京都御所内の柱のある風景がいかに美しく素晴らしいかが書かれた部分を読み返すと、ことさらに胸が痛んだ。
最終的に村井俊輔が出した質問状の件では、その手段に驚きつつも、彼が質問状を公開したことにより、後世の私たちが新宮殿造営にまつわる内情を知ることができたわけだ。その胆力、本文中の「押しもどす力」には驚くほかない。
部下の小林が、質問状を投函しに行った東京駅前の中央郵便局で呟く場面が忘れられない。
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恥ずかしながら建築素人の私は、村井俊輔のモデルとなった建築家・吉村順三のことを本書を通じて初めて知った。
調べてみると、彼の系譜に連なる建築家の中には、今をときめく住宅建築の名手である堀部安嗣、中村好文、伊礼智などがいると知って、なるほど吉村順三が住宅建築を最も大切にし、現代の住宅建築に多大な影響を与えた方なのだな、と逆によくわかった。
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NHKラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」での対談によると、作者の松家仁之さんは、新潮社での編集者を経て退職し、作家の道を歩まれたとのこと。
編集者時代より、皇居新宮殿造営を題材にした物語を書きたいとの思いがあり、退職翌日から書き始めるも、あまりに壮大なスケールの物語であったため、まずは本作の後日譚となる「火山のふもとで」から書き始めたそうだ。
「作家になりたいというよりこの物語を書くために編集者を辞めた」とのことであるから、本書がいかに作者渾身の一作であるかが伺えよう。
なお新潮社での編集者時代には、季刊総合誌「考える人」や、海外文学レーベルの新潮クレスト・ブックスを創刊されたと聞き及び、本作読書中と同じくらいぶっ倒れそうになった。なんとまたはちゃめちゃな偉業ではないか。
他作品も心して読ませていただきます!!!!
【参考】
新潮2025年5月号 対談 松家仁之×高橋源一郎「助手席で天皇小説を体験する——『天使も踏むを畏れるところ』をめぐって(往路)」
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