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80年代からの「美術の大衆化・日常化」

日本の高度経済成長期に、ミロのビーナス展(64年)、ツタンカーメン展(65年)、モナ・リザ展(74年)という3つの大ヒット展が生まれた話をしました。

この3つの展覧会が爆発的なヒットを遂げたのは、本来日本では目にすることが叶わない、それでいて誰もが知っている美術品・文化財がはるばる海を越えてやってきたという希少性が一番の理由でしょう。

ただ別の見方をするなら、この大ヒットを生み出したのは美術に対する飢えだったのではないでしょうか。
当時(60〜70年代)は、美術館・博物館、そして文化催事として展覧会を行っていたデパートを含めても、それなりの大型企画展を開催できるような展覧会会場には限りがあり、展覧会の実施数は今と比べればぐっと低い水準にありました。必然的に話題の展覧会となれば、その一点めがけて人々が殺到したというわけです。

しかし80年代に入ると、美術館の建設ラッシュが始まります。公立の美術館数に注目すると、60〜70年代にかけて徐々に増えてきていたところから、80年代は急激な右肩上がりとなっています。この勢いは90年代に入ってバブルが崩壊するまで続きます。
こうして東京などの大都市圏以外でも展覧会が頻繁に行われるようになり、人々にとって美術鑑賞は特別なものではなくなっていきました。「美術の大衆化・日常化」です。

その代わり、先ほどの3大ヒット展のような爆発的な入館者数を数える展覧会は生まれなくなり、入館者数が10万〜50万人のレンジに収まる展覧会の数が増えています。
「企画展入場者総数(関東地区)」のデータを見ると、モナ・リザ展が行われた74年は関東地区の入場者総数は約340万人でしたが(その内の3分の1以上をモナ・リザ展が占める)、それ以降はそこまで突出する展覧会が無かったため、この水準に達しない時期が長く続きます。
それでも会場数の増加にともなって総入場者数も増加していき、87年にようやく340万人に再び並ぶと、それ以降はさらに総入場者数が急角度で伸びています。
バブル期の日本の経済力を示すように、海外の美術館から有名作品を持ってくるいわゆる「海外展」の数も80年代後半から一気に増加しています。

80年代から90年代前半にかけてはまさに日本の展覧会黄金時代だったと言えるのかもしれません。

参考
『戦後美術展略史(一九四五—九〇年)』淺野敞一郎、求龍堂、1997年