『インディペンデントな日々』 - 第八話 「アイデンティティの危機」
FUUD / H apartment studios初めての作品展を振り返ると、さまざまな甘酸っぱさがある。

例えば、店番するならぜったいに革ジャンを着たかった。このことはずっとこの作品展の実現を遠く福島から応援してくれていたasobiartworksに話していて、その実行を報告すると、盛大に笑ってくれた。やってきたことが報われた瞬間だった。
※作品展そのものの様子はインスタグラムに記録として動画で残している。
記録に残しているなかでも特に甘酸っぱい思い出はインスタグラムのこの投稿だ。その1、その2、その3
画像でもご紹介しよう。



画像は、三週の土日、計六日間でBGMがわりに会場内で流していたレコードのジャケット群。週を終えるたびにそれを出典つきでインスタグラムに投稿していた。
そろそろ何が"甘酸っぱい"のか、みなさんにも伝わっているころだろう。そう、あまりにも作品以外で勝負しすぎているじゃないか!
嗚呼、甘酸っぱい。
この"努力の方向をまちがっている感"こそ青春じゃないか?とあらためて思う。ぼく(ら)は、少年から青年へ至るまでの過程をかなりの思い込みで正しく歩んできた。そのことをいま回想しながらしみじみと感じている。
「ぼくはこういう者です」という自己紹介。
社会の中でそれをするとき、いったい何に注意を払うべきなんだろう?
ぼくは自身の作品群を語る言葉を持っていなかったんだと思う。だから一目見て(あるいは一聴して)それとわかる物たちの力を借りて、語ることができるモノとともに社交場へ出かけたのだ。
FUUDとはこういう者です、というときに、他人がつくったもの、すでにある文脈を語ることができるもの、そういう力を持っているモノたちに自身を参照させたこと。
これはあとになって物凄く自身を悩ませた行動だった。ぼく(FUUD)はそんな奴だったのだ、うすうす気づいてはいたけれど。
「FUUDって何者なんだ?」
それはぼく自身がいちばん訊きたいことだった。でもいったい誰に??
誰も教えてはくれない。そう、ここは広大な荒野で、ただ存在することだけはかろうじて許されているだけの"野良"の場なのだから。
おもしろいじゃないか、とぼくは思った。
ぼくは何者にだってなれるじゃないか。
絶対に次も催したい。
そう思えたのは、現実に社会の中に出向いてみて、それまで思い込んでいた自身のアイデンティティと呼べそうなものをこのような形でことごとく擦り減らしたからだと思う。
ぼく(FUUD / H apartment studios)は(あえて言うなら)人々の現実の生活の場を市場として捉えている。相手は等身大の人間だ。等身大のおもしろさを持った人たちに出会いたい。そのために行けるところまで行くんだ。だから自身ももっともっと等身大でありたい。
そう思ったことを憶えている。
