邑南町は、なぜ「A級グルメ」の看板を下ろしたのか。
FOODSCAPE Magazine 連載 (この記事は約3分で読めます)
日本一の成功事例と呼ばれた町の、絶頂と、暗転と、それでも残ったもの
日本地方シリーズ ― 国内の隠れた美食都市 島根・邑南町(おおなんちょう)
プロローグ 看板が、下りた
2023年、島根県邑南町は、一つの決断を静かに発表した。「A級グルメ」――町を全国に知らしめ、地方創生の教科書に載り、視察が絶えなかったあの看板を、町として使うのをやめる、と。
飲食店約20店舗の新規開業、3年連続の社会増、コロナ禍でも廃業ゼロ。数字の上では紛れもない成功例だった町が、なぜ自ら看板を下ろしたのか。
この問いに答えるには、物語を最初から語り直す必要がある。これは、一人の公務員が28年かけて登った山と、その頂上の先にあったものの話である。
第一幕 旅立ち ― B級の時代に、A級と言った男
寺本英仁が旧石見町役場に入庁したのは、1994年。東京農業大学を出て戻った故郷は、島根県の中山間地、高速道路も鉄道の便もない、条件不利地の見本のような土地だった。2004年、平成の大合併で石見町・瑞穂町・羽須美村が一つになり、邑南町が生まれる。人口約1万人。「邑南」という名の郷土料理を持つ者は、誰もいなかった。合併でできた町とは、そういうものだ。
2011年、寺本は勝負に出る。時代はB級グルメブームの絶頂。安さと話題性で客を呼ぶ祭りが全国を席巻するなか、彼はまったく逆の旗を揚げた。「A級グルメ」。
その理念はこうだ――本当に美味しいものは地域にある。その美味しさを本当に知っているのは地域の人々だ。彼らが誇りを持ってつくる食はA級であり、永久(=エイキュウ)に残さなければならない。
注意深く見てほしい。寺本は新しい料理を発明していない。石見和牛も、米も、山の野菜も、すでにそこにあった。彼がやったのは、それらを「探し出し、格付けし直す」ことだった。地域の日常の食に「A級」という名前を与える。それは料理の開発ではなく、誇りの再定義だった。
第二幕(上昇) 山を登る ― ajikura、耕すシェフ、そして絶頂へ
構想は、仕組みへと形を変えていく。2011年、地元食材を供する町営イタリアンレストラン「素材香房ajikura」が開業。過疎の山あいのレストランは、やがてゴ・エ・ミヨに2トックで掲載される水準にまで達する。
続いて「耕すシェフ」。総務省の地域おこし協力隊制度を使い、都会から料理人を志す若者を受け入れ、3年間レストランで実践研修を積ませて、町で起業させる。協力隊は延べ45名を数え、そこから7つの店が生まれた。
うまくいかないこともあった。耕すシェフが町民に十分受け入れられていない、任期を終えても起業に踏み切れない――そうした課題が見えると、寺本たちは「食の学校」「農の学校」をつくって応じた。郷土料理からイタリアン、そば打ちまでを学べる週1回の講座は、移住者と町民が同じ台所に立つ場になった。つまずくたびに、仕組みで修正する。この繰り返しが邑南の強さだった。
成果は数字になった。平成25年から3年連続の社会増。5年間で観光入込92万人、定住242人、起業家42名。人口1万人の中山間の町に、10年で約20の飲食店が生まれた。2016年、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」が寺本を特集する。肩書はこうだった――「スーパー公務員」。
山の頂上である。視察が殺到し、講演依頼が舞い込み、邑南町は地方創生の教科書になった。
第二幕(暗転) 頂上の霧 ― 看板の独り歩き
だが、頂上には霧がかかっていた。
地元紙・山陰中央新報は後に、検証記事にこう見出しを打っている。「看板が独り歩き 話題先行に町内冷ややか」。全国が絶賛する一方で、町の内側では違う空気が育っていた。農家の一部からは「メリットがあまり感じられない」という声が漏れた。飲食店は増えた。だが、その皿の上の賑わいが、田畑の実入りにまで届いている実感は薄かった。定住の数字と、暮らしの実感の乖離も埋まらなかった。
外に向かって輝く看板と、内に向かって育つはずだった誇り。「ビレッジプライド」を掲げた事業の、外側だけが先に大きくなってしまった――これが、絶頂の裏で進行していたことだった。
そして2022年3月、寺本英仁は28年勤めた役場を退職する。「日本中の田舎を元気にしたい」と、まちづくり支援の会社を設立して独立した。主人公が、町を去ったのである。
第三幕 看板は下り、火は残った
翌2023年度、町は「A級グルメ構想」の見直しを決め、町としてこの言葉を使うことをやめた。重点は「地産地消」へ――皿の上の華やかさより、田畑への波及へ。元A級グルメの拠点施設が1年以上使われないまま残っている、という厳しい報道もあった。
物語がここで終わるなら、これは「カリスマ退場とともに崩れた成功例」という、よくある話だ。だが、邑南の物語には続きがある。
看板を下ろしたのは、町役場である。町の食が死んだわけではなかった。理念は民間へ渡った。地域商社ビレッジプライド邑南、AJIKURAの運営会社ら3事業者が連携協定を結び、シェフの育成と新商品の開発を民間主導で続けている。「A級グルメ宣言店」の旗は、いま行政ではなく民間が振っている。AJIKURAは今日も営業を続け、耕すシェフたちが開いた店は、町の日常の風景になった。
行政の看板は下りた。だが、探し出された食材と、育てられた料理人と、開かれた店は、残った。
論考 浜別所と邑南 ― 看板が消えた後に、何が残るか
前号で描いた架空のまち・浜別所と、実在の邑南町。奇しくも両方とも、平成の大合併で生まれた「郷土の名前を持たない町」であり、両方とも、行政の食の看板は消えた。だが、消えた後に残ったものが、決定的に違う。
浜別所の「海山どんぶり」は、会議室で創られた根のない料理だった。だから看板が消えたとき、提供店ゼロ、記憶ゼロ、何も残らなかった。邑南の「A級グルメ」は、すでにあった食材と担い手を探し出し、格付けし直した運動だった。だから看板が消えても、約20の店と、育った料理人と、民間の推進主体が残った。
ここから、3つのことが言える。
第一に、成功とは看板が続くことではない。看板が消えても残るものをつくれたかどうかである。行政の構想には、首長交代・担当者の異動・財政事情という寿命が必ずある。問うべきは「この事業が終わった日に、まちに何が残るか」だ。
第二に、それでも邑南の暗転から学ぶべきことがある。外向きのブランドが先に育ち、農家と町民の実感が置き去りになったとき、看板は内側から支持を失う。食のまちづくりの主語は、視察に来る人でも、メディアでもなく、そこで毎日食べて暮らす人々である。皿の上の成功を、田畑と食卓の実感につなぐ回路を、最初から設計に組み込むこと。
第三に、カリスマは去る。スーパー公務員という言葉は賛辞であると同時に、リスクの名前でもある。邑南が幸運だったのは、寺本の在職中に、理念を受け取る民間の器(ビレッジプライド邑南、AJIKURA、耕すシェフたちの店)が育っていたことだ。南小国が思想をSMOという組織に移したように、人に宿った火は、人がいるうちに、組織と担い手へ移しておかなければならない。
邑南町の物語は、まだ終わっていない。看板を下ろした町が、地産地消という新しい章をどう書くのか。民間に渡った火が、次の世代にどう受け継がれるのか。ハリウッド映画なら、ここでエンドロールが流れる。だが、まちの物語にエンドロールはない。あるのは、今日も営業しているレストランの、開店の看板だけである。
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出典・参考
・寺本英仁『ビレッジプライド 「0円起業」の町をつくった公務員の物語』ブックマン社
・山陰中央新報「A級グルメはどこへ-邑南町 方針転換の背景〈上〉看板が独り歩き 話題先行に町内冷ややか 定住効果も乖離埋まらず」 https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/354708
・山陰中央新報「邑南の元A級グルメ拠点 1年未使用 具体策なく、早期活用望む声」 https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/537331
・中国新聞「『A級グルメ』弱かった地元農業への波及効果 構想見直しの島根県邑南町【インサイド】」 https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/289622
・日本経済新聞「『A級グルメ構想』見直しへ 島根・邑南町 今後は地産地消に重点」(2023年2月) https://www.nikkei.com/article/DGKKZO68268360X00C23A2LCC000/
・日本経済新聞「島根県邑南町のA級グルメ 民間で推進 3事業者が連携協定」(2023年4月) https://www.nikkei.com/article/DGKKZO69956860W3A400C2LCC000/
・山陰中央新報「スーパー公務員 新たな道へ 退職し起業」 https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/190303
・Heroes of Local Government「【邑南町 寺本英仁】町民参加型の学び場『食の学校』と『農の学校』」 https://www.holg.jp/interview/teramotoe2/
・ビレッジプライド邑南 公式サイト https://ohnan.com/
・里山イタリアンAJIKURA 公式サイト https://si-ajikura.com/
・農畜産業振興機構「若者が移住してくる町~島根県邑南町の取り組み~」 https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/wadai/2005_wadai.html
FOODSCAPE Magazine ── 食がまちを変える|gastronomy-city.org
美食都市研究会 https://www.gastronomy-city.org/
