初めての保護猫 第3話(#シロクマ文芸部)
雪が降る庭を窓越しに初子が眺めている。
初子を始めて我が家に連れ帰って1週間が過ぎていた。
ようやく我が家に慣れてくれたようで、もう外に出たがることはなくなった。
家の中には慣れてくれたようだが、私に触られるのは嫌みたいで近ずくと逃げられてしまう。
「ちょっとくらい撫でさせてくれてもいいだろう」
餌をやったりトイレを掃除したり、さんざん世話してやっているのにつれない素振りだ。だいたい保護してやらなかったら、今頃とっくに死んでたかもしれないんだ。ちょっとくらい触らせてくれても罰は当たらないはずなのに。
ボヤいてみるが、素知らぬ風に産箱で横になっている。
大きなお腹がいかにも苦しそうだ。ちょっとでも触ると破裂してしまうんじゃないかと思えるくらいに大きい。そのせいでうつ伏せで寝ることが出来ないようだ。
腹がはち切れそうで食欲も出ないのか、朝から何も食べずに寝ている。
「おい、どうした? 腹が苦しいのか? もう夜だぞ、少しだけでも食べなさい」
さっきまで大人しく寝ていたが、ソワソワと産箱を出だり入ったり、部屋の中を徘徊したりと落ち着きがない。
そういえば、病院からもらった「猫の出産の流れ」という冊子に、出産が近付くと落ち着きがなく次第に呼吸が荒くなり、陰部をしきりに舐めるようになると書いてあった。
「そうなのか? もうじき産まれるのか?」
聞いてみたところで答えるはずもなく、頼りは小さな冊子だけだ。
注意して観察してみると、確かに呼吸が荒くなったように思える。
冊子のページを捲り老眼鏡をかけようとするが、慌てて手が震えてしまう。
落ち着け、一旦落ち着け。
まだ始まった訳じゃないだろうと、自分に言い聞かせる。
(開口期)
出産の準備に入り、落ち着きがなくなり巣作り行動をするようになります。これらの変化は出産の1〜2日前ごろから起こります。さらに、陰部が充血して透明の粘液が出ることもあります。この時期には体温の低下も見られますが、体温を測られるのを嫌がって興奮することがあるので、無理に計測しないようにしましょう。
(娩出期)
出産は、母猫が落ち着ける、夜中~朝方にかけて始まることが多いです。娩出期になると定期的な陣痛が起こり、破水します。そして、さらに陣痛が強くなり、羊膜に包まれた胎子が娩出されます。羊膜は自然と破れることもありますが、破れない場合は母猫が破り、へその緒を噛み切って、胎子をなめることで呼吸を促します。
(後産期)
子猫が生まれると同時に、必ず胎盤が出てきます。子猫1匹に対して胎盤は1つなので、子猫の数と胎盤の数は同じでなければなりません。胎盤が子宮の中に残っていると、子宮内膜炎などの病気の原因になるので、子猫と胎盤の数が違う場合は獣医師に連絡しましょう。
また、母猫は本能的に胎盤を食べることがありますが、嘔吐や下痢などの原因となるので、食べさせないようにしてください。
冊子によると、すぐに出産が始まることはなさそうだが、色々準備が必要のようだ。
産箱にペットシーツは敷いてあるし、妻が使っていた暖かなひざ掛けをペットクッション代わりに置いてやっている。産箱の下に敷いたホットカーペットも点けっ放しにして暖かくしてる。
<飼い主さんがすべきことや注意点>
◆母猫が羊膜を破らない場合はサポート
母猫が羊膜を破らない場合やへその緒を噛み切らないときは、飼い主さんのサポートが必要です。まずは羊膜を破って、へその緒を糸で縛り、鼻や口に入っている羊水を出しましょう。それから子猫の体をタオルで拭き、呼吸を促します。このとき、胎子を強く振らないように注意してください。
◆子猫はしばらく母猫のそばに
生まれた子猫はすぐにの母乳を飲み始めます。子猫が母乳を強く吸うことで陣痛が促され、次の胎子の出産がスムーズになるため、生まれた子猫をすぐに母猫から取り上げないようにしましょう。
◆母猫が子猫を踏みつぶさないように注意
母猫は、出産が終わるまで落ち着かず、いろいろと姿勢を変えることがよくあります。その際、子猫を踏んで押し潰してしまうなどの事故が起こることも。出産が終るまでは注意深く観察していてください。
冊子には飼い主が出産に立ち会うことを前提で書かれているように思える。
これは大仕事だぞ。
「初子、お前ちゃんと自分で出来るよな? へその緒なんか俺切ったことないぞ」
準備するものとして、へその緒を切る為の清潔なはさみと糸と、仔猫の体を拭く清潔なタオルを用意するように書いてある。
湯を沸かし、はさみとタコ糸を煮沸消毒しておくことにした。
タオルは近くのスーパーの年末の抽選会でもらった、ビニール袋に入れたままの新のフェイスタオルがあるから、それを使おう。
とにかく準備は怠らないようにしておくが、使う場面に遭遇しないことを祈りたい気分だ。
出産はすぐには始まらないだろうと、一旦風呂に入って寝ることにした。
出産の兆候が見られるようになって2~3日後に始まるらしいから、今のうちに自分も体力を温存しておかないといけない。
「初子、俺は寝るから、苦しくなったら鳴いて呼ぶんだぞ」
一声かけて寝室に入る。もちろん返事はない。
表情を伺うと、覚悟を持って時が来るのを待っているようにも見えるし、心細そうにも見える。
出来ることなら平日の昼間に産気付いて欲しい。そうすれば病院へ連れて行って安心して井上先生に任せることが出来る。
「なあ初子、明日の昼間まで我慢できるか? その方がお前の為なんだぞ」
もちろん返事はない。
こっちの願望が悟られたような気がした。
まんじりともしない夜は長く感じる。
隣の部屋にいる初子の様子が気になり、時々ドアを開けて様子を見るが、初子も眠れないようで、産箱の中で穴を掘るような仕草をしていた。
飼い主と認めていないであろう自分が傍にいても、初子は警戒するだけかもしれない。
下手に警戒心を引き起こし、生まれてくる仔猫に危害を加えるようなことがあってはならない。
だから自分は見守る立場を貫き、不測の事態になったら助けに行けばいい。そう思うことで少し気持ちが軽くなった。
ドアの傍で様子を伺っているうちにうたた寝をしてしまったようだ。
慌てて産箱の中の様子を見ると、初子の顔が食いしばり力んでいる(ように見える)。
大きなお腹が波打つように動いている。
始まった!
「おいおい、早くないか」
陣痛が始まったのだ。初子の傍まで急いで駆け寄り破水しているか確認するがよくわからない。
時計を見ると午前3時に差し掛かるところだ。
こんな真夜中に始まったが、この期に及んでじたばたしても仕方がない。 初子は今、ひとりで頑張っているじゃないか。
「痛くないか?」
「どうして欲しい?」
「ひっひっふーだぞ」
いやいや、これは人間の時にする掛け声だ。初子にはわからないだろう。
産箱の周りをオロオロしていると、つるんと最初の仔猫が産まれてきた。
「初子、産まれたぞ!」
最初の仔猫は羊膜に包まれたままで産まれてきた。
「ほら、羊膜を噛み切るんだ。このままじゃ息が出来ないぞ」
「早く羊膜を切って舐めてやらないと、仔猫は息が出来ないんだぞ」
矢継ぎ早に初子に叫ぶが、初子は再び陣痛が始まったようで、最初に産んだ子を放置していきみ始めた。
母猫がそれらの処理をしない場合(飼い主が羊膜を破って、へその緒を糸で縛り、鼻や口に入っている羊水を出しましょう)と書いてある。
とりあえず用意しておいたはさみと糸を手にするが、羊膜に包まれた仔猫を触る勇気がでない。
「おい初子、今からこの子のへその緒を切るからな」
宣言をするように初子に話しかけ、腹を決めて仔猫の羊膜を両手でつまみ破った。
ヌルッとした触感が気持ち悪い。
「羊膜から出したぞ」
次は糸でへその緒を縛ってはさみで切る。小さな体にはさみを入れるなんて、そんなことしてもいいのか? 切らないでいたらどうなるんだろう? 痛くないのだろうか?
とにかく迷っている暇はなさそうだ。
初子が再びいきみ始めた。
「へその緒を切ったぞ」
この時、手を洗わずに処置をしてしまったことを悔やんだ。
だが今更仕方がない。息をしていない仔猫をタオルに包んで優しくマッサージする。
「おい、頑張れ! 息をするんだ。死ぬんじゃないぞ」
マッサージを続けるが、なかなか呼吸を始めない。
そうこうしているうちに2匹目がつるんと産まれた。
「もう2匹目を産んだのか、そっちは自分でへその緒を切ってくれよ」
2匹目の仔猫の羊膜はすでに破れていて、うにゃうにゃと動いている。
呼吸は出来ているようだが、それ以上の世話を初子はしようとしない。
「おい初子、乳を飲ませろ」
指示をしても言葉が通じないもどかしさでパニックになりそうだ。
マッサージを続けていた仔猫が何とか呼吸を始めてくれたので、2匹目の仔猫のへその緒を切ることにする。うにゃうにゃ動くのでなかなか糸で縛ることが出来ない。
見るともうすでに3匹目が産まれていた。
「初子、待ってくれ! まだ2番目の子のへその緒が切れないんだ」
5匹お腹の中にいると病院で知らされていたから、あと2匹産まれてくるはずだ。
3匹目は流石に初子も自覚したのか、自分でへその緒を噛み切り体を舐めてやっていた。最初の仔猫を3番目の仔猫の傍に置くと一緒に舐めだした。
2匹目の仔猫のへその緒を切り終わった頃には、最初の仔猫と3番目の仔猫に乳を飲ませていた。2番目の仔猫も並べて乳を飲ませてみる。
その様子は神々しい光景で、神秘的というより生命の力強さをまざまざと見せつけられたように感じた。
その感動と、無事にへその緒を切ることが出来た安堵でホッとしたのもつかの間、4番目と5番目の仔猫が続けて産まれてきた。
仔猫が母乳を強く吸うことで陣痛が促されたのだろう。
初子は4番目の子と5番目の子も自分でへその緒を噛み切り体を舐めて呼吸を促していた。
何て健気な姿だろう。全て本能で出産を終え、本能のままに乳を飲ませ子育てをしているのだとしたら、まさしく神の御業だというしかないだろう。
初子が仔猫を舐め、乳を飲ませ愛情を注ぐ姿を目の当たりにしていると、今までの自分の心配や煩わしく思っていたこと全部がどうでもいいことのように思えてくる。
仔猫たちの産声を聞いて、初子が舐めて仔猫たちを慈しむ姿を眺めていると、命の誕生の喜びと感動に包まれているようだ。
気付くと外は白んで朝を迎えていた。
命の尊さを深く実感した夜明けだった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
ちょっと長くなってしまいました。
猫の出産に立ち会った老人のパニクる様子を、もう少し詳しく書きたかったのですが、そうなるともっと文章が長くなりそうで、中途半端な表現になったかもしれません。
次回からは生まれてきた仔猫たちの里親探しに翻弄する主人公(老人)を描きます。
