『インディペンデントな日々』 - 第三話 「つかまり立ち」
前回は2023年の2月までを綴った。
今、写真などの記録を見返して確かめたのは、そこはバイクを愛でるためのガレージだったということだ。ほら、想像できるだろう?趣味に発奮したおじさんが、プライベートスペースで没頭する姿。まさにそういう場所だった。しかしわかってもいたのだ、その始まりの熱はそう長続きはしないこと。
冷めることがないということもわかってはいたが、浮かれた季節はそう長くは続かない。しかしそれでよかったのだ。童心に帰るとはよく聞くが、まさにそれを実践したかったのだから。しかも、大人らしく少しばかりお金(他人の力)を頼って。
これはリハビリだったのかもしれない。何に向けてかと言えば「自己実現」への。しかしわかってもいた。腕のいいビルダーに組んでもらったバイクは、たとえ原案を仔細に伝えたのがぼくだとしても、そのフルカスタムのバイクはビルダーの手仕事によるものだ。ぼくはそれを愛でることしかできない。「つくりだす」ことはできない。
「手を動かしていたい」。その欲求はずっとあった。レゴブロックから始まりミニ四駆、タミヤRCなどを経たぼくだ。車田正美や鳥山明の絵を模写していたぼくでもある。どうにも難儀だった。歳をとるごとに目だけが肥え、素晴らしいモノは素晴らしい人々が世界中にばら撒いている現実を知れば知るほどぼくの創作物をそこに仲間入りさせることを理性が許さないのだ。その期間は長かった、ざっと約15年、いや20年?
その間、何に擬態していたかと言えばおそらく「学芸員」だろう。大袈裟に言えば博物館の展示品を集めてまわるような生活だった。レコード、衣服、食器、本。ただし地方都市生活者の水準で。蒐集とも呼べない程度の、コレクターというには投機目線でもない、そういうモノ集め。それはそれでたのしかった。
そういう生活の集大成が、自ら見つけた腕のいいビルダーに組んでもらったあのバイクだ。なぜ集大成かと言えば、また次の野望に手を伸ばすほどの財政的な余裕はなかったからだ。この元物置にしても、それを大切に持ち続けるための仮の場所に過ぎなかった。
好きなものに囲まれた生活、とは聞こえはいいがキリがない。好きなものは次から次へと湧いてくる。そのままいけばぼくはこの宇宙まるごとを所有しなければ気が済まなくなるだろう。あれも、これも、と。
そういう時期(つまり平熱に戻ったころ)に始めたのが、FUUDのアカウントだった。絵を描く、という行為もまた約15年ぶりだった。
生きていれば奇遇なことに出くわすのも常。思い立って過去に描いた絵をSNS、なかでもインスタグラム内に収めるだけのつもりで始めたそのアカウント運用が、さまざまな邂逅を経て生活の中に定着してしまったのだ。
投稿を続けたい。
おそるおそるふたたび鉛筆を握る。一枚、また一枚と増える自作、持て余す問い。
一年が経とうとするころ、ぼくはインターネットの世界から飛び出すことを決めた。もう若くもない絵描きのデビュー戦。持ち玉はそれまで一年間に描いた、たった100枚の小さなドローイングだ。「どこでどうだれに観せる?」何のためにやるのか、自問自答を繰り返した。結果、ここを作品展の会場に選んだ。

「いけるかも」とイメージが固まった一枚。
この写真は後に第一回目の作品展の告知に使った。
「手を動かしていたい」。
その欲求を存分に注ぐ器を見つけた瞬間だった。しかも注ぐ器までもが奇遇にも自身の手でつくったものだ。
これこそまさにインディペンデントな活動じゃないか?DIYカルチャーの末席に堂々と居並ぶことを許された気分だった。ぼくはもう、脇目を振ることを辞めた。この器にどれだけのものを注ぐことができるのか?
これは自分史上、最高に夢中になる企ての予感がした。
それは挑戦でもあった。言い訳の効かない場所から始めることになる、それをわかった上でやるのだから。「始まる」のか、「やってみた」で終わるのか。2024年3月のことだった。
当時、頭の中で繰り返していたフレーズがある。
「真剣にやれよ! 仕事じゃねぇんだぞ!」
タモリ氏が言ったとされる名言だ。ぼくは今でも忠実にその教えを守っているつもりでいる。
『インディペンデントな日々』不定期連載中
