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道徳的左翼のコメントに見る自由主義の退潮


1. はじめに


前回、『みいちゃんと山田さん』の反対運動について書いた。
作品が可視化した現実を「スティグマの再生産」とみなし、映像化を抑えようとする動きに対して、因果の飛躍を指摘し、「みぃちゃん以前には戻れない」以上、より精緻な語り方をすることこそが、次の社会に必要だと説明した。

しかし、その記事に寄せられたはてなブックマークのコメント群には、薄弱な根拠で、表現そのものを制限・隔離しようとする発想が散見された

2. 自由主義の原点と日本国憲法


自由主義の原点、19世紀の哲学者ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』で、次のように述べた。

ある意見が誤っている場合でも、それを封じることは間違いである。なぜなら、その意見と衝突することによってのみ、真理はより明確に理解されるからである。たとえその意見が有害であると見なされる場合であっても、力によって沈黙させることは、社会が真理に到達する機会を奪う行為にほかならない

ジョン・スチュワート・ミル『自由論』


これがリベラリズムの原点であり、19世紀の時点で提示された根本原理である。

不快や潜在的な害を理由に言論を封じれば、社会は自ら真理を検証する手段を失う。表現の自由は、正しい意見だけを保護するためにあるのではなく、誤った意見や有害と見なされる議論でさえも、公開の討論の場にさらすために保障される。
日本国憲法第21条は、この原則を忠実に継承している。表現の自由は、直接的な法益侵害を超えて、不快感や抽象的な悪影響を理由に制限してはならない。これが、憲法が採用した自由主義の核心である。

3. 逸脱する「リベラル」自認者たち


しかし、はてなブックマークには、この原点から明確に逸脱したコメントが並んだ

蔑称化はその副作用って、それがスティグマで広がる可能性があるからゾーニングしろって話じゃないのかしら。なんというかみいちゃんが制度の穴や不備を主張する社会的作品だったら良かったのにね。救いがないんだよ

みいちゃん以前に戻れなくても拡散する必要は無いと思うかなー。色々立派な理屈並べてるけど漫画見てる層だけでも前に進めるよね?まぁ、正直アレをアニメ化”しない”のは人の優しさとか配慮の類いだと思うんよね

当事者を持ち出して擁護しているがこれは詭弁で、あれを読んで絶望を深めた当事者や支援者一定数いるという事実を軽視している。それは露悪的な書き方にも起因しており、これが「間接的な加害」でなければなんなのか



間接的に人を害する可能性がある表現は、規制し、人の目の触れにくいところに隔離すべきだ」という発想が共通している。

4. 三つの誤謬


この思想には、少なくとも三つの誤謬がある。 

第一に、隠蔽が弱者を守るという論拠の欠如である。
「みいちゃん」という語が可視化されなかった頃の方が、当事者はより守られていた、という証拠は存在しない。可視化によって新たに発生した害はあるが、可視化以前の害が少なかったという証拠はない。にもかかわらず、コメントの多くは「見えない方がマシだった」という前提を、検証せずに置いている。これは願望でしかない。

第二に、間接的な悪影響を理由に表現を規制できるという誤解だ。
憲法21条が保障する表現の自由は、直接的な法益侵害を超えて、不快感や潜在的な悪影響を理由に制限してはならないという原則の上に成り立っている。間接的・抽象的な「害の可能性」を理由にゾーニングや抑圧を認めると、表現の自由は実質的に骨抜きになる。現代のリベラルを自認する人々の多くは、ミルが示した原点を忘れたか、意図的に捨てたようだ。自由主義からの明確な逸脱と言える。

第三に、自分たちの道徳観が言論統制の根拠になるという反民主主義的信念である。
「救いがない」「制度批判が不十分」「社会的に正しい描き方をしていない」「露悪的だ」という不満を、表現を制限する正当な理由だとみなしている。何が「正しい」表現で、何が「有害」な表現かを判断する権限が、自分たちの道徳的直観にあると考えている。言論の規制は民主的に制定された法律と、明確で限定的な法益侵害の場合に限られる。これが民主主義の原則である。道徳的に正しい側が、正しくないと感じる表現を封じる権利があるという発想は、「正しい者による検閲」を正当化する。 

5. 結論


興味深いのは、こうしたコメントの書き手の多くが、自らを護憲的立場に置いている点だ。
憲法を「守るべきもの」として語りながら、都合の悪い条項については「例外」を容易に認める。弱者保護を名目にすれば憲法に反しても構わない、という優先順位が、そこにはある。

ミルはこう述べている。

もし全人類のうち一人を除く全員がある意見を持ち、その一人だけが反対の意見を持っていたとしても、人類がその一人を沈黙させる正当な権利を持つことはない。ちょうど、その一人が権力を持っていたとして、全人類を沈黙させる権利を持たないのと同じである


「弱者を守るためなら憲法に反しても構わない」という思想は、ミルの恐れていた専制だ。かつて自由主義を標榜した人々が、いまやその対極に立っているわけだ。

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