図像学
この記事は、書籍化公開プレゼン第2段『あなたのための美術史学入門(仮)』のサンプルになります。
ここでは、美術史学の研究手法のひとつ図像学(イコノロジー)を取り上げます。一緒に、絵を読み解く楽しみを体験してみましょう。
[実践ワーク]

この絵は《源氏物語絵巻》の一場面です。実は、この絵には心情を暗示する図像学的な仕掛けがいくつもあります。
絵を見て、登場人物の気持ちを読み取ってみましょう。
■作品概要
《源氏物語絵巻》は、日本文学の古典として有名な紫式部の『源氏物語』を絵画化したものです。平安時代後半に制作されたと考えられる現存最古の物語絵巻で、国宝に指定されています。
この絵巻のもととなった『源氏物語』はみなさんご存じですよね。
天皇の親王として生まれ、才能・容姿にめぐまれた主人公光源氏のめくるめく恋愛遍歴と政治上の失脚と復帰などがからみ合って複雑な人間関係が展開する、全54帖の大長編王朝文学です。
物語はフィクションで光源氏も架空の人物ですが、著者の紫式部は、一条天皇の中宮となった彰子に女房として仕えていたので、物語の中の華やかな宮廷貴族の描写には実感がこもっています。
《源氏物語絵巻》は、『源氏物語』54帖の全場面を絵画化したものではなく、ダイジェスト的に場面をピックアップしたと考えられていますが、それでも10数巻におよぶ一大絵巻セットだったようです。現在はその内の3巻が徳川黎明会に、1巻が五島美術館に伝わり、その他は断簡という絵巻の一部分が残る程度です。
■絵を見るトレーニング
さて、最初に図版で紹介したのは、『源氏物語』の「御法(みのり)」という場面です。
《源氏物語絵巻》は、詞書(ことばがき)という文章があり、その後に文章を絵画化した絵のパートが続くという構成になっています。

だから、この「御法」の場面も詞書を読めば、どのような内容が描かれているか分かるのですが、その前にまずは絵だけを見てどれだけ情報を読み取れるか挑戦してみましょう。これが絵を見る力を磨くトレーニングになります。だいぶ色が落ちたり擦れたりして見づらい部分もありますが、がんばって目をこらしてみてください。
[ヒント]
舞台は屋内でしょうか。屋外でしょうか。絵を見る限り、その両方ですね。ただ屋内の方は何だか不思議な建築構造に見えます。
登場人物は何人いるでしょう。画面中央に烏帽子をかぶった男性、画面右端に髪の長い女性。この2人だけでしょうか。いやいや、もう一度よく見てください。
人物はどんな表情をしていますか。よく見えませんね。向かい合う男女は、鏡映しのように同じポーズを取っているのがわかりますか。
舞台装置にも目を向けてみましょう。室内には何が描かれていますか。登場人物の身の回りの道具で気になるものはありますか。
画面左側は邸宅の庭の様子です。庭はどのような情景として描かれていますか。
■「御法」の内容
では次に、詞書の文章からこの絵がどのような場面なのかを解説しましょう。

光源氏の妻・紫の上は長らく体調がすぐれず、命が尽きかけているのを自分でも感じていました。養女として紫の上に育てられた明石の中宮は、その様子を心配げに見守っています。
秋の中頃、旧暦8月14日のことでした。風が強く吹いている夕暮れに、紫の上は庭の様子を眺めようと脇息に寄りかかって身を起こしました。
そこに光源氏が見舞いにやってきます。紫の上が起きているのを見て、源氏は「具合がよさそうですね」と声をかけます。しかし紫の上は、庭の秋草を眺めながら別れの歌を詠みます。
「おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩の上露」
(起きているように見えてもはかないものです。まるで風に乱れる萩の露のような命ですから)
源氏もこれに歌を返します。
「ややもせば消えをあらそふ露の世に遅れ先だつほど経ずもがな」
(消えるのを争う露のようなはかないこの世で、遅れたり先立ったりすることなく、間を置かずに一緒に消えたいものです)
そして明石の中宮も続けて歌を詠みます。
「秋風にしばしとまらぬつゆの世を誰か草葉の上とのみ見ん」
(秋風に吹かれて少しの間も留まることがない露のようにはかないこの世を、誰が草葉の上だけのことと見るでしょうか)
そこから紫の上の体調はどんどん悪化していき、一晩中祈祷などが行われましたが、夜が明けるとともに息を引き取ります。
これが詞書に書かれている内容です。つまり、親子3人が最後の別れを悲しむ場面なのです。源氏は最愛の妻を失うことになります。
■図像から意味を読み解く
あらすじがわかったところで、もう一度絵に戻りましょう。

登場人物は、源氏と紫の上と明石の中宮の3人ですね。絵の中で烏帽子をかぶっているのが光源氏、脇息に身をもたれかけているのが紫の上、そして分かりにくいのですが、2人の間に座り後頭部を見せているのが明石の中宮でしょう。
明石の中宮は、他の2人に比べて、極端に頭が小さく描かれているため見落としてしまいがちです。
人物たちの身振り
先に言っておくと、紫の上の顔が紫色に見えるのは病人の表現ではなく、使われている顔料の変色です。彼女の後ろの几帳(いわゆるパーテーション)も白いはずが同じように紫色になっていることからも、それが分かります。
それよりも紫の上の仕草に注目してください。右肘を脇息に置き袖で顔を覆っています。対峙する源氏も、左袖で顔を隠しています。分かりにくいのですが、明石の中宮も同じポーズを取っています。
この袖で顔を隠すというジェスチャーは、悲しみをこらえているという記号的表現です。初歩的な図像学的解釈です。
《源氏物語絵巻》では、いまのマンガのように、人物の表情で悲しみを表現することをしません。
この場面だけではわかりにくいのですが、《源氏物語絵巻》に登場する貴族たちは、男も女もみな目は線を引いただけ、口はほぼ点を打っただけで、個性の描き分けも表情の変化もありません。こうした顔を「引目鉤鼻(ひきめかぎばな)」と呼びます。
なぜ、そんな不自然な描き方をしたのでしょうか。
実は当時の貴族たちは、感情を表に出すのは恥ずべきことと考えていました。眉毛を抜いたり剃ったりして、墨をぼかして眉を描く「引眉(ひきまゆ)」を高貴な男女は行っていましたが、これも眉に感情が出やすいことを嫌ったためと言われています。
また彼らは、自分の顔の特徴をとらえて描かれることにも抵抗感を覚えていたようです。一説には、あまりそっくりな絵や像を作ってしまうと、それが呪いの標的になると考えたからと言われています。
平安貴族は日常で夫婦以外の男女が顔を合わせることはほとんどなく、女性は簾の中に姿を隠していたことを考えれば、彼らが絵画の中でも個性的に、そして表情を露わにした顔で描かれることを拒否したのは納得できます。こうして引目鉤鼻という独特の描写表現が生まれたのでしょう。
さて、表情で感情を描写できないわけですから、他の方法で登場人物たちの感情を表現しなくてはいけません。そのひとつが袖で顔を覆うなどの身振り手振りなのです。
フレーミングされた空間
次に室内の様子を見てましょう。
そもそも不思議な建物です。柱があり、柱と柱をつなぐ長押があるのに、その上にあるはずの屋根がありません(ちなみに平安時代の建物には天井はまだありません。部屋の中から屋根裏が見えました)。
だからこそ上から見下ろす視点で描かれているのに、屋根にさえぎられることなく室内の人物の様子がわかるわけです。
実際にはあるはずの屋根を大胆に取り払って、柱や長押だけを描く手法を専門用語では「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」と呼びます。なかなか便利な発明で、これによって一画面で屋内と屋外の様子を同時に説明することができます。
吹抜屋台は、《源氏物語絵巻》に限らず絵巻で多用される手法です。先行する作例としては、平安時代中期の作で、法隆寺東院絵殿内陣の壁面を飾っていた《聖徳太子絵伝》(1069年、東京国立博物館)にすでに吹抜屋台が用いられています。
ただし「御法」の場面は、単純に屋根を取り外しただけではありません。屋根は描かず、柱と長押は描く、という法則通りならば、この図(↓)のようにもう1本長押が描かれなくていけないはずです。しかし、この長押は省略されています。

もし、この長押の線が省略されていなかったら、どうでしょうか。
別れが近づいているのを感じながら向かい合う源氏と紫の上が、ちょうど間で区切られてしまいますね。明石の中宮もほぼ隠れてしまいます。これでは悲しみの場面が台無しですね。
この絵を描いた絵師は、吹抜屋台の基本法則を破って長押を1本取り除くことで、親子3人だけの親密な空間を強調するフレームを作り上げているのです。こうすることで3人を結ぶ三角形の真ん中にぽっかりとスペースが空き、その何も無い空間が3人の言葉にできない悲しみの感情を読者に連想させるのです。
明石の中宮の頭が極端に小さく描かれていることについて、源氏と紫の上の夫婦2人の関係性を強調するためと見る向きもあります。
ただし、他の場面を見てもこの絵巻では女性の後頭部は一様に小さく描かれているのでその解釈は当たらないでしょう。平安貴族はふっくらとした頬が魅力的であるという価値観だったことを考えると、逆に女性の後頭部を描くことには何らかの心理的抵抗があったのかもしれません。
感情を代弁する植物
さて、画面の左側を大きく占めるのが庭の描写です。
屋内に比べて色が沈んでいるのは、全体に銀泥が塗られているからです。銀泥というのは、銀箔を粉にしたものを膠(にかわ)で溶いた銀色の絵具です。日本絵画では、銀という色は月の色であり、夜を象徴する色です。一方で金色は太陽を表します。
あらすじで触れた通り、夕暮れ時に源氏が見舞いに来た後、夜にかけて紫の上の病状は悪化していきます。つまり、この銀色によって夜という時間帯が示され、紫の上の命が風前の灯火であることも暗示されているのです。

そして顔料が剥落して見えにくくなっていますが、たくさんの草花が描かれているのが見えますね。肉眼で判別できるのは、萩、薄(すすき)、女郎花(おみなえし)です。また光学調査によって桔梗(ききょう)の花も描かれていたという報告があります。いずれも秋の植物です。
萩は、紫の上が最後に詠んだ歌の中に出てきましたね。
「おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩の上露」
(起きているように見えてもはかないものです。まるで風に乱れる萩の露のような命ですから)
萩の葉の上にのっている玉露。激しい風が吹けば、すぐに葉から落ちて消えてしまうはかない玉露に自分の命を重ねている歌です。つまりこの庭の秋草の描写は、紫の上の心理を表現しているのです。
玉露そのものが描かれていたかどうかは判明しませんが、萩をはじめとした草花がみな右側に向けて大きくしなっているように描かれているのは分かります。露を吹き散らす秋風が強く吹いていることを、はっきりと伝えているのです。
その観点で屋内を再び見てみると、庭に面した緑色の御簾がたわんでいることに気がつきます。これも秋風が室内まで吹き抜けていることの表現です。紫の上のはかない命までも吹き消すかのように。
扇の日輪の意味
絵の解釈としては、ここまでで十分なのですが、もう一箇所だけ図像学的な関心から触れておきたい部分があります。それは源氏が右手に持つ扇です。

詞書を読んでも源氏が何を持っているか、なんていう記述はありませんから、このアイテムのチョイスには、絵を描いた絵師の何らかの意図が込められている可能性があります。
扇は貴族の必須アイテムなので、源氏が扇を持っていること自体は不自然ではありません。現に《源氏物語絵巻》の他の場面でも、扇を持った人物はあちこちで確認できます。
ただ、この場面の赤地に金色の日輪が描かれた扇は、率直に言って画面になじまず目立ちすぎている、そんな印象を受けませんか。
当然、これまで何人もの研究者がこの扇の図像学的解釈を行ってきました。例えば、この日輪は源氏にとって光り輝く太陽そのものだった紫の上の象徴であり、その扇が半分隠れて日輪が欠けていることから紫の上の死を暗示しているとか、または日輪はその名の通り光源氏のことであり、この後に源氏の死が訪れることを意味しているとか。
結論は出ていませんが、私が好きな解釈はこの日輪は落日ではなく、日の出を表しているというものです。
先ほど触れた通り、画面の大部分を占めるのは銀色であり(紫の上の装束も銀色です)、時間帯は夜でしたね。
家族3人だけの親密な時間が永遠に続けばいいのですが、それは叶いません。詞書の最後は「明け果つるほどに消えはてさせ給ひぬ」。夜明けとともに紫の上の命は消え果てた、と語られています。
つまり扇が暗示する日の出は、この数刻後の決定づけられた別れを伝えているというのです。美しい解釈だと思いませんか。
***
こうしてみると、小さな絵の中にふんだんにメッセージが散りばめられていることに驚かされます。
ここで実践してみたように、絵に描かれたモチーフから作者が込めた意図を読み解く手法が図像学です。イコノロジーとも言います。
図像学という方法論を確立したのは、20世紀を代表する美術史家エルヴィン・パノフスキーです。パノフスキーは、美術作品を様式で分析するだけでなく、その作品が生まれた文化的・歴史的・宗教的な背景を踏まえて、図像を解釈していくという新しい研究手法を編み出しました。
パノフスキーは、主にキリスト教のシンボルや神学的背景を踏まえてモチーフを読み解きました。これを応用して、日本美術の研究でも仏像や仏画などの仏教美術に対して図像学的アプローチが行われています。宗教美術は様々なシンボル、教義を象徴するモチーフで構成されるものですから、図像学が有効なのです。
しかしこの《源氏物語絵巻》のように、宗教美術以外でも緻密に計算されて描かれた作品であれば、図像学が活用できるのです。逆に、何にでも図像学を使おうとすると、無茶な深読みをし過ぎてしまうという危険性もあります。
【参考文献】
エルヴィン・パノフスキー著、浅野徹・阿天坊耀ほか訳『イコノロジー研究 上・下』筑摩書房、2002年
NHK名古屋「よみがえる源氏物語絵巻」取材班『よみがえる源氏物語絵巻 全巻復元に挑む』日本放送出版協会、2006年
中島和歌子「『源氏物語絵巻』「御法」の解釈—光源氏の金の太陽の煽煽扇を中心に—」『北海道教育大学紀要 (人文科学・社会科学編)』第58巻第1号、2007年
久下裕利「国宝『源氏物語絵巻』を読む—うち置かれた扇—」『学苑・文化創造学科紀要』第829号、光葉会、2009年
清水婦久子『国宝「源氏物語絵巻」を読む』和泉書院、2011年
倉田実『図鑑 モノから読み解く王朝絵巻 第一巻 源氏物語絵巻の世界』花鳥社、2024年
【図版引用】
『日本絵巻大成1 源氏物語絵巻 寝覚物語絵巻』中央公論社、1977年
