1000文字掌編「忘れた約束」
「二十歳になったら、またここで肝試しをやろう」
あの夜の約束を果たすため、私たちは生まれ育った村の居酒屋に集まった。地元の役場に就職した幸太郎がジョッキを掲げ、東京の大学に進んだ理が「華菜は相変わらずマイペースだな」と枝豆をつまむ。懐かしい顔ぶれ。けれど私の視線は、二人の奥ーー最初から空いたままのパイプ椅子に吸い寄せられていた。
「ねえ、水沼くんは? まだ来てないの?」
箸が、止まった。二人は顔を見合わせ、怪訝そうに眉をひそめる。
「誰それ。同級生にそんな奴いたっけ」
「おいおい華菜、二十歳そこらでボケるなよ。俺たち、最初から三人だろ」
トタン屋根を叩く雨音が、急に大きくなった気がした。
「そんなわけないでしょ。小学校の肝試し、神社の畦道で、私、石につまずいて転んで。蝋燭が溝に落ちて消えて——大泣きしてた私の手を引いて、蛍の光だけを頼りに神社まで連れて行ってくれたの、水沼くんじゃない」
必死に言い募る私を、幸太郎は憐れむような目で見た。
「華菜。お前あの時、膝から血ぃ流して、大泣きしながら一人で歩いてきたんだよ」
「そうそう」理が困ったように笑う。「俺らビビったもん。お前、誰もいない暗闇に向かってぶつぶつ喋りながらさ——川底の泥みたいな緑色の石、大事そうに抱えてたんだぜ。水沼なんて奴、最初からどこにもいなかったよ」
じゃあ、あの夜。真っ暗な畦道で私の手を引いていた、あの異常なほど冷たい手は——誰の、手だったのか。
考えかけたところで、幸太郎のスマホが震えた。画面を見た彼の顔が、公務員のそれに切り替わる。
「大雨警報だ。川の水位が氾濫注意を超えてる。役場から招集がかかる前に、今日はお開きにしよう」
促されるまま店を出て、一歩目で息が詰まった。
豪雨、というより、空ごと落ちてきていた。街灯の光は雨粒に押し潰され、道路はもう足首まで茶色い水に沈んでいる。——この村は、もうすぐダムの底に沈む。ここ数年この土地を殴りつける雨が、その決定を早めたのだ。
「まずい、川が溢れてる!」
幸太郎が叫ぶ。暗闇の向こうで、バリバリ、と山の裂ける音がした。巨木のへし折れる地鳴りが、足の裏から這い上がってくる。
「高台へ走れ!」
理に腕を引かれ、坂道を駆け上がる。けれど、濁流の方が早かった。足元をすくわれ、私は転倒した。——あの夜、畦道で転んだときと、まったく同じ形で。
「華菜!!」
二人の声が遠ざかる。身体が茶色い水に呑まれ、視界が塗り潰される。息ができない。上も下も分からない。
そのとき、私は見た。
渦巻く濁流の底、アスファルトの継ぎ目から、ぽつり、ぽつりと、淡い光が湧き上がってくるのを。光はみるみる無数の群れとなり、荒れ狂う水の中で私の身体だけをやわらかく包み込んでいく。
蛍だった。あの日、水沼くんと見た、あの蛍の光だった。
世界を砕く土石流の轟音のただなかで、その光の群れだけが、静寂を保って揺れている。光の渦の中心から伸びてきた手が、私の手首をそっと掴んだ。
冷たい。川底の石のように冷たい。なのに、泣きたくなるほど懐かしい。
『約束通り、二十歳になったよ』
耳元で、優しい声が囁いた。幸太郎たちが忘れてしまった——いいえ、最初から知りようのなかった、私と彼だけの約束。
『ほら。もうすぐここも、僕たちの場所になる』
サイレン、濁流、濁流、サイレンが消える。
ーーああ、そうか。
水沼くん、あなたはずっと待っていたのね。
ひとりで。
「華菜!!」という絶叫が、雨音と光の海の中に、ゴボリと溶けて消える。
もう、冷たくなかった。怖くもなかった。私はただ、無数の蛍に祝福されながら、水沼くんの腕の中へ——深く、深く、沈んでいった。
1000字掌編30日チャレンジ、17日目。
AIに、30日分のタイトルを作ってもらいました。1時間以内に制作という自主条件で、挑戦中です。
今回は「忘れた約束」というお題でしたので、誰かに忘れられても、自分の中だけには残り続ける約束の話を書きました。
1日目「鍵の行方」
2日目「氷の入ったコップ」
3日目「母の字」
4日目「朝の電車」
5日目「塩の量」
6日目「隣の声」
7日目「写真の整理」
8日目「友人の幸福」
9日目「傘の骨」
10日目「時間の貸し借り」
11日目「声の高さ」
12日目「週末の約束」
13日目「名前を呼ぶ練習」
14日目「コーヒーカップの欠け」
15日目「雨の夜の帰宅」
16日目「窓の外の木」
★17日目「忘れた約束」
18日目「口紅の蓋」
19日目「二つの傘立て」
20日目「返事の遅さ」
21日目「砂糖の位置」
22日目「走る練習」
23日目「先に寝る」
24日目「知らない町の地図」
25日目「誕生日の電話」
26日目「夏と嘘」
27日目「図書館の予約」
28日目「夕方と影」
29日目「手紙の封」
30日目「ぬるいお茶」
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします。いただいたチップは、創作時のコーヒー豆のグレードアップに使わせていただきます。