アルマンドは例外だろうか(ショコラ)
昨日思ったショコラのこの部分だが
ショコラ見て最初に思ったのは、異常者だらけってことは演劇をなりわいにできるこのスクリーンに出とる人々って裏の顔といいますか舞台を降りたら一流芸能人ってことはこんな異常者なわけがないってことだ。演技をなりわいにできる立場になるまで、一体どれくらいの「正しさ」が要求される?
つまり演劇者っていう職的な業についてるってことは、とんでもないまともな人だってことの裏返しなわけです。普段はこんなおかしいやつじゃない。だったらそもそも額面交渉とか契約すらできないわけだ。
つまりそのような偽り……偽りではないか……「まともな人」という仮面をかぶって社会をやっている人たちが、この異常者しかでてこねえショコラにでてくる誰かを演じれるなんて、楽しくてしゃあないんちゃう?ということだ。
普段はクソまともな人間であることを周囲に理解してもらえないとそもそもオーディションに行かせてももらえない。オーディション行けても役なんてもらえるわけがない。どころかそもそも事務所に所属できるわけがない。劇団に入れるわけもない。履歴書に世の中舐め腐ったことを書いてたら書類審査とはそういうバカを剥がすためにあるわけだ。
どうですか。まともに学校に行って何の意味もない学問をやり、クソどうでもいい会社に嘘ついて入社して金もらって生きるような普通のきちんとした人生を送ってる人よりも演劇者は舐めた生き方をしていると思われるかもしれないが、この通りおそらくクソ面倒な生き方を彼女らは彼女らで強いられているわけだ。
そのような激寒人生に風穴を開けられるのが彼女らの選んだ変わった職的な業の職能でもある。演劇とはおおよそ一般社会ではする必要がなく周りからも求められないことである。別個周りにまたそれをエンターテインメントという商品にできる連中が配置されているから職的な業になるわけだ。
職を業することそれ自体が異様な楽しみでもあり、シビアに評価されて一気に切り捨てられる場でもある。なんでタレントってみんな個人事業主なんだろうな。じゃないととんでもねえ金稼ぎができないから?でもろくでもない金稼ぎもできないような人たちだって、どんだけいつまで経っても稼げなくたって一生個人事業主のままだよな。違いは頂点ども上澄みがせいぜい法人化するぐらいか。
そういう法人化に伴う会計とか税務とかつまらなくくだらないくせに必須でついてくる日常をやめて、意味不明なことをやり金がもらえる世界が演技なのだということをショコラを演じてる人々が理解させてくれる。マジでガキの頃にショコラみたら、主人公の女は意味不明に村から村を行き来して、村のルールとかもろくに守らない異常者で、この女に助けを求めにきた被虐女はマジで泥棒を普段からやっていて、頭がおかしいんだろうと思える。
ショコラで演技してる人たちはそんなぼくらを見てしてやったりと笑っていることだろう。真面目に、気が狂った連中を演じてる。爵位にしがみついて村で一番偉いと思っているクソデブ、人を規律したくてたまらない、俺が一番偉いから。最後には気が狂ってプライドがいかれて主人公女の家で菓子を喰いまくって死んだように気絶する。気が狂ってる。
普段真面目に生活していて、こんなイカれ豚を演じれるなんてカタルシスがあるだろうなと思える。そしてそれが、それら連中が好き放題演じた内容に違和感がない=全員気が狂っている、と自然にそう見えるように調整できる大道具だの小道具だの脚本だの監督だのスタイリストだのそういう全員がすげえよな。何も破綻せずに気が狂った町を120分表現するなんて大変だろうにな。
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