「おいしいね」が隙間に収まるとき ――千早茜『さんかく』を読んで
こういう小説は、作中に出てくる料理を実際に食べながら読むのがいい。ページの中の味と口の中の味が同じ瞬間に重なる――読書という体験のなかで、それがいちばん贅沢な時間だと思う。出汁の匂い、噛んだときに膨らむ米の香り、誰かと「おいしいね」と頷きあう静かさ。『さんかく』は、そうやって五感ごと読まれることを前提に書かれた小説です。
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三角関係「未満」という設計
中心にいるのは三人。京都の町家で一人暮らしを楽しむフリーランスのデザイナー・高村夕香。かつての職場の後輩で、いまは厨房資材の営業をしている伊東。そして伊東の恋人で、大学院で動物の解剖と向き合う中野華。
タイトル通り三人のあいだに「さんかく」が浮かぶが、これは「不倫もの」の三角関係ではない。千早はこの図形を「未満」のかたちで描く。線は張りつめておらず、辺の長さもまちまちで、誰かが誰かを取り合っているわけでもない。それでも三つの点は確かにそこにあり、互いの位置関係がゆっくり組み変わっていく。その変化を、料理という補助線を引きながらたどる小説だ。
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低反発のピースが、隙間に収まる
夕香と伊東が町家で同居を始めるくだりが巧い。二人は恋に落ちるわけでも、家族になるわけでもない。互いに足りなかった部分が、相手と過ごす時間のなかで少しずつ満たされていく。一人のときには気づかなかった隙間が、誰かと「おいしいね」を分け合った瞬間にはじめて輪郭を持つ。
低反発素材のパズルのピースが、心の隙間の形に合わせてぴたりと収まる。その感覚に近い。無理に押し込まなくても、相手の側が少しだけ形を変え、こちらも相手に馴染んで少しへこむ。傷つけあわずに、誰かが誰かを少しだけ満たす。その距離感をあくまで自然に書いている。
三角関係未満の関係を経て、自分が本当に求めているものは何か、相手の在り方をどう認めるか――それを食を通じて気づいていく過程に無理がない。
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動物の解剖に生きがいを見出す彼女
大学生の頃にハマっていた『BONES』という海外ドラマがあった。
骨になった遺体から事件を解決する話で、そこに出てくる法医学博士テンペランス・ブレナンというヒロインが印象的だった。
物事を論理的に捉え、どこかズレていて天然に見えるところもある様子が、恋人の華が研究室で動物を解剖し、骨格を確認し、組織を分けていく淡々とした手つきと、感情を一度脇に置く思考回路に似ていると感じた。
華は感情が乏しい人物として描かれているのではなく、感情の置き場所が他の人とは違うだけだ。食卓ではなく研究室の机の上に、彼女なりの愛し方がある。だから夕香と伊東の「食でつながる」関係と華の世界は根本で噛み合わない。その不器用さを、千早は貶めず、ひとつの愛のかたちとして書ききっている。
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どこからが浮気か
この小説は、読む人によって答えが変わる。伊東と夕香がしていたことは浮気なのか。同居していたから浮気か。同じ食卓を囲んだから浮気か。どんな関係であれ隠していたから浮気か。
夕香に、伊東を異性として見る気はない。彼女が欲しかったのは誰かと交わす「おいしいね」であり、それを叶えるための同居だった。伊東も、本当の意味で夕香を恋人として求めていたわけではない。ただ、自分の中の小さな欠けを夕香の料理が埋めていただけだ。
そう読むと、終盤の手巻き寿司の場面が違って見える。たくさん巻いて、たくさん食べて、もう入らないというあの満腹。二人は満たされたから離れていけた。飢えたまま別れたのではなく、腹いっぱいになったからそれぞれの場所へ戻れた。ハッピーエンドではないが、穏やかな終わり方だ。
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「選べる自由は、一番を見失う」
夕香がこぼす言葉が、この小説の核にある。選べる自由は、一番を見失う。多くの選択肢から自由に選べるはずなのに、選べること自体に人は疲れる。本当に欲しいものが何だったのか、選択肢が増えるほどわからなくなる。
これは二〇二〇年代を生きる人間にとって切実だ。SNSを開けば無限に情報が流れ、仕事も住む場所も関係のかたちも昔より自由に選べる。その広さの中で「一番」を見失う。だから人は推しを持ち、目標を立て、ときに信仰に近いものに救いを求める。自分のかわりに選択肢を狭めてくれるものを、どこかで欲しがっている。夕香の言葉は恋愛論として書かれているが、射程はそれより遥かに広い。
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京町家という器
夕香が暮らす京都の町家も、この小説に欠かせない。格子戸から差し込む季節の光、土間の冷たさ、台所のすぐ奥に座敷がある間取り、鼠が出るかもしれないというざわつき。京町家という器は、夕香と伊東が過ごした一年と相性がいい。
二人が共有した日々は、現実のどの分類にも収まらない白昼夢のような時間だった。恋人でも家族でもルームメイトでもない。この曖昧な関係を現代的なマンションや郊外の一軒家で描いていたら、もっと生々しくなっていただろう。過去の生活の残り香が漂う京町家だからこそ、二人の関係は夢のような輪郭を保てた。千早は人と人の関係を人だけで書かない。住まいの匂い、季節の温度、食卓の色と湯気を生活のなかに置きながら、関係の質感を立ち上げる。建物そのものが登場人物として呼吸している。
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食べ終えたあとに残るもの
『さんかく』は誰かを糾弾も救済もしない。腹を空かせていた人がしばらく誰かと食卓を囲み、満腹になって、それぞれの場所へ戻っていく。その一年の温度を書き残した小説だ。
派手な恋の話を求めると肩透かしになる。だが、誰かと一緒に食べることの意味を考え直したいときに、この上なくしっくり来る一冊だった。
