『インディペンデントな日々』 - 第十二話 「自身の活動を社会の仕組みに照らす」
地方都市生活者の遊びの場であり、最近はもっぱらドローイング作家FUUDのアトリエとして機能しているH apartment studios。
H apartment studiosとFUUDの活動が強く結びついたのは2024年の6月、自身初の作品展の開催が契機だった。いま2026年の6月。作品展を催したりZINEを編んだりと、このスタイルで丸2年突っ走ったことになる。
(FUUD / H apartment studios初の作品展↓)
なぜ直線的に突っ走ってこれたかと言えば、第1回目の作品展の準備から開催までに手応えがあったからだろう。以降半年に一度、これまで計5回の作品展は初回の準備の応用で成り立ってきた。スタートダッシュの余力をうまく使えてこれたのだ。(その間ディストロの取り扱いを始めたことが変化といえば変化だがその話はつぎの機会に。)
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それとはまた違う区切りの話をしよう。FUUDのインスタグラムアカウント初投稿は2023年の9月。もうじき世にFUUDのドローイングを公開し始めて丸3年が経とうとしている。
(記念すべきFUUDインスタ初投稿↑)
その3年の活動のなかで「作家です」と宣言したのは2025年の9月、描いた絵を公開し始めて2年後のことだ。それまではただ"描いた絵やつくった作品を見せる人"だった。
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FUUDの歩み
1年目・・・日々たのしく絵を描けるか?を試行する
2年目・・・約1年描き続けた結果、作品展を催す
3年目・・・"作家"としての活動を意識する(今ここ)
4年目・・・?
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最初の作品展開催を視野に入れ始めたくらいからだろうか、なんだかぼくはFUUDの活動を大学生みたいだなと思ってきた。
ひとつの分野についてあれやこれやと思案した2年間。3年目からはより狭い領域に狙いを定めた。作家を名乗ったとき、大学で専攻する領域を決めるようなものだとそこに至るまでに経た月日を鑑みて思ったのだ。
"作家"と名乗る以上、ぼくは芸術作品のつくり手になった。自ら問いを立て、その答えを探った。何を問うてきたかと言われればそのときどきの作品群を見てください、と答えたいところだけれどそれはあまりにも不案内だし、第一うまく問えていたのかさえ疑問だ。
いま、当時を振り返ってひとことでまとめるならば「開かれた社会の中で作家と名乗るために必要なものは何か?」みたいなことだったんじゃないかと思う。
もちろん描くことへのピュアな欲動はあったし、技術的なテーマや試行錯誤もあった。ただこう記すとなんだか問い以前の、素朴な疑問のようでもある。ただし「問うこと」こそ技術。この辺りのぎこちなさもなんだか大学生らしいじゃないか?
(直近の作品展の様子はこちら↓)
この暗喩でいくと、3ヶ月後にひかえた4年目のシーズン・今年の9月からは自身を「作家」と仮定しての検証も大詰めに入るだろう。そう、卒論・卒制に取り掛かるのだ。2027年の9月を迎える迄には大学4年間の集大成を発表するつもりでいる。
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これをインディペンデントな活動であることと半ば強引に絡めて語るなら、ぼくはまず、ひとりでっち上げた幻想の大学の門を自ら叩き、そこで学ぶ分野を自分で選んだ。それからそのときどきでその道の先達や理解ある学友に助けられつつ専門に取り組む領域を決めた。学費も自分で払ってきた。そしていま卒論・卒制のテーマを自分で決めようとしている。
どうも。わたくし、野良のでっちあげ幻想大学芸術学部で鉛筆ドローイング専攻しています、後期入学ただいま三年生のFUUDです。
学生とは言えまったく無名の大学でのこと。今のぼくに寄りかかることのできる権威と言えば芸術という名が示すところのそれくらいなもので、それにしたってどこからの認可もおりてはいない。無事に卒業したとてそこで持ち得るだろう権威と言えばたかだかこの身体の内に育てたモラルくらいなものだろう。いかにもインディペンデント。FUUD、いざ卒制・卒論。
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ついでだし、ここで活動の規模の話を加えよう。
FUUD及びH apartment studiosの活動を「社会」と照らし合わせたとき、この規模で発生する金銭的なあれこれと言えば雑所得的(実際そうである)であり、税務署に開業の申請をするほどの真っ当さや信用に足る継続性にまだまだ欠けるのが実態だろう。そこもまた大学生的だなあと思う。
今後どうするかと考えたとき、ぼくは「社会とのよりたしかな接続」を考えている。以前はそれが"作品展"だった。仮想現実から外に出て、この社会に事実を残すことを欲した。
5回の作品展を経た今、社会に場を持つには、もっと持続性のある確かな繋がり方があるんじゃないかと考え始めている。これはそのまま卒制・卒論のテーマに据えることなのかもしれない。
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紛らわしい話になるが、FUUDやH apartment studiosの活動を支える外皮としてのぼくは地方都市生活者でありフルタイムの労働者でもある。勤務先からは創作活動における副業の許可を出してもらっている身だと言えば、生活者としてのなんとなくの姿が浮かび上がるのではないだろうか。
その観点から言っても、これからまだまだ社会の中で愚直に"芸術"を主題とした活動を続けたい。生活者・労働者のまま作品を表出しながらそれをやりたい。そのように活動そのものを「問い」として、その都度その状況ごとに答えを出していきたい思いを強くしている。
あくまでも主題は"芸術"だ。たぶん、どこまで行ってもそうなるだろう。なぜかと言えば、これがひとりの人間による、よりよく生きるための試行だからだ。
そうだ、言い忘れていたかもしれない。ぼくは芸術を、人がよりよく生きるための試行の場だと捉えている。
それがどれくらい甘い考えなのか、甘いに留まらずもうじゅうぶんにヤバいレベルでのひとりよがりな脳内お花畑状態なのか、そんなことすら実のところよくわかってはいない。世の定義とぼくの感覚がズレているならズレているで、このような思いが社会や世間とどれほどズレているのか確かめたい、確かめにいきたいと思う。
ひとこと断るならば、これは所属している組織や社会全体への挑戦なんかでは全然ない。ただ、いまこの状況にあるぼくが"芸術"という主題に向き合うならばどのようなことが可能なのか?という話で、それ自体が探求でありぼくに固有の表出だろうと思っている。
と、ここまで書き散らしたことで、そろそろこの辺が"思い込み"とか"自惚れ"とかいう状態の臨界点なのでは?と思わなくもない。
だがしかし、ここで終わらないのがぼくだ。
たかだか今のこの規模ですら周りにロールモデルとなる同輩どころか先人すら見当たらない地方都市での活動なのだ。これをインディペンデントと言わずして、、という思いで今年の下半期の淡い淡い展望をここにこうしてふんわりと記しながら次への一歩の布石としたい。
詳細は新たな事実を積み重ねたときにでもまたあらためて綴りたいと思う。
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