「推せる」←何この鬼偉そうな日本語
本来であればこの議題はぼくが個人的趣味としている「(悪意も善意もなく)将来消えそうな単語グランプリ」という企画の最新版となる第3候補としてエントリーしても良さそうなものの、個人的感情がえらく前面に出てきてしまうだろうことを鑑み、あまりフラットじゃねえな感を持たれたくないがために別エントリにしているという、他者から見れば全くよく分からない経緯を孕んでいます。
そんなネガティブなエントリで心苦しいんですがヘッダ画像をお借りしています。
「○せる」とは?
例えば今、激はやりのヤクルト1000を飲んで寝付きが良くなった人が「めっちゃ"寝れる"~」とか言い始めるのは―――――ヤクルトの安眠効果はおなかと脳の関係性が上手く行く人行かない人プラシーボな人といろいろいて、ヤクルトという会社が別に予期してた訳でもないためちょっと例として適切ではなさそうではありますが―――――まだ良いと思います。
そこにはヤクルト1000のお陰で寝れるんすよ、然とした当人独自の感想という箱から逸脱しない表現の自由性が見て取れるためでもある。
これが、お......おしかつ.........(なんてつらい言葉なんだろう)となると一気に独自の感想視点を逸脱......してないのかな.........してない世の中になりつつある現状を受け容れるフェイズに移行している層は残念ながら存在してしまうため、逸脱してるとも言えたりしてないと思ったりいろいろあるのでしょう……
これまでも述べて来ましたが、お、しかつ......(駄目だッッこの単語を言おうとするとヴォルデモートみたいな呪いがはたらいてしまう!)
......つまり何かを「好き」でいる気持ちを表現したいのなら、好きという単語それだけで100パー伝わる。
例:ぼくはマツケンサンバが好きです。毎日歌って踊っています。
それなのに、推薦の推という漢字を使って表現しなきゃいけないような同調圧力が令和時代前後から一気にはたらいてしまうようになった。
第三者を巻き込むのが前提なファンって何?
「好き」は1人で完結しますよね。だが推薦は?
推薦って誰にするものなのかと問われれば、一人称視点から見て第二者か第三者です。つまり「他人様を巻き込む行為」です。
推薦の意味を持つ漢字を使った途端、個人の中で完結するはずの「好き」が他人を巻き込む事件に発展する。「好き」を押し付けられる。
例:ぼくはマツケンサンバを推薦しています。踊りを教えるからあなたも今日から1日3時間踊ってくださいね!!!1!!!!!1
……これってどう考えても迷惑じゃないですか?
「○せる」
その中でさらに自分の「好き」の尺度を表明するため、といいますか……何か新たな偶像を発見したことを手柄とでも表現したいのか(果たして新しく無名なアイドルとかそれに準じた偶像を発見することは手柄足り得るのか?自分の検索能力なりなんなりを評価して欲しい層が存在するのか?わからない)、
○○というアイドルを見つけた。「○せる」。
みたいに表明されることがある。推薦の推の字を使うことが現代の好きなのだと理解した上で意訳すると、
○○というアイドルは俺のお眼鏡にかなった。この俺様が好きになってやるよ(ありがたく思え)。
となりますね。本人にその気はないのでしょうが――――――あってたまるか――――――自己肯定感が凄まじい文になっていることに市井の人々は気づいているのだろうか。これは自分に「さん」づけしてしまったり敬称をつけて名前としてしまうハンドルネーム文化の浸透とも似たような係数で語ることができると思うので……それは……書きたくないですがまた思いついたら次回お会いしましょう。
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