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ホケノ山古墳の重要な役割

僕のnoteを読んでくださるみなさんはお気づきだと思いますが、僕の古代史の復元では、纒向[まきむく]にあるホケノ山古墳が重要な役割を果たしています。

※トップ画像:ホケノ山古墳(2024年10月撮影)

ホケノ山には、注目すべき出土物が2つあります。

  • 画文帯神獣鏡の破鏡(ホケノ山B鏡)

  • 埋葬施設(木槨)から出土した小枝2点(ホケノ山小枝群)

これまでのnoteと重複しますが、今回はこの2つの出土物を切り口に、僕の説を整理したいと思います。


ホケノ山B鏡が語るもの

ホケノ山古墳では画文帯神獣鏡が2面出土しました。1面は破砕された完形鏡(A鏡)、もう1面は破鏡(破片)(B鏡)です。

みくるの森さんのブログ(2024/7/16)で、橿原考古学研究所付属博物館が2024年6~7月に開催した特別陳列「ホケノ山古墳」の概要が紹介されていて、記事の真ん中ほどに画文帯神獣鏡(A鏡・B鏡)の写真も掲載されています(僕は2024年10月に橿考研に行ったのですが、残念ながらB鏡の展示はありませんでした)。

ホケノ山B鏡は、以下の3つの重要な役割を果たしています。

  • ➊ホケノ山B鏡は中国で230~250年に製作されたと推定される。それによって、ホケノ山の年代は250年代以降である可能性が高く、箸墓はさらにその後であることが示される。つまり、箸墓の3世紀中頃の可能性が否定される(箸墓は卑弥呼の墓ではない)

  • ➋ホケノ山には三角縁神獣鏡は副葬されていなかった。よって、三角縁神獣鏡の出現は250年代以降と推定され、三角縁神獣鏡が卑弥呼が中国から贈られた「銅鏡百枚」だという可能性が否定される

  • ➌三角縁神獣鏡は箸墓の3世紀中頃の根拠の1つとされる。三角縁神獣鏡の古いタイプが240年代の製作であり、箸墓と同じ前方部がバチ形の古墳に古いタイプが副葬されていることが根拠になっている。この根拠も三角縁神獣鏡の出現が250年代以降であることから否定される

ホケノ山B鏡の製作年代

ホケノ山B鏡の製作年代は、鏡研究の第一人者である上野祥史[よしふみ]氏(歴博)さんの研究があります(上野祥史「ホケノ山古墳と画文帯神獣鏡」(橿原考古学研究所『ホケノ山古墳の研究』、2008年))。

上野さんは、画文帯神獣鏡の編年(様式別の年代)を3段階に分けています。それぞれの年代は以下のとおりです。

  • 第1段階 2世紀

  • 第2段階 2世紀末~3世紀前半(200年前後~230年代)

  • 第3段階 3世紀中頃~後半(230年代~300年前後)

※上野さんは3世紀を前半・中頃・後半の3期(30年前後ずつ)に区分しています。

年代はそれぞれの段階で、表にあるとおりの紀年銘鏡(年号鏡)が出土していることを根拠とします。中国鏡の紀年銘は中国での製作年を表すと考えられます。

第2段階の鏡について、森下章司さん(大手前大学)は「精緻な文様と鋳[い]あがりは、銅鏡製作技術の一頂点に達したものと評価」しています(森下章司「銅鏡生産の変容と交流」(『考古学研究』、2007年))。つまり、第2段階がデザインなどの技術レベルが最も高かったということです。

上野さんは、ホケノ山A鏡は第2段階、B鏡は文様と銘文から第3段階と特定します。B鏡は、頂点だった第2段階の神獣表現から退化しており、配置の規則性も崩れていて、第3段階の模倣鏡と見なせるためです。

さらに、上野さんは、B鏡の製作年代は外区の文様から3世紀中頃でも前半(230~250年)に絞り込みます。具体的には、外区の半截菱雲文[はんせつひしうんもん=扁平な三角形の表現]に、甘露四年(264年)、甘露五年(265年)、泰始九年(273年)銘などの模倣鏡があることを根拠としています。260~270年代に模倣されているのですから、半截菱雲文のホケノ山B鏡は、250年前後までに製作されたことが推定されるというわけです。

➊ホケノ山は250年代以降、箸墓はそれより後

ホケノ山の年代を推定するために、B鏡の副葬年代を考えます。

鏡が中国で製作されてから、日本列島に流入し、祭祀などに使用され、古墳に副葬されるまでのタイムラグ(期間)は一律ではなく、様々だったと考えられ、特定できません。

寺沢薫さん(纒向学研究センター)は、中国鏡の流入には楽浪郡の介在があり、外交交渉は恒常的に間断なく行われたとは限らないと述べています(『弥生時代の年代と交流』(吉川弘文館、2014年))。つまり、中国での製作から日本列島での副葬まで、例えば1世代(四半期)程度のような一律のタイムラグが特定できるわけではないということです。

ホケノ山B鏡は中国で230~250年に製作されたのですから、ホケノ山での副葬年代(ホケノ山の年代)は、早くても250年代以降の可能性が高いです。中国で製作されてすぐにホケノ山に副葬されるような事情が、贈った側、または受け取った側にあったとは考えられません。

ちなみに、福永信哉さん(元・大阪大学)は、大阪府安満宮山[あまみややま]古墳で最も新しい三角縁神獣鏡は、三角縁神獣鏡の古いタイプ(編年B)だとし、安満宮山の築造年代について、以下のように述べています。

▶240年代に邪馬台国政権が入手した鏡を配布し、それが配布先で副葬にいたるまでの期間を見込んだ年代を考えると、安満宮山古墳の築造が250年をさかのぼる可能性は少ない

福永信哉『三角縁神獣鏡の研究』(大阪大学出版会、2005年)

僕も製作から副葬までのタイムラグの見方については賛成です※。ホケノ山B鏡が230年前後の製作だとしても、ホケノ山の築造が240年をさかのぼる可能性は少ないと言えます。

※僕は三角縁神獣鏡の製作年代については賛成しません。邪馬台国が(中国から)入手した鏡という説にも反対です。
※三角縁神獣鏡は大量生産された、古墳埋納用の鏡であり、製作されて比較的早く副葬されることが多かった可能性はあります。

箸墓古墳からは特殊器台や円筒埴輪が出ていますが、ホケノ山には特殊器台や円筒埴輪はなく、ホケノ山は箸墓よりも古いと考えられます。

ホケノ山が250年代以降なのですから、箸墓が3世紀中頃ということはありえません。ホケノ山B鏡によって、箸墓の3世紀中頃の可能性は否定されます。僕はホケノ山は3世紀第3四半期以降、箸墓は第4四半期以降を見込むのが適切だと思います。

➋三角縁神獣鏡は卑弥呼の「銅鏡百枚」ではない

ホケノ山には三角縁神獣鏡は副葬されていません。その理由を問われ、福永さんは「ホケノ山は三角縁神獣鏡が出現する直前の墳墓だから」と答えています(2024/3/5、朝日新聞記者サロン)。つまり、ホケノ山の年代には三角縁神獣鏡はまだ出現していなかったということです。

先ほど述べたように、ホケノ山の年代は250年以降の可能性が高いです。卑弥呼が中国に遣使した230~240年代に三角縁神獣鏡はまだ出現していないのですから、三角縁神獣鏡が卑弥呼が贈られた「銅鏡百枚」(中国鏡)だという説が間違いであることがわかります。

三角縁神獣鏡には、景初三年(239年)、正始元年(240年)などの紀年銘鏡があります。これらは、中国鏡である(卑弥呼が贈られた鏡である)かのように、ヤマト王権が偽装した鏡であることを示すと思います。

つまり、中国鏡であれば紀年銘は製作年だと言えますが、三角縁神獣鏡では信頼できないということです。

群馬県蟹沢古墳出土の三角縁神獣鏡(正始元年銘鏡)
(右上に「●始元年」と見える/東博展示)

➌三角縁神獣鏡も箸墓が3世紀中頃の根拠にはならない

三角縁神獣鏡は、以下のように、箸墓古墳の年代根拠になっています。

  • 福永さんの三角縁神獣鏡の編年(様式別の年代)によると、古いタイプの三角縁神獣鏡は240年代の製作とされる※

  • 岸本直文さん(大阪公立大学)は、箸墓古墳と同じ墳形(バチ形)の古墳(兵庫県西求女塚[にしもとめづか]古墳など)に古いタイプの三角縁神獣鏡が副葬されていることから、箸墓古墳は3世紀中頃とする

※繰り返しですが、僕は三角縁神獣鏡が240年代に出現していたという説には間違いだと思っています。

まず、バチ形の古墳には新しいタイプ(福永さんによると260年代の製作)の三角縁神獣鏡も副葬されている例があります(椿井大塚山古墳など)。箸墓は3世紀中頃と限定できません。

箸墓は3世紀第3四半期の可能性もないと思います。三角縁神獣鏡による根拠は、三角縁神獣鏡が240年代に出現していたことを前提としています。➋で述べたとおり、そもそもその前提が間違っています。

ホケノ山小枝群が語るもの

では、ホケノ山や箸墓の年代はいつぐらいでしょうか。そのために重要な役割を果たすのが、ホケノ山の埋葬施設(木槨)から出土した小枝2点です。僕は「ホケノ山小枝群」と呼んでいます。

  • ➍ホケノ山小枝群と箸墓周濠小枝の炭素14年代を組み合わせると、ホケノ山は270年前後、箸墓は300年前後と推定できる

➍ホケノ山は270年、箸墓は300年前後:炭素14年代より

ホケノ山小枝群は、2008年に橿考研が炭素14年代測定しました(奥山誠義「ホケノ山古墳中心埋葬施設から出土した木材のC14年代測定」(橿原考古学研究所『ホケノ山古墳の研究』、2008年))。

ホケノ山小枝群と箸墓の周濠から出土した小枝(箸墓周濠小枝)の炭素14年代測定結果(下図)を組み合わせると、両古墳の年代が推定できます。

  • ホケノ山から出土した小枝群の炭素14年代測定によると、ホケノ山は270年前後または4世紀後半の確率が高い。どちらが正しいかはわからない

  • 箸墓周濠から出土した小枝の炭素14年代測定によると、箸墓は230年前後または300年前後の確率が高い。どちらが正しいかはわからない

  • ホケノ山→箸墓の順番でつくられたと考えられる

  • ホケノ山は箸墓よりも古いのだから、4世紀後半の可能性は消え、270年前後が確定する

  • ホケノ山が270年前後で、ホケノ山は箸墓よりも古いのだから、箸墓の230年前後の可能性は消え、300年前後が確定する。この年代はホケノ山B鏡の製作年代と矛盾しない

2023/5/26note(詳細版)では17試料の炭素14年代測定結果をOxCalで較正し、同じ結果(箸墓は300年±15年前後、ホケノ山は270年±15年前後)を導いています。この記事にはOxCalの使い方、コマンドなどをまとめたエクセルファイルを貼付しています(ダウンロード可能)。誰でも較正結果を再現可能です。みなさんも試してみてください。

※ただし、この年代推定も測定試料数が少なく、100%確実だと言えるわけではありません。測定試料をもっと増やして検証したいところです。

ホケノ山は箸墓から徒歩でほんの5分のところにあります。墳頂に登ることもできます。

箸墓(墳長280m)に比べると、ホケノ山(80m)はずっと小さいのですが、B鏡や小枝群のような遺物が出土していて、貴重な古墳です。

ホケノ山墳頂から三輪山を望む(2024年10月撮影)

ところで、箸墓が300年前後というのは、僕が2023年4月から主張している説ですが、最近になって新しい根拠(傍証)を見つけました。2025/8/8に投稿しました。

(最終更新2025/11/2)

#ホケノ山古墳 #画文帯神獣鏡 #炭素14年代測定 #箸墓古墳

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