美術館学芸員の研究事情
私が学芸員になる前、大学院生だった時の話です。とある研究施設でアルバイトをしていました。いや、別ににごす必要もないか。知る人ぞ知る、東京文化財研究所というところです。上野の東京国立博物館の裏にあります。
いろいろな大学の学生がここでアルバイトをしていました。美術関係の図書資料がたくさんあるし、そもそも研究員さんたちが一流の美術史研究者なので、とにかく学びの多い場所だったのです。
その時、一緒にアルバイトをしていた人たちは、みんな何だかんだで学芸員か大学教員か研究員になっているなぁ。
アルバイトをしていると研究所の研究員さんと話をする機会が多々ありました。飲み会も多かったし。
どなたもその道の第一線でバリバリ業績をあげている人ばかりなので、私は恐れ多くて自分から積極的には話ができませんでしたが、割と気さくに話しかけてもらえました。
大学の指導教官と学生という関係ではないので、研究についてがっつりレクチャーを受けるようなことはありませんでしたが、会話の端々からヒントをもらっていた気がします。
ある日、年配の研究員さんからこんなことを言われました。
「いいかい。とにかく1年に1本は論文を書きな。それを続けていれば、絶対大丈夫だから」
その「大丈夫」が何を指すのか、なんで1本という数なのか、特に説明はありませんでしたが、妙にこの言葉だけが心に残りました。
「そうか、このレベルの研究者でも1年に1本でいいのか」と意外に感じた記憶があります。いや、実際は1年に3、4本バリバリ書く人も多いのですが、長い目で見た時には1年にきっちり1本書き続けるだけでも十分業績は積み上がっていくよ、ということだったのかもしれません。
それからほどなくて、私は運良く学芸員として就職しました。学芸員になってからもその言葉を胸に「1年に最低1本論文を書く」ことを続けました。
それができたのは、所属する美術館にちゃんと研究紀要があったからです。学芸員が日頃の研究成果を発表する刊行物のことです。紀要がない館、数年に1度のペースで発行する館などもある中で、毎年きっちり紀要を出す美術館にいることができたのは幸運だったと思います。
紀要で論文を発表する。もしくは、担当した展覧会の図録にテキストを書く。図録の方もエッセイやコラムを書くわけではなく、展覧会テーマに関する研究成果をまとめているので、これも論文としてカウントすることにしました。
展覧会を担当しない年は、紀要に必ず書く。展覧会を担当した時も余裕があれば図録テキストと紀要論文の両方を書く。あとは機会があれば外のメディアに書く。
とにかく「1年に最低1本論文を書く」という教えを守り続けてきました。
しかし、です。
私は最初の美術館で10年以上働いてから、別の美術館に移りました。そこには紀要を刊行するという慣例がありませんでした。体制が整っていなかったと言ってもいいでしょう。さぁピンチ!
