「学び手から、つくり手へ。」8回のプログラムを終えて
修士・博士研究の集大成でもある、ビジネスパーソン向けの8回のプログラムを終え、受講者の皆さんを送り出すことができました。
新しく立ち上げた教育ブランドでもある
UNRE(アンリ)のテーマは、
「学び手から、つくり手へ。」
私はずっと、先生(教える側)と生徒(教わる側)という固定的な関係性には、人を学び手のままに留めてしまうリスクがあると感じていました。
もちろん、教えること自体が悪いわけではありません。
でも、「教わる人」で居続けると、自分で問いを立てたり、自分の感覚で判断したり、自分の手で何かを生み出す力が弱くなってしまうことがある。
だからこそ、このプログラムでは、
「どうすれば、受講者自身が“つくり手”へ移行できるのか」
を、ずっと考え続けながら運営してきました。
unreについてはこちら。
最終回|受講者とともにプログラムをつくるワークをしました
最終回では、私自身が悩みながら設計してきたことも率直に共有しました。
「次の受講者が、もっと“学び手からつくり手”になるために、このプログラムは何を改善できるのか」
というフィードバックとアイデアを皆さんからいただきました。

普通だったら、主催者は“答えを持っている側”として振る舞ったほうが、場としては安定するのかもしれません。
でも私は、プログラムそのものも“共につくる”状態にしたかった。
完成された正解を渡すのではなく、場そのものを一緒に更新していくこと。
それ自体が、「つくり手になる」ということなのではないかと思っていました。
修士時代のワークは、もはや大改造
主に言語ワークを扱っていた修士時代につくったワークは、今回かなり大改造になりました。笑

当時は当時で、自分なりの“最高形”をつくったつもりでした。
大企業の経営者から個人事業主の方まで、取り組んでいただいた皆さん、内省できて良かったという評価はいただいてました。
でも、博士課程やMoDスクールでの学びを経て、自分自身の視点や感覚が進化していたのだと思います。
ワークブックに向き合うような、言語のみの対話だけでは、クリエイティブなリーダーシップは醸成できないことに気づきました。
修士の頃の私は、まだどこか“ウブ”だったのだなあ。。。と感じます。
「つくる」は、「こわす」でもある
改めて感じることは、「つくる」は「こわす」でもある、ということです。
これは、風越学園に行ったときに、9年生(中学3年生)の方に教えてもらったことでした。
こわして、つぎまたつくる。
既存の自分の考え方や、慣れたやり方や、正しさを、一度崩してみる。
アンラーンしてみる。
そこからしか、新しいものは生まれないのかもしれません。
造形などの非言語ワークを私がどう提供するか
今回のプログラムは、「手で考える」を身につけてもらうことがひとつの目標でひた。
造形などの非言語ワークをたくさん取り入れたのですが、それについては、デザイナーでもアーティストでもない私が、それを行う意味や意義にずっと向き合っていました。
もちろんスキルも提供したい。
でも、単なる技術習得なら、プロのデザインスクールに行ったほうがいい。
では、私だからできることは何なのか。
そこを問い続け、アイデアを出し続ける日々でした。
「紙を破る」だけで見えてきたこと
結局、それを教えてくれたのは、受講者の反応であり、その方たちと共にいる時間でした。
たとえば、たまたま実施した「紙を破ってオノマトペをつける」というプチワーク。


すると、課題どおり「まず紙を破ってから言葉を探す人」と、「先にオノマトペを考えてから破り方を決める人」がいることに気づきました。
これは単なる造形ワークではなく、
その人にとって、言語活動と非言語活動のどちらが強く働いているのかを知るワークにもなっていた。
とても新鮮な発見でした。
やはり、「やってみる」という身体性と、「つくってみる」という造形性が、自分自身に答えを返してくれるのだと思います。
受講者の卒業制作発表でまたエネルギーをもらいました
最後の卒業制作発表では、どの方の作品にも、その人らしさと、初回からの大きな飛躍が表れていて、本当に素晴らしかったです。
造形力そのものももちろんですが、それ以上に、
「手で考える」という姿勢を日常に取り込んでいただけていて、自分の手で「つくりたい・やってみたい」という内発的な動機が育っていたことに、強く心を動かされました。
そして何より、皆さんの熱量に触れて、今度は私自身が、
「もっとやりたい」
「もっとつくりたい」
と強く思わされてしまいました。笑
学びは、一方向に与えるものではなく、共につくり合うことだったのだなと、改めて感じています。
このプログラムの内容や、今回得られた気づきについては、また整理しながら発信していこうと思います。
