青谷上寺地のゲノム解析の紹介で3つの無理解:NHK『新・古代史』⑥
長らく間が空きましたが、『新・古代史』(NHKスペシャル取材班、NHK出版、2025年)を読んで、6本目の記事です。
本書は、鳥取県青谷上寺地[あおや かみじち]遺跡から出土した人骨のゲノム解析を紹介しています。しかし、取材班がゲノム解析について理解しないまま書いているため、3つの間違いが生じています。
これまで本書への疑問を5本のnoteで述べてきましたが、今回は最も酷く、痛々しいほどです。
※トップイラスト:細胞(イラストAC)。ピンクが核、緑がミトコンドリア
ゲノム解析に関する本書の記述は、ネットで公開されています(約3600字)。この公開されている部分について、問題点を指摘します。
NHK出版デジタルマガジン「古代ゲノム分析で迫る日本人の起源「渡来人が縄文人と混ざり合って弥生人となっていく」という定説を覆す驚きの結果とは?」(2025/3/7)
今回の記事で参照したのは、以下の論文等です。
篠田謙一・神澤秀明他「鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡出土弥生後期人骨のDNA分析」(歴博研究報告第219集、2020年)
神澤秀明他「鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡出土弥生後期人骨の核DNA分析」(歴博研究報告第228集、2021年)
鳥取県の紹介サイトはわかりやすいです。青谷上寺地の集落や人骨の出土状況について、以下のように説明しています。
▶中国や朝鮮半島製の鉄器や青銅製の銅銭・鏡、ガラス玉などの交易品が青谷上寺地遺跡には持ち込まれています。一方で北陸で産出される碧玉という石を入手して当時のアクセサリーである管玉に加工したり、木製の秀麗な容器を製作したりして、日本海沿岸の各地に輸出していました
▶2世紀頃に埋まった溝から、約5300点(109体分)の人骨が出土しました。人骨はバラバラに散乱しており、鋭利な刃物による傷痕が残っているものもありました
ものづくりと海を通じた交易/出土人骨からみえる弥生人の実像
解析結果の正しい紹介は1つだけ
血縁関係が少ない集団
本書による解析結果の紹介うち、以下に限れば、正しいです。
▶青谷上寺地遺跡の出土人骨は100体ほどの人骨群であるとされている
▶<ミトコンドリアゲノムの>分析できた33点のサンプルは、32個体分の人骨から構成されていることがわかった
▶32個体のうち、母系の血縁がある可能性のある個体は三組のみ。つまり、ほとんどの個体の間には、母系の血縁が認められなかった
▶一般的に、人の往来や流入が少ない状態が長く続いた村落では、同族の婚姻が増えることで、やがて構成するミトコンドリアDNAのタイプは少なくなる。…母系の血縁は多くなるだろうというのが研究者たちの見立てであった
▶だが、<血縁関係は3組のみで>その予想は見事に裏切られた。…青谷上寺地遺跡は外部との人的交流が少ない集落ではなく、様々な地域から絶えず人が流入を繰り返す、都市的な拠点であった可能性が高いと考えられる
※引用は、見やすいように文章を▶で改行します。順番は入れ替えていることがあります。< >は僕が補った個所です。
※出典の記載のないものは、本書(上記リンク先)からの引用です。
32個体中、母系の血縁関係があるのは3組(6個体)しかなかったのですから、全体的には血縁関係の少ない集団であり、青谷上寺地遺跡は他の地域との交流の盛んな集落だったというのは正しい見方です。
ゲノム解析の基礎知識:主に3つの手法
本書の無理解を説明する前に、ここでゲノム解析とは何を対象にして、どんなことがわかるのかを紹介しておきたいと思います。僕は下表のように理解しています。

細胞の小器官のうち、DNAをもつのは、核ゲノムとミトコンドリアゲノムです。両者の解析のしやすさには、以下のような違いがあります。
ミトコンドリアゲノムは古代人骨でも比較的残りやすく、以前から解析が進んでいる(水色網かけ)
核ゲノム(Y染色体ゲノムを含む)は古代人骨では残りにくいが、2010年代以降、「次世代シーケンサ」(NGS)という装置・技術の導入によって、解析が可能になった(黄色網かけ)
それぞれの解析によって、以下のことがわかります。
ミトコンドリアゲノムは母親の卵子から受け継がれるので、母系の血縁関係がわかる。母系の祖先をたどれる(祖先解析)(水色網かけ)
核ゲノムのうちY染色体ゲノムは男性だけが持つため、その有無によって人骨の性別がわかる。父系の祖先をたどれる(祖先解析)(黄色網かけ)
核ゲノム全体を「SNP(スニップ)を使った主成分分析」という手法で解析することにより、集団同士(縄文人、弥生人、現代日本人など)の遺伝的な距離や混合の程度をプロット図(グラフ)で可視化できる(集団比較解析)
※「SNPを使った主成分分析」は、一般的には「集団構造解析」と呼ばれるようです。「集団構造解析」と言われてもわかりにくいので、ここでは「集団比較解析」と呼ぶことにします。
間違っている3つの記述
①「祖先解析」ができるのは「集団比較解析」が可能だからだと述べている
僕は、まず以下を読んで「んっ?」となりました。
(本書)
▶ゲノム研究からは、彼らの血縁関係のみならず、地球上のどこからやってきたかを辿ることもできる。核DNAの分析によれば、形態学的な研究からは捉えることの難しい混血の程度までを明らかにすることが可能だからだ
1文目の「どこからやってきたかを辿ることもできる」というのは、ミトコンドリアゲノムやY染色体ゲノムによる「祖先解析」を指しています。それに対して、2文目は「SNPを使った主成分分析」による「集団比較解析」を指しています。「祖先解析」ができるのは「集団比較解析」が可能だからだと述べていますが、両者は別物です。核ゲノムの解析によらなくても、ミトコンドリアゲノムの解析で母系の祖先がたどれます。
2文目の最後を「~可能だからだ」と、関係があるかのように締めるのは間違っています。正しく表現するのであれば(必要最小限の修正をするとすれば)、以下のとおりです。
(正しい表現)
▶ゲノム研究からは、彼らの血縁関係のみならず、地球上のどこからやってきたかを辿ることができる。また、核DNA全体の分析によれば、形態学的な研究からは捉えることの難しい混血の程度までを明らかにすることが可能である
②「祖先解析」の説明で「集団比較解析」の図を出している
読み進めると、取材班がゲノム解析を理解していない、決定的な記述にぶち当たります。以下の本文と図の組み合わせは、「何か変だな」と立ち止まってしまった読者が多いはずです。
▶国立科学博物館の調査チームも、当初は32個体のうち二割ほどは縄文人系が含まれているのではないかと予想していた。…次の図は分析結果をまとめたものだ

▶東アジアの人々の遺伝上の近さを表したグラフになる。…中央は中国人、左上が縄文人。青谷上寺地は、双方の間にあり、海を越え、混血が進んだことを示している
▶驚くべきことに、分析を行った32個体のうち31個体が渡来人系で、縄文人系は全体の3パーセントにあたる一個体しかなかった
1文目では、「祖先解析」について説明しようとしていると受け取れます。
ところが、掲載されているのは「集団比較解析」のプロット図です。2文目でその説明をしています。繰り返しですが、「祖先解析」と「集団比較解析」は別物です。
致命的なのが3文目です。この3文目で述べていることは、掲載図からでは導けません。問題のある個所を抜き出して再掲します。
本文(再掲)
▶分析を行った32個体のうち31個体が渡来人系で、縄文人系は全体の3パーセントにあたる一個体しかなかった
掲載図(再掲)

掲載図をいくら眺めても、「32個体のうち31個体が渡来人系で、縄文人系は一個体」であることはわかりません。
ここで掲載すべき正しい図は以下になります。32個体のうち、縄文系のハプログループ(M7a)が1個体だったことを示しています。
正しい図:母系ハプログループの比率(青谷上寺地遺跡)

(歴博研究報告第219集、2020年)p169 より転載
どうしてこんな間違いが生じたのか、僕は手にとるようにわかります。
取材班は「祖先解析」と「集団比較解析」にどのような違いがあるのかを理解しないまま、科博の取材にのぞんだ
科博は取材班が「祖先解析」と「集団比較解析」の違いぐらいは理解しているだろうと思って、基礎的な説明は省略した
そのため、取材班はいきなり内容に踏み込んだ科博のコメントを理解(整理)できず、両者を混同して書いてしまった
この個所の間違いは、ゲノム解析を理解していなくても、誰でも気づくはずです。ここで、以下のようなことも明らかになります。
NHK出版の編集者の目は節穴である。本文と掲載図の整合性をチェックできていない
科博は本書に興味がなく、本書を読んでいない(取材班は出版前に内容を科博に確認依頼しなかった)
読者の中に間違いに気づいた人は少なくないはずだが、NHKに期待していないから(ほとんどのメディアはこの程度のレベルだとわかっているから)いちいち指摘しない
こうして、読者からの指摘も、科博からの修正依頼もなく、このような恥ずかしいサイトが、1年以上にわたって公開されたままになっています。
③ごく一部を取り上げ「定説を覆す」を強調している
3つ目は見出しとも関連します。本書は「定説を覆[くつがえ]す」を繰り返し強調していますが、青谷上寺地のゲノム解析結果は、定説を覆すようなものではありません。
▶(ネット記事の見出し)「渡来人が縄文人と混ざり合って弥生人となっていく」という定説を覆す驚きの結果
▶(小見出し)定説を覆す、出土人骨の正体
▶(本文)従来、弥生人のルーツとして定説のように言われていたのは、「稲作とともに大陸からやって来た渡来人が、日本列島にいた縄文人と混ざり合って弥生人となっていく」というストーリーであった
▶国立科学博物館の調査チームも、当初は32個体のうち二割ほどは縄文人系が含まれているのではないかと予想していた。しかし、その見立ては大きく覆されることになる
▶驚くべきことに、分析を行った32個体のうち31個体が渡来人系で、縄文人系は全体の3パーセントにあたる一個体しかなかった。つまり、青谷上寺地遺跡の弥生人骨は、縄文人と渡来人が徐々に混じり合って弥生人が誕生したという、これまで盛んに唱えられてきた定説とは異なる結果を示したのだ
▶国立科学博物館・人類研究部研究主幹の神澤秀明さんは、こうした予想外の結果を喜ばしく感じている。「驚きましたね、青谷上寺地では渡来系の遺伝要素がかなり濃く受け継がれています。予想を裏切る面白い結果です」
▶卑弥呼の時代、すでに日本は世界と想像以上に深くつながっていたのである
まず問題なのは、取材班が定説を覆して、どのようなことが言えると考えているのかが明確ではないことです。せめて明確にしてほしかったところです。僕は取材班の見方を、以下のように想像しました。
定説では、縄文人と渡来人が混ざり合って、弥生人が形成されたと考えられていた
しかし、青谷上寺地の母系の「祖先解析」では、縄文系のハプログループは3%しかなかった。科博は「2割程度と予想」していた(ちなみに、現代日本人では縄文系が約10%である(後述))
この結果は、縄文人と渡来人は(徐々に)混ざり合ったのではなく、縄文人から渡来人に(一気に)置き換わったことを示している
取材班が上記のように考えたのだとしたら、3つの問題点が指摘できます。
❶集落の個別状況
「縄文人と渡来人が混ざり合って弥生人が形成された」というのは、日本列島全体の状況を指しています。一方、集落(地域)によって、または年代によって、混ざり合い方は様々だったのは当たり前です。科博がそのような前提もなく、青谷上寺地遺跡というピンポイントで「2割程度と予想」したと取材で話したのだとしたら、安直だったと言えます。
例えば、青谷上寺地遺跡は、渡来人が、縄文人がいない場所につくった新しい集落であり、その集落に、渡来人の技術(水田稲作、手工業など)を学ぶために、少数の縄文人が訪れ、滞在・居住していた、というような状況も想定できます。または、受傷痕のある人骨を重視するなら、周辺の集落と何らかの争いがあり、生業(手工業)を営む渡来系女性を縄文系男性が守衛していたのかもしれません。
集落ごとに個別の状況がありました。縄文人と渡来人がどの集落でも一様に混ざり合ったわけではないことは認識する必要があります。
※なお、現代日本人のミトコンドリアゲノムによる「祖先解析」では、縄文系のハプログループの比率は約10%とされています(下図)。よって、弥生時代の日本列島「全体」では「2割程度と予想」することがあってもおかしくはありません。

❷遺伝的偶然(遺伝的浮動)
特別な状況を想定しなくても、仮に縄文系・渡来系がもともと半々の集落だったとしても、その子孫の母系ハプログループが縄文系3%になることは起こりえます。例えば、以下のような状況です。
たまたま渡来系の女性から女子がたくさん生まれた(ただし、32体の人骨のうち、血縁関係は3組(6体)だけだったので、この可能性は小さいかもしれません)
縄文系の女性からは、たまたま男子が生まれることが多かった。または女子が生まれても早世した
数世代のうちに、母系の縄文系ハプログループが自然に消失した
こういう偶然を「遺伝的浮動」(genetic drift)と呼びます。集落単位の小規模集団では「遺伝的浮動」の影響が強く、母系ハプログループの比率が世代ごとに大きく変動することがありえます。
例えば、コインを投げた時の表と裏の出る回数も、100回投げれば半々に近くなりますが、数回では、表ばかり、裏ばかり続くことがあります。
ヒトの子どもも、僕は男子ばかり5人の兄弟のご家族を知っていますが、そんなに珍しくないと思います。まさに、今、皇位の安定的継承が議論になっているのも、皇室では、秋篠宮さま(1965年生)の誕生後、黒田清子[さやこ]さん(1969年生)から愛子さま(2001年生)まで、9人連続で女子が生まれたことが一因です。特定の系統の出生が続くことはありえます。
男子・女子の生まれやすさは単なる確率の問題とも言えますが、このような偏りが蓄積し、極端なゲノム構成が固定されてしまうことが、集落単位では起こりえます。青谷上寺地遺跡の母系の縄文系3%も、遺伝的偶然(浮動)の可能性があります。
❸父系では縄文系が多数
本書は、科博による青谷上寺地遺跡人骨のゲノム解析結果の全容を伝えていません。科博は説明しなかったのでしょうか。
ミトコンドリアゲノムによる「祖先解析(母系)」を行った32体の人骨のうち、13体でY染色体ゲノムによる「祖先解析(父系)」も行われました。女性が3体、ハプログループ不明が2体あり、残り8体のうち、縄文系のハプログループ(C・D)が5体、渡来系(O)が3体という結果でした(下表)。
母系・父系の「祖先解析」を合体すると、全32体のうち6体(約19%)が母系または父系が縄文系となります。 「青谷上寺地人も、縄文人と渡来人が混じり合って誕生した」と言える結果です。
母系(ミトコンドリアゲノム)の縄文系の比率が3%でも、父系(Y染色体ゲノム)に縄文系が多く残ることはありえます。母系ハプログループの比率だけでは、集団の全体的な遺伝構成を反映しているとは言えません。
僕は本書について、これまでの5本のnoteでも、専門家の主張や研究成果を正確に伝えていない(一部を隠している)ことを指摘しています。青谷上寺地遺跡人骨のゲノム解析でも、本書は都合の悪い事実を隠しています。

なお、科博の神澤さんは、以下のように述べています。
▶<現代日本人における>Y染色体ハプログループC,D,Oの頻度<比率>はそれぞれ,5.4%,39.6%,53.8%である[Naitoh et al. 2013]<PDFの22・23頁目 Fig.1>
▶青谷上寺地遺跡での在来の縄文系のハプログループC,Dはそれぞれ2体と3体の計5体,渡来系のハプログループOが3体と,依然として縄文系の割合は高いが<5/8=62.5%>,現代日本人の比率とそうかけ離れた割合では無い
(歴博研究報告第228集、2021年)p302
現代日本人での比率は、僕は佐藤陽一さん他の論文を使います(ハプログループ「C」を「C1」(縄文系)と「C3」(渡来系)に区別しているため)。縄文系の比率は約37%です(下図=C1・Dはそれぞれ4.7%・32.2%)。青谷上寺地遺跡での約63%とは大きく違うようにも見えますが、おそらく神澤さんは上述した「遺伝的浮動」により、そのぐらいの誤差は偶然生じることがあると見なしているのだと思います。
※佐藤陽一他(2014年)「Overview of genetic variation in the Y chromosome of modern Japanese males」『Anthropological Science』122(3), Table1 (PDFの3頁目)より作成

解析対象によって縄文系の数字は変わる
「ゲノム解析の基礎知識」の表で、「祖先解析」について紹介しました。ミトコンドリアゲノム解析とY染色体ゲノム解析の2つです。
実は、表では省略しましたが、核ゲノム全体を対象にした「祖先解析」も行われています。つまり、「祖先解析」には解析対象の異なる3つの手法があり、現代日本人の縄文系の比率にも3つ(以上)の数字があるのです。
「祖先解析」の手法と現代日本人の縄文系の比率
ミトコンドリアゲノム解析(母系):全国9.6%、青谷上寺地3%
Y染色体ゲノム解析(父系):全国36.9%、青谷上寺地62.5%
核ゲノム全体の解析:全国12.4%、青谷上寺地(不明)
※核ゲノム全体:山本賢一他(2024年)「Genetic legacy of ancient hunter-gatherer Jomon in Japanese populations」『nature communications』15)
※研究によって様々な数字が出ていて、上記は僕が見つけた代表的なものを挙げています。
※核ゲノム全体を対象にした「祖先解析」の中にも、Admixture解析、qpAdm(キューピーアドム)解析、f4-statisticsによる解析など、複数の手法があります。山本賢一さんらの手法はqpAdm法です。
遺跡から出土した人骨の「祖先解析」の縄文系の比率は、この3つのどれを指すのかを明確にしなければなりません。
僕は、全体の解析ができるのであれば、ハプログループにこだわらず、全体の数字を使うのが一番いいと思います。そうでないと、母系の祖先解析の数字だけを見て、「青谷上寺地遺跡では縄文系が3%だった」「定説を覆す結果だ」などと騒ぐ、NHK取材班のようなメディアが出てきてしまいます。
ただ、確かに、ハプログループは祖先がどこで生まれて、どこを通ってやってきたかがわかる可能性があるという意味ではおもしろいです。また、縄文系の母系(約10%)と父系(約37%)の数字は大きく異なり(非対称性があり)、男女別の渡来状況は興味深いです。「渡来人が大量にやってきたにもかかわらず、どうして父系の縄文系ハプログループは淘汰されなかったのか」なども解明すべきテーマではあります(上述した青谷上寺地遺跡の状況と同じように、想像はできますが、結論は出ないかもしれません)。
青谷上寺地遺跡の人骨でも、科博によって、「集団比較解析」のプロット図が示されていますから、核ゲノム全体を対象にした「祖先解析」も行われています。
▶F4-statistics によって,青谷上寺地13個体のうち6個体は,現代日本人と比べて縄文的な遺伝要素が少ない傾向にあることが示された。一方で青谷8号は,現代日本人と比べて縄文的要素が多い傾向にあることが示された
▶青谷上寺地13個体の核DNAから,集団の総体としては現代日本人に近い遺伝的傾向を示した。一方で,個体間ではばらつきが見られ,その要因が縄文的遺伝要素の強弱によることが示された
(歴博研究報告第228集、2021年)p300・302
この説明は「とっとり弥生の王国シンポジウム」(2024年)資料の図がわかりやすいです。下図を見てください。
青谷上寺地遺跡の人骨は、全体としては現代の本土日本人と同じ領域にあり、渡来系の傾向が強い。下図右で「本土日本人」(現代)と「青谷」「北部九州弥生人」は「大陸の東アジア人」寄りであることがわかる
ただし、「青谷」の個体間では、「本土日本人」と比べても、渡来系から縄文系までばらついている。下図左(拡大図)の赤丸
このことからも、青谷上寺地遺跡では「縄文人と渡来人が混ざり合っていた」ことがわかります。

とっとり弥生の王国シンポジウム『続々・倭人の真実』資料(2024/3/16)より転載
科博は取材班が無知であることを念頭に置いて、ゲノム解析によって、わかったこと、わかっていないことを区別して、全容を丁寧に伝えるべきだったと思います。
※なお、上図の「北部九州人」は福岡県安徳台遺跡(那珂川市)の5号人骨(女性)です。僕は、魏志倭人伝の旁国の1つである「奴国」を安徳台遺跡に比定しました。8号人骨(男性)には43個もの南島産貝輪が副葬されていました。僕は奴国王と並び立った「祭祀王」ではないかと考えています。
『新・古代史』は有害図書
これまで6本にわたって、本書への疑問を述べてきました。本書は読者をミスリードし、有害図書と言っていいレベルの本です。その理由を改めて述べます。
取材不足・勉強不足
※以下の〇数字はシリーズの番号です。詳細はそれぞれのnoteを参照してください。
⑥「祖先解析」の説明にもかかわらず、「集団比較解析」のプロット図を出している。ミトコンドリアゲノムによる「祖先解析」(母系)で縄文系が3%だったというだけで、「定説が覆された」と強調している
①邪馬台国は女王が都を置いた国なのに、「邪馬台国連合」というおかしな表現をしている。ワシントン合衆国、モスクワ連邦などと言っているようなものである。強いていうなら「倭国連合」が正しい
②古代中国が日本列島を南北に長いと認識していた根拠として、混一図を出している。混一図の成り立ちを理解していない
⑤卑弥呼や倭の五王の遣使が、優れた外交センスによるものだと述べている。倭王武の上表文などは、むしろ外交センスがなかったことを示す
都合の悪い取材内容を隠している
③前方後円墳と前方後方墳の地域が対立したかのように紹介している。受傷人骨は九州と近畿西部に集中しているなど、考古学的な整合性がない。その事実を番組では図示しながら、本書では紹介していない
④纒向出土の木材の年代が「231年」だったことを紹介している。その木材が土器の布留0式と共伴したとされていること、布留0式が箸墓古墳の年代であることを伝えていない。取材で聞いているはずだが議論を避けている
メディアとしての役割を果たしていない
メディアは政治や経済の分野では、政府や与野党の政策を分析し、批評します。ところが科学になると、専門家の主張をそのまま垂れ流すか、提灯持ちになるだけで、疑問を示すことがありません。せいぜい他の専門家のコメントをとるぐらいが関の山です。
メディアが古代史をはじめ科学を扱うことの意義は、僕は「一般人感覚」だと思います。専門家の主張は、一般人からするとおかしいと思うことが少なくありません。歴史学でも考古学でも同じです。
メディアは古代史に関しては一般人に近いのですから、専門家の主張を垂れ流したり、提灯持ちになるのではなく、一般人感覚で疑問を問いただしてほしいです。僕はそれがメディアの存在価値だと思います。
逆に言えば、専門家に疑問を問いただせないメディアは不要です。本書のような有害図書を出版した「公共報道機関」に受信料を払っているのが腹立たしいです。
次回が最終回
さて、本書の書評は次回(7本目)が最終回になります。本書をこき下ろしましたが、7本目は恥ずかしながら僕が初めて知ったことで、唯一、勉強になった内容です。記事を書くためには取材(出張)が必要だと考えていて、まだ予定はわかりません。
(最終更新2026/7/21)
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