初めての保護猫 第5話(#シロクマ文芸部)
<あらすじ>
妻に先立たれ、やもめ暮らしの75歳の主人公は、買い物帰りに近所の田んぼのあぜ道で、泥だらけになっている猫を『初子』と名付け保護することにした。ところがその猫は妊娠していて、しかも猫エイズキャリアだった。
数日後、5匹の仔猫の出産に立ち会い、仔猫の里親探しを模索するが・・・。
寒い日に5匹の仔猫の出産を終えた初子は、病院で処方された薬のお陰で、少し体調が戻ってきている。
「初子、俺にできることがあるか?」
初子は我が家の環境に慣れてきたようで、あちこち部屋の中を点検するように歩き回るようになっていた。
まだ体を触ることは許してもらえないが、距離は縮まってきた。
仔猫が少しでも鳴くとすぐに走り寄り、舐めたり乳を飲ませたりしている様子を見るのが好きで、傍に近寄って話しかけたりしている。
もちろん初子が答えることはないが、最初は緊張していた初子の表情が
和らいできたように感じる。
しかも仔猫たちが可愛らしくて見ていて飽きない。
母猫と仔猫たちの微笑ましい営みを眺めていると、仔猫たちの名前を考えてやらないと、という気持ちが沸き起こってきた。
名前とは命にアイデンティティを持たせる為に一番大切なものだ。
もちろん、里親が見つかるまでの仮の名前なのだが、1番、2番、3番と野球の背番号じゃあるまいし、数字で呼ぶことには抵抗があった。
ところが、いざ名付けの段階になると悩んでしまい、本棚に仕舞い込んでいた姓名判断の本を取り出した。
もう30年近く前になるが、長男の名前を考えてた時に買った本だ。
私が適当に考えた名前はセンスがないという理由で全部却下され、息子たちの名前の決定権は妻にあった。
ページを捲るとその時の妻が書いたであろうメモがところどころ残っている。長男にいくつかの名前候補があったようで『歩夢』という名前に印があって「夢を持って生きて欲しい」と走り書きしてある。実際は『拓望』と命名したのだが、その時に「自分で運命を切り開いて欲しいよね」と妻は言っていた。
あの時自分は妻に何と返事をしたのか? 覚えていない。
思えば我が子の名付けに始まり、家のことは全て妻に任せっきりで、妻の苦労など知ろうともしなかった。稼ぎを家に持って帰ることで責任を果たしていると思っていた。妻に苦労などさせていないと思い込んでいたのだ。
思わず妻の遺影に視線を向けた。相変わらずニコニコ笑っている。
今頃気付いたの?と呆れている風だ。
一番初めに生まれた雌の仔猫の名前を長女だから『長子』とした。他の4匹は生まれた順番が分からないので体の特長で決めることにした。
シッポが途中で曲がっている子を『尾曲』
背中に豆のような形の黒い斑がある子を『豆男』
全身真っ白な子を『白』
体に斑が一番多い子を『斑』
どうにかこうにか5匹の命名はした。結局字画など無視したから姓名判断の本は無用だった。やっぱり自分はこうした事柄が苦手なのだ。妻が生きていたらすかさず却下されてしまうだろう。最終的に意味を持たせた名前は里親が考えるだろうから、ここにいる間の仮の名前に過ぎないのだし、気取った名前を考えたところで、自分自身が覚えられないだろうことに気が付いた。なにせ似通った仔猫が5匹もいるのだ。体のわずかな特長で呼んだ方が手っ取り早い。
そんなことより里親をどうやって募集するかが問題だ。
獣医の井上先生の話では仔猫は全部猫エイズに感染している可能性が大きいと言っていた。そんな病気持ちの猫を飼いたいと言ってくれる人がいるだろうか? 自分だったら面倒事をわざわざ抱え込むようなことはしないだろう。
「さあ、困ったことになったぞ。初子は仔猫を手放したくないだろうが、うちで5匹全部飼うことは難しんだ。堪えてくれよ」
初子に謝罪するようにつぶやいた。
午後になって初子の餌を買う為、近くのホームセンターへ出掛けた。以前猫グッズを購入したホームセンターだ。そこには親切な店員のお姉ちゃんがいたので、里親探しのヒントを教えてもらえるかもしれない。
ペットグッズコーナーに行くとその店員が商品の陳列作業をしているところだった。
年齢は20代後半といったところだろうか、髪を後ろで束ねてこざっぱりしている。こちらから声を掛ける前に気付いたらしく、笑顔で近寄ってきてくれた。
「こんにちは、この前の方ですよね? 猫ちゃん元気ですか?」
「それが猫エイズでね、仔猫を5匹も産んで大変なんだよ」
店員のお姉ちゃんは少し驚いた様子で、
「初めて猫を飼うとおしゃってましたが、大変でしたね、大丈夫ですか?」
これまでの経緯を説明する私の表情が暗かったのか、心配そうに「大丈夫ですか?」と言葉を付け足した感じだ。
「無事に生まれたけどね、病院で仔猫は全部猫エイズに感染しているだろうと言われたよ。里親を捜したいが難しいだろうね」
「そうですか、私もあまり詳しくはないのですが、発症しない場合もあるそうですよ。それにすでにキャリアの猫を飼っている方が多頭飼育をする場合、同じキャリアの子を迎えると思うので、譲渡会などに参加してみるのも良いかも知れませんよ」
譲渡会?
店員のお姉ちゃんは地元で犬猫の保護活動をしているNPO法人『ポチたま保護の会』へ時々手伝いに行っていると教えてくれた。
「ここで仕事をしていて代表の方と知り合ったんですよ。動物が好きだし保護活動に興味があったので時々手伝っているんです。今度一緒に行ってみますか?」
「そうだね、色々相談できると嬉しいな」
世の中には親切な人もいるものだ。帰り際に改めてお姉ちゃんにお礼を伝えると、
「いえいえ、私は猫が好きなので、可愛そうな子を少しでも減らしたいんです」と笑顔で応えてくれた。
親切心からの提案なのだろうが、猫の為に私を監視する意味も含まれていそうだ。
何はともあれお姉ちゃんが三日後、手伝いに行くということだったので同行させてもらうことにした。
当日、店員のお姉ちゃんと待ち合わせて『ポチたま保護の会』へ訪問した。
外観は普通の民家で、思っていたより狭い印象を受けた。
代表の小湊さんは小柄な女性で、エプロン姿は普通の主婦といった感じだ。
「初めまして。小湊と申します。お話は理恵ちゃんから聞いています」
店員のお姉ちゃんの名前が理恵という名前だということを初めて知った。
「初めまして。すみません、お忙しいところお邪魔して。中瀬と申します」
施設内はいくつかの部屋に仕切られていて、仔猫の部屋と成猫の部屋。そして猫エイズキャリアの猫たちの部屋と、それ以外の病気のある猫の部屋があると説明してくれた。それぞれの部屋に数十匹の猫たちが暮らしてるようだった。
「御覧の通り、うちではキャパオーバーでこれ以上の受け入れは出来ない状態です。仔猫は希望者も多くてすぐに里親が決まるので空きが出て回転は速いのですが、猫エイズキャリアとなるとなかなか難しいのが現状です。それは誤った情報の為と印象がどうしても悪くなってしまうからなんですが、エイズキャリアであっても、環境を整えストレスのない生活を送っていれば、発症することなく、天寿を全うすることもできます。
猫には腎不全や腹膜炎など、怖い病気はたくさんあって、猫エイズだけを排除してもあまり意味はないのですが、人間にうつるんじゃないかとか治療費を気にして嫌煙されてしまうのが現状です」
そうした疑念は自分も最初から持っていた。今回自分の身に降りかかったことで初めて知ることになった。
「人間だっていつどんな病気になるかなんてわからないし、命に関わる病気になることだってありますよね、猫も同じです。たとえ元気な猫を迎えたとしても、その子がいつ虹の橋を渡るかなんて誰にも予想できないでしょう? 犬猫を飼うということは、命を預かって責任を持つということです」
諭されているようで耳が痛い。
「おそらく母猫の初子は発症してるだろうと言われました。でも仔猫を母猫から引き離すことは可哀想できないでいますし、だからと言ってこのまま5匹の仔猫を飼い続けることは出来なくて困っています」
「そうでしょうね」
もっと厳しい物言いをされると思っていたが、小湊さんは共感してくれた。
だからというわけではないが、もう少し踏み込んでお願いをしてみようと思った。
「実は、仔猫の里親探しをしたいのですが、母猫の初子はこのままうちの子として飼うとしても、仔猫5匹の面倒は自分には重荷でして・・・何とか・・・その・・・難しいでしょうか?」
小湊さんは苦笑いだろうか、口角を少し上げて、
「譲渡会へはいくつかの手続きをしていただいたら参加していただけますよ。できれば譲渡会以外にも、例えばネットで里親募集サイトへ登録されたり、お知り合いの方たちに声掛けをしてみたり、色々方法はあると思います」
「知り合いに声を掛けてみようとは思っています。あと病院でも里親募集のチラシを掲示させてもらうことになっています」
実は病院へはまだお願いをしていないが、待合室にいくつかチラシが貼ってあったのを思い出し、少しでも印象を良くしたくてつい見栄を張ってしまった。今度の診察の時にお願いしてみよう。
「まだ生まれたばかりということなので、1回目のワクチン接種をしてから譲渡会へ参加してもらいますね。仔猫の写真など準備をお願いします」
「わかりました。ありがとうごいます」
ホームセンター店員のお姉ちゃんと別れる際、不安げな私の様子をみて、
「譲渡会では写真とか、仔猫のアピールポイントを書いたボードとかあると良いですよ。お手伝いしましょうか?」と申し出てくれた。
願ったり叶ったりだ。
「お願いします、助かりますよ。どうしていいかわからなかったので」
実際に里親募集サイトへの応募とか、チラシ作りなどしたことないし、できれば全部お姉ちゃんに丸投げしたい気分だった。
そんな私の気持ちを察してか、
「写真が必要なので、仔猫が生後2ヶ月くらいになったらお宅へお邪魔しても良いですか?」とお姉ちゃんから申し出てくれた。
ホームセンターのお姉ちゃん、もとい、理恵さんが神様に思えてきた。
里親探しの道は険しいが、先が見えたような気がした一日だった。
