『インディペンデントな日々』 - 第九話 「孤立したいわけではなく」
前回は「アイデンティティの危機」と題して、当時の自身の未熟さを少しの照れとともに振り返った。
しかし、思い返せば、なにも情けないことだけではなかったように思う。とにかく初めてづくしの出来事だったのだ。今回は、いったいそこで何を得たのかを綴ろう。
みなさん。ドローイング作品展と聞いて、主催者が何を期待しているか考えたことはあるだろうか?
ここで当時の文章を紹介しよう。
自身初の作品展、開催一週間前だ。
作品展の期日が迫ってきました。
鉛筆ドローイングは108点、煩悩の数だけ展示できそうです。加えて最近つえかく取り組んでいるチャコールでの作品、シルクスクリーンの作品も展示します。
来場者にはステッカーをお土産に用意する予定です、その画像はまた後ほど。
@h_apartment_studios について。
この会場はふだんはギャラリーでもなんでもないんです。でも、だからこそやる意味があるというか。インディペンデントな活動なら会場から準備するほうがたのしいはず、って思いでここまで進めてきました。
作品単体では唸らせるほどのものではないかもしれないけれど、この活動自体はなかなかおもしろい試みだと思っています。少なくともぼくは自信満々たのしんでやってきましたし、これからもっともっとおもしろくなると思っています。
来週半ばには搬入、設営する予定です。
まずもってぼくがぼくのドローイングが100枚並んでいるところを見たくて、純粋にわくわくしています。それだけで大成功です。そんなところにちょいと興味本意で寄った人、おもしろいことが好きな人、郊外の不思議空間に癒されたい人、同じように独立した活動をしている人、なりふり構わずつき進んでる人、、、いろんな人に見てもらえて何か感じてもらえるのならそんな最高なことはないんじゃないかと思っています。
6月、週末。お待ちしております!!
ピュア100%、不安と期待が入り混じっていたことが思い出される。
ただただ"作品展"を催したくて、郊外のガレージの閉めたシャッターの中で黙々と準備をしてきた。展示方法の目処がようやく立って、最後の仕上げは「告知」だった。
インスタグラム内ではそれ以前から念を押すように開催の告知をしてきた。そしていよいよ開催まで一週間、ぼくは急いでフライヤーの準備に取りかかる。データをコンビニのコピー機で印刷、それを大急ぎで裁断して。

正直、街にフライヤーを撒くかどうか、最後まで迷った。最悪、お客さんはゼロでもいいと思っていたから。
今考えるとなんとも来場者に対して失礼な心構えだと思わなくもない。でも、わかってほしい。自分でさえどのようなものになるのかわかっていない作品展。自信のなさと言われても仕方がない。
そもそもの始まりは、だれよりもぼくがFUUDの作品展を観たくて動き出したのだ。しかしそれは当時、大人が子どもじみた夢を語るような、そんな微妙な馬鹿馬鹿しさがあった。きっとやる前にこのことを生活者としてのぼくが周りの人間に話したところで、みんな何かの冗談だとしか受け取らなかっただろう、そんなふうにもこの計画のことを思っていたのだ。
だから、シャッターを開けるまでがひとまずのゴールだった。そう決めることではじめの一歩を踏み出すことができた。やれることは全部やりたい。やりたいことをやる。やりたくないことはやらない。フライヤーは、配りたいところに配ろう、無理にばら撒くのはよそう。
そう思ってまず向かったのは、ぼくの大好きなものが売っているお店、うきは市にあるzelcova coffeeだった。
https://www.instagram.com/zelkovacoffee
どうせ作品展の期間中、人が来ないなら来ないでここのブレンド豆を挽いて淹れたコーヒーを味わいながらひとりで過ごすつもりでいたのだ。
単車を飛ばし、うきは市にあるお店に向かう。
この日は店内でもコーヒーを飲むことにした。恐る恐るスタッフに声をかける。
「今度こんなことやるんですけど」。
*
こうしてぼくは"絵を描いている人"として初めて街に自分の姿を晒した。なんだか景色が違って見えた。それまではただ眺めていただけのような世界に、ぼくの身体が入っていく。そんな感じがした。
帰り道、あと一軒だけ寄りたくなった。初めてこの世界に降りたったのだ、顔馴染みじゃない相手でもいいんじゃないか? 思い浮かんだのは久留米市内の国道沿いにあるカフェholm。お店の前を通るたびに、その外観と内装の雰囲気が気になっていたのだ。(※現在そこは別の店舗になっている。)
https://www.instagram.com/holm.kurume
店内に入り、注文する。さっそくフライヤーの件を尋ねる。すると、快い返事が返ってきた。しかしそれだけではなかった。
「まだここで始めたばかりなので、お力になれるかどうか。もし、人が集まる場所をお探しなら・・」と、近くにある別のカフェまで紹介していただいたのだ。
https://www.instagram.com/__boat_____
ぼくは導かれるままにそのお店に向かった。ちょうど開店時間、ぼく以外にはまだお客さんはいなかった。
その日、店主のかわりにひとり店番をしていたのがHIBIKIくん、当時大学四年生。思い切ってフライヤーのことをきりだすと、興味をもって話を聞いてくれた。
「めっちゃ面白いですね、是非行ってみたいです!」
ちゃんと目を見て会話をする、感じのいい青年だった。訊けばDJとしても活動しているらしい。店内の棚にはストリートカルチャーむんむんの雑誌やZINEなどが並んでいる。ぼくは面食らった。生活圏にこんなスペースがあったなんて。フライヤーを握りしめてなければ辿り着いてはいなかっただろう場所で、気づけばぼくは、感じのいい青年に自分の話を聞いてもらいながらコーヒーを飲んでいた。
FUUD初の作品展が始まって二週目。
HIBIKIくんが観にきてくれた。これには驚いた。まさかほんとうに来てくれるなんて。しかもNerdくんというこれまたDJをしているというお友だちを連れて。
彼らと出会ったことで、ローカルで活動することやインディペンデントであることがただの子どもじみた夢の語りではなくなった、そんな気がした。
ぼくはこの初めての作品展で何を得たのだろう?
それは、まだ、よくわかっていない部分の方が大きい。しかしこうして振り返って思うのは、語りの主体になることができた、その充実感だ。
え?ここにきてまーだ自分自分??
えーーっと、うん、そうだなあ、、。
どうやら、ぼく(FUUD)は、そういう人間らしい。
*
出来事の当事者であること。
ぼくは、それをなにより求めていたんじゃないかと思う。
繋がり、存在、思い、表出、、、いろいろ伝えたいことがあるのだけれど、それはやっぱり当事者としてのそれだからこそなんだと思う。すでにある他人の文脈にのって自身を存在させる、そういう仕方ではないところで存在したがっていたのだろう。
野良に生きる。
インディペンデントである。
何かから独立してそこに在る。
それは孤立と言い換えてもいい。
ただこうも言いたい。
けして"孤立したい"のではない。ひとまず点であること、その輪郭を認めたうえで、別の点と繋がることで得ることができる何か、そういう運動の当事者でいたいのだ。
同じように"孤立するようにそこに在る何か"と、点と点が繋がるようにして繋がりたがっている。
この連載を『インディペンデントな日々』と名づけたのは、このような思いの現れだったんじゃないか。いま綴りながら、そんなことを思った。
